2011年度年次報告 緊急支援活動(2012/7発行) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

2011年度年次報告 緊急支援活動(2012/7発行)

2011年度年次報告 緊急支援活動

フィリピン・パンパンガ州洪水緊急支援活動


診療に集まった人々

◇実施場所 フィリピン共和国 リザール州キサオ町、ブラカン州ハゴノイ町、パンパンガ州マガラン町サント・ニンニョ村
◇実施期間 2011 年10 月3 日〜 2011年10 月22 日
◇派遣者  ヴィーラヴァーグ・ニッティヤーナンタン 調整員/ AMDA 本部職員
◇事業内容
フィリピンでは、10 月3 日と10 月6日に立て続けに2 つの台風(台風17 号・台風19 号)に見舞われ、広範囲で洪水の被害が発生した。台風17 号はルソン地方中部を横断し、リザール州、ブラカン州、パンパンガ州などが大洪水に陥った。ブラカン州カルンピット町は、10 月5 日の時点で腰の高さまでの浸水があった。10 月7 日時点で、31 の州で台風の被害が発生した。全体で103,852 世帯・約49 万人が被災し、死者は56 人、行方不明は28人にのぼった。

AMDA は緊急医療支援活動を行うため10 月3 日に本部の調整員を派遣した。本部の調整員はフィリピン国内で関係者との調整を行った後、10 月4 日にルソン島中部に位置するブラカン州ハゴノイ町でフィリピン沿岸警備隊と共に150 袋のドライフードを配布した。10 月6 日にはブラカン州の南に接するリザール州のキサオ町で、フィリピン軍の内科・外科・歯科・眼科各医師、セラピスト、薬剤師等60 人体制で巡回診療を実施した。この日の患者数908 人だった。10 月22 日には活動地をブラカン州の西に位置するパンパンガ州に移し、AMDA フィリピン支部、フィリピン軍、イースト大学、パンパンガ農業大学などから協力を得ながら、同州マガラン町サント・ニンニョ村(マニラ首都圏から北方へ車で2 時間の距離)で医科・歯科巡回診療を実施した。医療チームは、AMDAフィリピン支部のほかフィリピン軍やイースト大学の医師・歯科医・看護師や学生ボランティア50 人で編成された。一般診療では325 人、歯科診療では90 人、合計415 人を診察した。一般診療では、女性や子どもの患者が多く、身体の痛みや呼吸器系の感染疾患、皮膚疾患、喘息や呼吸困難の症状が多くみられた。歯科診療では、歯のクリーニングや、虫歯の治療、抜歯なども行われた。

◇現地協力機関
フィリピン軍、イースト大学、パンパンガ農業大学

タイ洪水被災者に対する緊急支援活動


被災地をAMDA寄贈ボートで巡るAMDA医療チーム

孤立した村に救援物資を届ける
AMDA チームのタイ救援医学会サン会長

◇実施場所 タイ王国バンコク首都圏、ナコンサワン県、ノンタブリー県、パトゥムタニ県、ナコンパトム県
◇実施期間
2011 年10 月14 日〜 2011 年11 月27 日
◇派遣者 古谷清久 医師、武田未央 保健師/看護師、大政朋子 調整員/AMDA 本部職員、日下琢雅 医師、中井隆陽 看護師、山路未来 看護師、米田恭子 助産師/看護師、柴田幸江 看護師、山川路代 理学療法士
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成
タイ救急医学会(TAEM: Thai Associationfor Emergency Medicine)や国立ラチャウィティ病院に所属する医師・看護師など20 人程

◇事業内容
タイでは7 月末からモンスーンと相次いで通過した台風による豪雨に見舞われた。タイ北部から始まった洪水は徐々に南下し、10 月中旬にバンコク北部に達した。

11 月8 日、濁流は首都バンコクの都心部に向かって南下を続け、災害対策本部の建物を取り囲んだ。バンコクでは全50 地区のうち、少なくとも11 地区で住民が避難した。タイを襲った大洪水による死者は、11 月20 日時点で602 人にのぼった。

AMDA は、深刻化するタイの洪水の被災状況と、東日本大震災でタイから医療チームを送ってもらったことを鑑み、10 月14日から3 度にわたり医療支援チームを派遣した。派遣者の総数は10 人(医師2 人、看護師5 人、調整員3 人)。

