連載インタビュー「支える喜び」シリーズ第20回株式会社山一観光 取締役相談役 小野 浩様(2019/4発行ジャーナル春号) – AMDA(アムダ)
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連載インタビュー「支える喜び」シリーズ第20回株式会社山一観光 取締役相談役 小野 浩様(2019/4発行ジャーナル春号)


右から2番目 取締役相談役 小野 浩様

AMDAを支えてくださっている支援者の皆様にインタビュー形式で様々なエピソードをお伺いしている「支える喜び」シリーズ。20回目となる今回は「株式会社山一観光」(熊本県熊本市)の取締役相談役、小野浩様にAMDA菅波理事長自ら熊本市の事務所でお話を伺いました。

菅波

小野様そして、山一観光の皆様がAMDAにご支援を始められた経緯を教えてください。

小野

平成11年5月から支援を行っており、もう20年近くになります。私は2歳の時に中国から引き揚げてきました。人間は一人で生まれ、一人で死んでいきます。どれだけ稼ぐかより、どのように生きたかという視点で人生を俯瞰(ふかん)した時、「人のために何ができるか」と考えるようになりました。その時に新聞で世界を相手にパートナーシップ構築に挑戦する菅波氏の姿に感動し、ご縁のあった岡山にあるAMDA本部を訪問しました。

菅波

岡山とのご縁とは?

小野

私が九州の雲仙の旅館で岡山の企業の役員旅行のお世話をしていた時、一人の役員の方から、九州にいるつもりかと聞かれ、私は都市で働きたいと伝えました。するとその場で東京の大手ホテルの社長に連絡され、就職がきまりました。その後、岡山プラザホテルの開業で岡山の地で働くようになりました。

菅波

その後、熊本で旅行会社を設立されたのですね。

小野

仕事を手伝っていた旅行業界の会長がお亡くなりになり、その会社を買って欲しいとの依頼がありました。私を東京のホテルに紹介した方からも再三勧められました。「旅行業と思うな、普通のビジネスと思え」と。両親らから借金して42歳の時に一人でスタート、平成元年でした。

菅波

御社は、職員皆さんの給与から天引きして毎月、AMDAにご寄付くださっていますね。ご寄付は、カンボジアのHIV/AIDS予防事業に使われています。

小野

以前から会社で寄付活動をしていましたが、手ごたえが欲しくてAMDAを訪ね「人の力になることの喜び」を見出すことができました。

菅波

熊本地震では大きな被害を受けられました。

小野

社屋の壁が落ちるなど業務は全てストップし、団体旅行は全てキャンセル。収入ゼロの危機を多くの方々に支えられ、1年でほぼ回復しました。

菅波

AMDAへの期待を聞かせてください。

小野

「救える命があればどこへでも」を理念とするAMDAの幅広い災害支援活動には、とても感心しています。支援がいち早く被災地に届くことを願っています。

菅波

来年は山一観光創立50周年を迎えられます。御社のご発展と小野様はじめ職員の皆様のご活躍とご健康をお祈りします。
(インタビュー内の敬称は省略させて頂きました)


シエン・リティ氏 AMDAカンボジア支部長

山一観光様には十二年以上に渡り、幣団体の活動に対する継続的なご支援を賜りました。頂いておりますご寄付は、私達の活動を維持していく上で非常に大きな意義を持っています。カンボジア国民を代表し、皆様方による長年のご協力、ご厚情に対し心より御礼申し上げます。