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インド視察記-1〜My Classmate〜(2019/11/4〜19)

公開日:2020年03月16日
 
AMDAグループ代表 菅波 茂
 

インド医師会館でライ先生(右から3番目)と映る筆者

2019年11月6日。この日に初めてインド医師会のゲストハウスに2泊しました。インド医師会の元名誉事務局長であるライ先生の強い勧めでした。ライ先生との夕食会は午後8時から始まりました。インド医師会の会議などは会員が夕方の診療を済ませた後の午後8時から行われるようでした。場所は医師会長の部屋でした。良いのかなと思いました。ちゃんと許可は取っているから問題はないとのこと。どうみてもいつも自分の応接室として使っているような雰囲気でした。彼がつぶやいた一言がポイントでした。「ここでは私が一番の年長者なのだよ」と。付属のレストランも午後は6時から開かれます。ライ先生が注文した品々が次々とテーブルに運ばれてきました。ライ先生とレストランの人との会話と態度はどうみても身分社会の人間関係そのものでした。インドはカースト制度がまだ残っているだけではなく、他のアジア諸国と同様に身分社会が色濃く残っていると思いました。大切なことは、彼らの前では、元名誉事務局長であるライ先生に尊敬の態度で接することです。

 

インド医師会元名誉事務局長Rai医師と筆者

ライ先生と私は同じ73歳。私はライ先生を「My Classmate」と呼びます。2019年9月に南部インドのゴアで開催された第34回アジア大洋州医師会連合インド総会では、わざわざ私に会うためだけの目的でニューデリーから多忙にもかかわらず会いに来てくれました。

私はClassmateという言葉に特別な感情を持っています。50年前の昭和44年に全国的に大学で学生運動が盛んになりました。母校の岡山大学も、中核派の指導により、全学ストライキ突入で閉鎖になりました。この時に休学をして、約10ケ月間のアジア放浪の旅をしました。これがAMDA設立の原体験となっていますが。代償も大きかった。昭和40年入学の同級生たちとは生き別れとなりました。2度と机を並べて学ぶ機会が無くなりました。幻の同級生です。彼らが、私より1年早く卒業して、白衣に聴診器姿の元同級生を学内で見かけると、ものすごい寂しさを感じました。そして、現在では、大きな病院の院長をしていた彼らも次々と退職して姿を消していきます。したがって、国内外を問わずに、同じ歳の医師に出会うと、思わず発作的に「Oh! my Classmate」と手を握ります。握り返してきてくれたのがライ先生でした。あの巨大なインド医師会の飛ぶ鳥を落とす勢いの事務局長でした。私は小さな団体のトップ。不思議なことですが、浮世の社会的ポジションは関係ありません。My Classmateはそれを超える意義があります。

 

筆者(左)とバサンフ先生(右)

実は、私にはもう二人の大切な女性の「My Classmate」がいます。一名は名をバサンフー先生といい、モンゴルにいる眼科医の女性です。歩く時には、横綱だった朝青龍のように元気いっぱいに両手を横に振って歩きます。モンゴル眼科医協会長や保健省顧問の経歴のある、モンゴル眼科医界の第一人者です。元気印の彼女は70歳で最先端の医療機器を備えた5階建ての診療ビルを首都のウランバートルに開設しました。食事をする時にはいつも料理を取って私の皿に入れてくれます。彼女の付き添いのスタッフが言いました。「バサンフー先生は特別な人にだけにするのですよ」と。いつも恐縮していますが、脂身がものすごく多い肉を「これはとても美味しいのよ」とバサッと取ってくれる時には、成す術がなく途方にくれます。

 

麻田ヒデミ先生

二人目の女性の「My Classmate」は麻田ヒデミ先生です。東京女子医大卒業です。麻田先生が歩く時にもつむじ風が起こる雰囲気です。勢いがあります。お父様が太平洋戦争の時に軍医としてミャンマ-の戦地に赴任され大変な経験をされました。帰国後はアジアの人たちを大切にした数々の活動を行われました。麻田先生はその活動をともにされたばかりでなく、丸亀市の地域医療及び福祉を積極的に展開されています。

2014年からAMDA南海トラフ災害対応プラットフォームを立ち上げて、徳島県と高知県をはじめとして両県合わせて9の基礎自治体と災害支援協定のもとに、毎年各自治体と災害訓練と関係者が集う調整会議を行ってきています。一番重要な役割は、本州側の医療機関が四国の自治体に災害医療支援を行う時の、四国側の暫定的受け入れ体制です。本州と四国を結ぶ地点が丸亀市です。その役割に麻田先生の所有する宿泊可能な施設を提供してもらっています。

 

西日本豪雨災害で瀬戸健診クリニックから
無償貸与いただいた健診車

2018年7月に発生した西日本集中豪雨では倉敷市真備地区では59名(うち災害関連し7名)の死者が出ました。この時に一般社団法人瀬戸健康管理研究所SHL丸亀健診クリニックの院長でもある麻田先生は、大切な検診車を移動診療車として提供してくれました。7月や8月は健診を行う法人としては最も稼働率が高く忙しい時にもかかわらずに。最も困難となるのは仮診療所の確保です。今回、倉敷市真備町のまび記念病院敷地内に設置した大型健診車での診療が、保険診療として認められるのかどうか、岡山県保健福祉部を直接訪問して確認を求めました。岡山県より、翌18日に根拠書類がFAXで送られてきました。ここで法的根拠の存在を確認でき診療をスタートすることとなりました。被災者は、なじみのある主治医のもとで、しっかりした検査や治療を受けることができます。

私は3人の「My Classmate」とは来世でも一緒に仕事をできればと願っています。
    •  インド
    •  2019
    •  続・夢童〜世界平和への設計図

 
 
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