【第1 次派遣チーム】
活動期間:
2011 年10 月14 日〜 10 月22 日
派遣者:古谷清久医師、武田未央看護師、大政朋子調整員
活動場所:バンコク首都圏・ナコンサワン県
活動内容:タイ外務省へのライフジャケット250 枚の提供。
バンコクでの情報収集と医薬品・支援物資の調達。
ナコンサワン県での医薬品・支援物資の配布。

【第2 次派遣チーム】
活動期間:
2011 年10 月31 日〜 11 月9 日
派遣者:日下琢雅医師、中井隆陽看護師、山路未来看護師
活動場所:バンコク首都圏
活動内容:バンコク市内の避難所のニーズ調査。
スアン・スナンダ・ラジャパット大学内の避難所で巡回診療、医薬品やミルクの寄贈、保健教育の実施。
ラチャマンカラ・スタジアムの避難所に乳児用ミルクを寄贈。
AMDAボートの受け取りと試運転。
孤立した村に救援物資を届けるAMDA チームライフジャケット15枚の追加輸送。

ミャンマー中部洪水被災者に対する緊急支援活動


救助される村人

◇実施場所 ミャンマー連邦共和国 マグウェ地域パコク郡
◇実施期間
2011 年10 月20 日〜 2011 年11 月11 日
◇派遣者 鈴木俊介(AMDA 社会開発機構理事長)、鈴木梓(AMDA 社会開発機構ミャンマー事務所業務調整員)
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成
AMDA 社会開発機構ミャンマー事務所
現地スタッフ

◇事業内容
ミャンマー連邦共和国では、2011 年10 月17 日から雨が降り始め、19 日午後8 時頃から急激な豪雨に見舞われた。豪雨によりミャンマー中央を流れるエーヤワディ川の支流が増水し、支流にかかる橋が崩壊したり、高床式の住居の屋根まで浸水したりするなど、周辺地域に深刻な洪水被害をもたらした。

AMDA グループは災害発生直後から現地スタッフによる被害状況調査を行い、パコク郡行政官、保健局等関係諸機関と連携し、10 月30 日からマグウェ地域パコク郡のAMDA プロジェクト対象地区とその周囲7 村(286 世帯、7,345 人)の被災者に対して、浄水フィルター、毛布、懐中電灯、衛生セット(タオル、石鹸とコップ、歯磨き等)などの支援物資を配布した。また、パコク郡保健局からの要請に基づき、仮設診療所で用いる医療機材等の供与も行った。11 月10 日と11 日は、第1 回目の配布が十分行き届かなかった9村(全1,669 世帯)の内、家屋が流されたなどの特に大きな被害を被った90 世帯に対して衛生キットの配布を行った。

◇現地協力機関
パコク郡行政、パコク郡保健局

トルコ東部地震被災者に対する緊急医療支援活動・復興支援活動


ケガの治療にあたる大類医師(右)と渕崎医師

◇実施場所
トルコ共和国ワン県エルジシュ
◇実施期間 2011 年10 月24 日〜 10 月30 日( 緊急救援)、2011 年11 月26 日〜 2011 年12 月3 日(復興支援)
◇派遣者 渕崎祐一医師、大類隼人医師、イュルディス・アフメット通訳/調整員、武田未央保健師、ヴィーラヴァーグ・ニッティヤーナンタン調整員/ AMDA 本部職員
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成
同上

◇事業内容
日本時間10 月23 日午後7 時40 分過ぎに、マグニチュード7.2 の地震がトルコ東部のワン県で発生した。トルコのエルドアン首相は、地震による死者が217 人、負傷者が1090 人に上ったと発表した。マグニチュード6.0 を含む余震が約100 回以上観測された。

AMDA は、地震発生の翌日10 月24 日にAMDA 本部から渕崎医師、大類医師、アフメット調整員の3 人を日本からトルコへ派遣した。AMDA の医療チームは、25日朝にワン市の空港に到着し、現地NGO「キムセヨクム」のワン事務所職員と合流。一行は最も被害が甚大だったワン県北部のエルジシュに到着し、患者が搬送されている仮設の病院(通称サハラ病院)での医療活動を開始。渕崎医師の神経内科、大類医師の胸部外科のそれぞれ専門性が求められることとなり、中心メンバーとして専門性を発揮した。被災地で医師の数が充足してきたことから、10 月30 日にワン県での活動を終了した。

