1984年設立、国連経済社会理事会総合協議資格NGO 特定非営利活動法人AMDA

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「善意の絆・相互扶助」【Vol.17】株式会社「キッカワ」社長 吉川 青良様

公開日:2018年12月25日
 
石油化学プラントの建設・メンテナンスなど幅広い事業で急成長を遂げる株式会社「キッカワ」(倉敷市粒江)の吉川青良社長。従業員から「仕事一筋の人」と畏敬の念を集める一方で、フィリピンをはじめ発展途上国の復興にも情熱を燃やしています。身近な情報を伝えるニュースサイトを立ち上げ、地元のエフエム放送にも定期的に出演されるなど多彩な顔を持つ企業人にユニークな人生観、企業理念などを伺いました。
 

AMDA

長年にわたりご支援ご協力を頂き、ありがとうございます。
 

吉川社長

AMDAのことはメディアで良く認識しています。世界各国で災害があると、どの団体よりもいち早く現地入りされる。スピーディーな行動にいつも感銘を受けています。AMDAにできる範囲で、少しでもお手伝いがしたいと考えています。
 

AMDA

フィリピン出身の奥さんの吉川マービーさんも、古里で孤児院を巡回されるなど熱心に奉仕活動をされています。
 

吉川社長

私が名古屋市に出張した時に妻と知り合い、2003年に結婚しました。生まれた子どもの教育的配慮から妻は古里のミンダナオ島サンボアンガ市に子どもと一緒に住んでおり、私が日本に単身赴任している状態ですよ(笑い)。
 

AMDA

フィリピンは2014年1月17日、台風1号で洪水被害や土砂崩れなどによる家屋の損壊など甚大な被害を受け、AMDAは1月21日にサンホアンガ市への物資支援を決定。24日には看護師とコーディネーターの計2人を派遣し、医療支援活動などを行いました。
 

吉川社長

AMDAの迅速な支援に感謝しています。妻の自宅は床下浸水でしたが、被災者の多くは道路沿いに段ボールとブルーシートで作った簡素な家で暮らしていました。その住居が何?にもわたって続き、毎日、気温が30度前後の猛暑の中で産業廃棄物の臭いが周囲に立ち込めていました。そんな状態が半年も続いたのです。
 

AMDA

株式会社キッカワ様はAMDAの許可を得て、AMDAのTシャツを自前で作り、サンボファン市とその周辺でTシャツを着たボランティアら10〜15人が10日間、支援物資を配りました。大変お世話になりました。
 

吉川社長

これには訳がありましてね。約7年前、AMDAの難波妙理事と会合で出会い、会話を交わす中でAMDAのすごさに気付かせてもらいました。「世界の人にもっとAMDAを知ってほしい」という思いからTシャツを作ったのです。AMDAを心から信頼しており、AMDAへの継続的な寄付もこの時から始めました。
 

AMDA

アジアの発展途上国はどのような状況でしょうか。
 

吉川社長

フィリピンは清潔で安全な所に少しずつ変貌していますが、全般的には他の発展途上国と同様、まだまだの状況です。大きな課題は現地に働く場所がないことです。雇用を生み出す企業の進出などが必要です。私も微力ながら頑張りたいと思います。
 

AMDA

ところで、株式会社キッカワ様のスローガンを教えてください。
 

吉川社長

「“人ありき”の理念と共に、倉敷から世界へ」です。会社は「人ありき」を求めて経営を追求し、優れた技術はもちろんのこと、立派な人間性を持つ社員を育て、社会に貢献できる会社作りに努めます。
 

AMDA

環境問題にも力を入れられていますね。
 

吉川社長

自然エネルギーの代表格である太陽光発電所の建設・運営に取り組んでいます。
 

AMDA

2014年にニュースサイト「倉敷経済新聞」の配信を開始、エフエム倉敷でも毎週土曜日に15分間の生放送などをされています。狙いは何でしょうか。
 

吉川社長

狙いはありません。企業としての宣伝も全く考えていません。「地域の役に立つことをやりたい」と始めただけです。だから、できるだけ地域に密着した出来事を伝えています。地域に育てられ、少しでもその恩返しを目指す「地域とともに」を実践しているだけです。
(聞き手・広報担当参与 今井康人)



 
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