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シリーズ・支えられて35年

公開日:2019年12月06日
 
AMDA理事GPSP支援局長 難波 妙
 

「沖縄戦新聞」

 

AMDAが生まれて今年で35年。その間、そして、それ以前の学生組織の時代から、私たちを支えていただいた方々がいる。このシリーズでは、こうした皆さんの声に耳を傾けながら、AMDAの「これまで」と「これから」を考えたい。
最初に登場いただくのは藤原健さん。古希を前にしても、現役の新聞記者であり、沖縄の近現代史研究者でもある(略歴は後述)。藤原さんのジャーナリストとしての生き方を3回に分けて連載する。最終回は「ジャーナリストとして」。その気概と覚悟を伝えたい。




 
ジャーナリストとして

藤原さんが沖縄の戦跡をめぐる前には必ず目を通すもの、それが「沖縄戦新聞」。琉球新報が戦後60年の節目にとりくんだ企画で、2004年7月から05年9月まで別刷りとして14回発行された。「サイパン陥落」から「南西諸島の日本軍降伏」までの1年2か月の時空間で沖縄戦をとらえ、戦後生まれの記者たちが「今の情報と視点」で徹底的に住民の側に寄り添い、本紙とは独立した形で沖縄戦を伝えた。その1面社告は毎号、戦意高揚に加担した過去の新聞の歴史を自らも背負っていることを明言して先人の責任を引き受けた。さらに、最終号で読者に向かってこう記している。
「戦(いくさ)のためにペンを執らない」と。

藤原さんは、著書の中で当事者性の獲得と自らの歴史的位置の自覚である「連累」を想起し、その意味と意義の深さを確認出来たと語っている。
沖縄現代思想史研究者の屋嘉比収(やかび・おさむ)の思索から、「沖縄戦の体験者が減少する状況の中で、もはや問題は沖縄戦体験者の側の語り手側にあるのではなく、それを継承しようとする非体験者である私たちの聞き手側にあるのではないか、と思わざるを得ないのだ。非体験者による『当事者性の獲得』が継承の要である」というのだ。
ただ、この当事者性の獲得において忘れてはならない視点として藤原さんは、「連累」という概念をあげている。ここでいう「連累」とは、沖縄の歴史と現状に対する無関心に気づいていない鈍感さが、沖縄をさらに傷つけている事実である。そして「あなたならどうする」と問いかけてくる。
ここまで聞いて、私はハッとした。
「当事者性の獲得」と「連累」は、AMDAの理念である「相互扶助」につながる。困った時はお互い様という、困難に直面する当事者への感情の共有が、当事者性の獲得のきっかけとなるのではないだろうか。そこには、当事者のプライドを尊重した現状の判断が求められる。

沖縄で平和への願い込めて語られる「命(ぬち)どぅ宝」という言葉もAMDAにつながる。「救える命があればどこまでも」という私たちのスローガンがある。ひとつの命に真摯に向き合う活動の姿勢を表している。第2回沖縄平和賞を受賞している団体として沖縄の「命どぅ宝」をAMDAの活動でどう実践していくかも大きな使命であると、私は改めて思う。


藤原さんの「出版感謝の集い」には、ひめゆり平和祈念資料館、不屈館、佐喜眞美術館、沖縄県平和祈念資料館友の会などから藤原さんの魂に共感する約80名がお祝いに駆けつけた。魂が漂う会場で86歳になる盟友は、「この集まりは藤原さんの?生前葬?だ」と言った。そして「自分より先に死ぬな」と訴えた。






短い沖縄への旅。岡山への帰りの機上から見る紺碧の海は輝く夕日の翳りとともに闇へと化していく。沖縄戦で命を落とした人たちの魂を思うとき、藤原さんの言葉を思い出す。「歴史に対するまじめさと真摯さが、閉鎖的な状況を変えていく。ひとり一人は微力だが無力ではない。」
藤原さんは沖縄の「今」に真摯に向かい合い、自らの人間としての質を追求し、「命どぅ宝」を魂の声で訴え、書き抜くジャーナリストである。



 
<了>




藤原 健(ふじわら けん)略歴
1950年、岡山県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。毎日新聞入社。阪神支局長、大阪本社社会部長、同編集局長などを歴任。スポーツニッポン新聞社常務取締役を退任後の2016年に入学した沖縄大学大学院現代沖縄研究科沖縄・東アジア地域研究専攻修士課程を18年修了。同年12月、『魂の新聞』を出版。19年3月、『魂の新聞』で現代沖縄研究奨励賞を受賞。現在、琉球新報客員編集委員として大型コラム「おきなわ巡考記」や沖縄戦関連の書評を執筆。沖縄大学地域研究所特別研究員。
共著書に『沖縄 戦争マラリア事件 南の島の強制疎開』、『介助犬シンシア』、『対人地雷 カンボジア』、『カンボジア 子どもたちとつくる未来』など。
95年の阪神大震災をきっかけにAMDAと連携してネパール子ども病院設立キャンペーンを展開。実現にこぎつけた。98年以降、介助犬の認知キャンペーンを始め、500回を超える連載、テレビドラマ化、兵庫県宝塚市と共催で毎年、シンポジウムを開いて啓発活動を展開するなどして身障者の社会参加を促す「身体障害者補助犬法」制定に尽力した。06年、毎日新聞の「戦後60年報道」で「平和・共同ジャーナリスト基金大賞」を代表受賞。


 
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