地震から約1 か月経った11 月26 日には、AMDA 本部から調整員1 人と看護師1 人を派遣し、復興支援に向けてのニーズ調査を行った。AMDA が地震発生直後に活動していたサハラ病院は、場所を移して運営されていた。病院では300 人を超える医療スタッフが働いており、巡回診療なども行われていた。ワン県は、クルド人が多く住む地域である。スポーツを通じてクルド人とトルコ人の若者が交流し、復興に向けての絆を強めることができるように、AMDA は、エルジシュの行政機関を訪問し、若者を対象としたスポーツ親善交流プログラムの開催について協議した。

◇現地協力機関
トルコの国際NGO「キムセヨクム」(日本語で「そこに誰かいますか」の意味)

フィリピン・ミンダナオ島洪水緊急支援活動


薬剤の処方を待つ長い列

◇実施場所 フィリピン共和国 ミンダナオ島 カガヤン・デ・オロ、イリガン
◇実施期間 2011 年12 月21 日〜 12 月29 日( 第1 次)、2011 年12 月29 日〜2012 年1 月3 日( 第2 次)、2012 年1月12 日〜 1 月16 日(第3 次)
◇派遣者
(第1 次派遣チーム)武田未央 保健師/看護師、大山マジョリー 調整員/通訳、アミン・ユスフ 医師/ AMDA インドネシア、ラニ・ハムカ 医師/ AMDA インドネシア
( 第3 次派遣チーム) 菅波茂 医師/AMDA 理事長、ヴィーラヴァーグ・ニッティヤーナンタン 調整員/ AMDA 本部職員
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成
(第1 次派遣チーム)エマニュエル・D・パンギリナン大佐/フィリピン軍(AFP)、ヴィルヒリオ・ガルシア大佐/フィリピン軍(AFP)、フィリピン軍(AFP)ミンダナオ島第4 歩兵師団、フィリピン医師会
(第2 次派遣チーム)ローエル・サラ 医師/ AMDA フィリピン副支部長
(第3 次派遣チーム)プリミティボ・チュア 医師/ AMDA フィリピン支部長、AMDA フィリピンの医師3 人、調整員3人(うち2 人は大学教員)、フィリピン家庭医学会のボランティアスタッフ約25 人

◇事業内容
フィリピンでは、2011 年12 月16 日から17 日にかけて台風21 号が発生し、過去25 年間で最大と言われる被害を、南部のミンダナオ島にもたらした。フィリピン政府の発表によると、死者数は12 月末時点で1,249 人にのぼり、2009 年にマニラ首都圏を襲った台風オンドイによる死者を上回った。地元メディアによると、当時ミンダナオ島では2 時間のうちに通常一か月で降る雨量を記録した。多くの住民、中でも子どもが避難に遅れて濁流に呑み込まれた。

AMDA 第1 次チームは、12 月22 日と23 日に避難所のニーズ調査を行った後、24 日と25 日に巡回診療を実施した。24日は、カガヤン・デ・オロ市の4 か所で巡回診療を実施し、3,875 人の診察を行った。多くが咳などの呼吸器症状を訴えており、子供は咳などの呼吸器症状とともに高熱がみられる症例も多かった。同日に3か所の避難所で、水や米、缶詰、釘・ワイヤー、ブルーシート、毛布などを提供した。25 日は、カガヤン・デ・オロ市のセント・ルーデス高校でフィリピン医師会の医師およそ100 人と共に1800 人以上の患者を診療した。

2011 年12 月29 日から2012 年1 月3日までは、AMDA フィリピン副支部長ローエル・サラ医師が調査のためカガヤン・デ・オロ市とイリガン市に入った。その結果を受けて、2012 年1 月12 日に第3 次チームを派遣した。第3 次チームは、1 月13 日から16 日までの4 日間、カガヤン・デ・オロ市とイリガン市で巡回診療を行い、523 人の患者を診療した。患者の多くは女性と子どもだった。主な疾患は、風邪、咳、インフルエンザで、全体の75 〜80%を占めた。AMDA は最終日に8 箱分の医薬品をフィリピン家庭医学会のカガヤン・デ・オロ支部とイリガン支部に寄贈し、活動を終えた。

薬剤の処方を待つ長い列

◇関係者の声(2 月11 日に寄せられたメール)
カガヤン・デ・オロが所属する「フィリピン医師会第10 区」を代表して、2011年12 月25 日カガヤン・デ・オロ市マカサディング、ルーデス体育館で行われた台風センドンの被災者に対するドクター・サンタ医療ミッションへのあなた方の多大な支援に心から感謝いたします。ドナーからの救援物資が遅れて到着するなかで、あなた方は我々の唯一の救いでした。その日の活動は大成功で1800 人以上の患者を診療することができました。あなた方はその中で大きな役割を果たされたのです。私たちも、あなた方のお役に立っていたとすれば幸いです。改めて、感謝申し上げます。

