連載インタビュー「支える喜び」シリーズ第10回 書家 小野田 松濤様 – AMDA(アムダ)
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連載インタビュー「支える喜び」シリーズ第10回 書家 小野田 松濤様


AMDAを支えてくださっているご支援者の皆様に、インタビュー形式で様々なエピソードをお伺いしている「支える喜び」シリーズ。第10回目となる今回は、著名な書家として活躍され、AMDA設立前の菅波医院開業(1981年)時から約35年にわたり、精力的にご支援を続けてくださっている小野田松濤先生にお話を伺いました。

土と生きる“農民書家”

AMDA 本日はお忙しい中、ありがとうございます。さて、早速ですが、小野田先生とAMDAグループの菅波茂代表との出会いからお聞きしたいと思います。

小野田 私の次男と菅波代表の長男が同じ小学校の同級生だったのがきっかけです。最初は親同士のつきあいだったのですが、菅波医院が同じ町内に開院し、私が菅波医院内に併設されていた保健福祉施設のボランティア・ネットワークの立ち上げに協力、さらに阪神淡路大震災の際は現地入りして被災地の再建に努めました。今でも親交が続いています。

AMDA 小野田先生は毎日書道展(毎日新聞社主催)で最高の毎日賞を2度受賞され、同展会員に就任。創玄書道会会員、同会二科審査員としても活躍されています。何時から書道を始められたのでしょうか。

小野田 7歳の時ですから、約60年になります。嫁いでからは祖母を助けて農業に取り組み、今も3300平方mで桃を栽培しています。私は自分のことを“農民書家”と考えています。農業は天候などに左右され、自然の偉大さの前で謙虚さを学ぶ一方で、元気をもらっています。農業の経験は書道にも大きな影響を与えています。これからも土とともに生きていきたいと願っています。

書道展に募金箱設置

AMDA 小野田先生と門下生による書道展「小春日和の書展」では、2007年に初めてAMDAの活動を紹介する機会をご提供いただき、その後も10年間にわたって引き続きお世話になっています。

小野田 農作業がほぼ終わり、皆さんに余裕ができる毎年11月下旬の3日間、開催しています。会場は桃の選果場を中央会場とし、築200年の母屋や主人が自ら建設したログハウス風の「風の家」、果樹園を利用した野外展示場の4カ所です。会期中、延べ約千人の住民でにぎわいます。

AMDA 小野田先生からお声かけをいただき、「風の家」に向かう道沿い約30mにAMDAの活動を伝えるパネルを展示。会場間を移動する人たちの目に留まるよう、目印となる「AMDA」と書かれたのぼり旗の設置にも協力をいただきました。

小野田 AMDA本部が開設した楢津地区で開かれる書道展に参加することは、地域に根差した活動を目指すAMDAにふさわしいと考えています。

AMDA 書道展の会場にはAMDAの募金箱を設置、多くの方から協力をいただいたのは小野田先生のおかげです。そのうえ、小野田広美様ら2人が制作された手芸やアクセサリーを会場で販売され、売上金の一部をご寄付いただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。

AMDAの活動もっとPR

小野田 そう言っていただくとありがたいです。AMDAの活動の中で災害時の医療チームの緊急派遣は良く知られています。その一方で、被災地再建のための中長期的取り組みをはじめ、AMDA中高校生会のスリランカなどでの平和活動、新庄村での農作物の有機栽培など、もっと積極的に広く知ってもらう努力をするべきだと思います。AMDAの発祥の地・楢津地区は何があっても決してAMDAを見放しません。菅波代表の基本的なコンセプトである「多様性の共存」に向けて頑張ってほしいと思います。

AMDA 今日はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。小野田先生の心強いエールを胸にAMDA一丸となって努力を重ねます。今後ともよろしくお願いいたします。