
AMDA 理事 沖 陽子 先生
今回の AMDA インタビューは、今年 AMDA の理事に就任した岡山県立大学前学長の沖陽子先生です。(聞き手: あるちゃな ジョシ)
AMDA
AMDA と出会ったきっかけをお聞かせください。
沖
私が岡山県立大学(以下、県大)で副学長を務めていた頃、菅波前理事長とのご縁がきっかけで AMDA と出会いました。その後、2010 年には県大と AMDA が包括協定を締結し、国際協力や人材育成などで交流を深めました。さらに 2013 年には総社市を加え、三者協定を結びました。これは、「災害支援、地域連携、地域貢献」を柱とし、南海トラフ地震のような大規模災害への備えも視野に入れたものです。私の任期中に具体化することはできませんでしたが、こうした取り組みは今後の発展に向けた大きな礎となっています。そして 2017 年 12 月には、『AMDA こども食堂支援プラットフォーム』に顧問として参加しました。発足式の際には、県大の学生自治組織である支援団も会場整備などに積極的に関わり、学生にとっても貴重な経験となりました。
AMDA
学長として県大の学生にどのような学びを望まれていたのでしょうか。
沖
学生には “ 受け身ではなく主体的に考え行動する力 ”と ‘’ 国際的な視野 ” を育んでほしいと考えてきました。その思いを強くしたのは、総社市の防災訓練で学生の参加が乏しかった経験です。その直後に西日本豪雨災害が発生し、県大の職員や学生が AMDA や市と連携して活動を行い、大きな役割を果たしました。この経験から “ 待ち ” ではなく主体性が災害対応に不可欠であると知り、体制づくりの重要性を痛感しました。そこで学生が考え、行動する場として『吉備の杜創造戦略プロジェクト』を立ち上げ、地域創生に資する学びを推進しました。さらに AMDA の協力によるネパールの市長らの訪問や国際支援活動を通じて、学生が小さな一歩から国際的な視野を広げる機会を得ることができたと思っています。
AMDA
災害時における県大とAMDA との連携についての考えをお聞かせください。
沖
県大は立地条件や広大な敷地、多くの人材という強みがありながら、防災や救援活動への意識は十分ではなく、近隣自治体に頼る面もありました。しかし、大規模災害時には、大学自らが市民を支える力を備える必要があります。在任中、吉備の杜創造戦略プロジェクトにおける課題解決型学習を通じて行政や企業と連携し、学生が防災課題を考える機会を設けました。また、教員も専門領域を活かして防災研究に取り組み、災害に対する備えへの意識が広がりつつあります。さらに、平時は交流拠点、有事には避難、指令、生活支援の機能を担う “ 防災機能を備えた施設 ” の構想を温めており、AMDA や自治体と連携しながら具体化することで、大学は地域の防災拠点として重要な役割を果たせると考えています。
AMDA
AMDA の理事として、これからの活動への想いをお聞かせください。
沖
私はこれまで研究や教育の場で、常に現場を重視し、学生には、“ 現場こそが最大の先生である ” と伝えてきました。こうした姿勢は AMDA の理念である「現地主導、パートナーシップ、相互扶助」にも重なっていると思います。特に変化の激しい時代に柔軟に対応できる ” 雑草型人材 ” の育成を重視し、学外の立場から、大学や自治体、企業と AMDA をつなぎ、災害支援や国際協力の場で動ける人材を育てたいと思います。