フィリピン医師会第10 区 ヴェロニカ・E・バガイポ医師

◇現地協力機関
・フィリピン軍(AFP)第1 技術行政サービス大隊
・フィリピン軍(AFP)ミンダナオ島 第4 歩兵師団
・フィリピン職業医科大学(Philippine College of Occupational Medicine)
・フィリピン家庭医学会(Philippine Academy of Family Physicians)

東日本大震災支援活動


大槌健康サポートセンターの内鍼灸院で鍼灸治療を行う様子

気仙沼市南町紫商店街を練り歩く
大槌町伝統芸能の臼澤鹿子踊り

志津川病院のみなさんと派遣者

◇実施場所 岩手県上閉伊郡大槌町、岩手県釜石市、岩手県大船渡市、宮城県仙台市、宮城県気仙沼市、宮城県本吉郡南三陸町、宮城県登米市
◇実施期間
2011 年3 月12 日〜現在継続中
◇派遣者  菅波茂医師(AMDA 理事長)を含む173 人 (医師23 人、看護師41 人、准看護師3 人、助産師2 人、薬剤師3 人、心理士3 人、鍼灸師3 人、医学生21 人、看護学生27 人、調整員47 人)

◇事業内容
2011 年3 月11 日に発生した東日本大震災の翌日から第1 次緊急医療チームが被災地へ入り、4 月末までの間、被災地にて緊急医療支援活動を行った。避難所での診療活動の他に、巡回での診療活動、またビタミン剤の配布やレクリエーションの企画、運営、栄養プログラムの実践など、その時の避難所や被災地のニーズに即した支援活動を行った。

2011 年5 月からは「3 か年復興支援」として、「医療・健康支援」「教育支援」「生活・自立支援」の3 つの分野において、現地のニーズを常に見極め支援活動を継続している。現在実施している支援活動は以下のようなものである。

「医療・健康支援」としては志津川病院(南三陸町、登米市)大槌病院へ、夏季、冬季、春季に医療スタッフの派遣を現地のニーズに合わせて実施。また猪苗代病院(気仙沼市)に医療物資の提供のほか長期勤務が可能な看護師の呼びかけなどを実施。他にも緊急医療支援活動時に活動を共にした、被災地の医師らの独立、開業に医療機器、医療物資などの支援を行っている。また、鍼灸治療や地域のコミュニティースペースを設置した「AMDA大槌・健康サポートセンター」を建設し、地元住民の心身の健康づくりに活用されるよう運営している。

「教育支援」としては被災地の高校生を中心とした「AMDA 国際奨学金」の支給をはじめ、被災地の中学生を岡山に招へいして実施した「スポーツ交流事業」ま大槌高校吹奏楽部を岡山、広島に招へいして開催した「東日本大震災絆コンサート」などがある。さらに、制服支援や副教材支援なども実施した。

その他に「生活、自立支援」として、震災発生から交流が途絶えていた被災地の商店街や、住民をつなぐ被災地間相互交流プログラムを実施。その他にも震災ホームレス支援などを実施した。

◇被災地の声
AMDA には継続的に医師や看護師の派遣をしてもらって、本当にありがたいです。このような状況ではAMDA のように活動する方々が居なければ、成り立たないです。
(志津川病院 医師)

◇参加者の声
一見普通に仕事をされていた多くの看護師さんは被災者であるにもかかわらず、震災直後から働かれてきた事に敬意を表します。身体的・精神的にどれだけ疲れていたか・・・しかし地元の人にとって志津川の看護師さんの働きにどんなに助けられた事か計り知れません。来院される患者さんと看護師さんの会話はまるで家族のようで温かく、優しく包み込むようでした。震災によって大きく環境が変わり、病気の進行や新たに引き起こす疾病もあるかと思います。それらを見つけてあげるのが、この診療所の役目でもあり、とても大きな任務を背負っている事を感じました。この診療所での経験を出来るだけ多くの人に話し、今後もサポートできることがあれば行っていきたいと感じました。AMDA の皆さんありがとう
ございました。
(夏季医療者派遣参加 ボランティア看護師)