特定非営利活動法人AMDA 副理事長 難 波 妙

2024 年、AMDA は創立から40 周年を迎えました。菅波茂前理事長が医学生時代にアジアを一人で旅した際、現地における多様性と活気に魅せられたことが一つの原点となり、そこから、医療を通じた国際貢献を世界各国で行ってきました。AMDA が行ってきた災害、紛争、貧困に対する緊急医療支援活動は、2024年12 月末の時点で、69 ヶ国249 件に上ります。
私がAMDA でボランティアを始めた2003 年当時、菅波前理事長の口癖は、「相互扶助という言葉を世界の共通語にしたい」というものでした。変わった組織だなという印象とともに、その深い意味がすぐには理解できなかったことを今でも覚えています。
あれから20 年が過ぎ、この間にも、スマトラ島大津波、ハイチ大地震、東日本大震災、ネパール大地震、熊本地震、西日本豪雨、ウクライナ人道危機など、各地で災害や紛争が頻発しました。多くの人たちの苦難、涙、そして、危局後に追い打ちをかけた試練にAMDA は何度も向き合ってきました。
目の前に次々と立ちはだかる困難に必死にもがいていると、” 困った人を助けたい” という多くの派遣者、支援者の願いは大きなエネルギーの渦となり、人脈、知恵、資金などに形を変えます。こうして人道支援活動は、点から線に繋がり、面となって、国を越えて広がります。
また、時を経て、「受けた支援の恩送り」と、自らの被災経験を活かした支援が届けられる場面にも出会いました。研修に参加した医学生が、その後、医師となってAMDA の活動に戻ってきてくれた際には、感謝と喜びに心が震えました。
このような時の流れにあって、「困った時はお互い様」という相互扶助の理念が国境、宗教、文化を越えた多様性の中に息づいていることを、私は身をもって経験しました。1998 年のある記事の中で、菅波前理事長は、「相互扶助によって、世界の人々がお互いに対等なパートナーとして信頼と尊敬の念で結ばれた時、そのネットワークは市民の側からの大きな戦争の抑止力になるに違いありません」と語っています。
2025 年、21 世紀の四分の一が過ぎようとしているにも関わらず、政治的な分断や経済不況、感染症の流行や気候変動などで、世界は未だ不安定な局面を迎えています。加えて、デジタル技術が生活の中心となり、便利さが増すほどに、人は、人としての大切な感覚を忘れ、対人関係が希薄になる危うさをはらんでいます。そのような中、AMDA のこれまでの活動は、相互扶助の精神こそ、「直接人の心に響く人間の本質である」と教えてくれます。
昨年、AMDA の新理事長に就任した佐藤拓史医師は、数々の災害支援の現場で24 時間被災者に寄り添うことを信念としてきました。多くの方々とともに” チームAMDA” として取り組むことができれば、「相互扶助」は、今世紀の終わりまでには世界の共通語になるかもしれません。そんな期待を抱きながら、これまでの道のりをともに歩んできてくださった方々に想いを馳せ、同時ら願っております。