連載インタビュー「支える喜び」シリーズ第31回 フィリピン大統領府 事務次官 グロリア メルカド様 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

連載インタビュー「支える喜び」シリーズ第31回 フィリピン大統領府 事務次官 グロリア メルカド様

連載インタビュー「支える喜び」シリーズ第31回
フィリピン大統領府 事務次官 グロリア メルカド様

AMDAを支えてくださっている方々の様々なエピソードをインタュー形式でお届けします。今回は、フィリピン大統領府 事務次官 グロリアメルカド様(以降敬称略)です。 (聞き手:AMDAフィリピン担当 岩尾 智子)
 

AMDA

AMDAとの出会いをお聞かせください。
 

メルカド

2013年に、私のルーツであるフィリピン・ボホール島を襲ったM7.2の地震に対する緊急支援活動がきっかけです。当時、政府教育機関であるフィリピン開発アカデミー(DAP)副学長兼大学院学部長を務めると同時に、[pagebreak]緊急支援活動にも携わる海軍予備役ビサヤ地域の司令官も任されていました。長年の親友であり、DAPの教授でもあったエドアルド・ラカニエンタ医師よりAMDAを紹介していただきました。その後AMDAチームとマニラで合流し、被害が深刻だったボホール島マリボホックにて一緒に支援活動をしたのが最初です。数日でチームをフィリピンに派遣するAMDAのスピード感には驚きました。
 

AMDA

2017年、フィリピン大統領府とAMDAは協力協定を締結することができました。その際も、大統領府官房長官上級秘書(当時)としてメルカド氏に調整していただきましたね。
 

メルカド

AMDAが提唱する世界平和パートナーシップ(GPSP)構想をフィリピンで具現化したいという思いもあり、協力協定締結に向けて調整しました。この構想は、平和構築、健康増進、教育支援、生活支援の4分野におけるプロジェクトを通じて平和の実現を目指す取り組みです。平和を阻害する災害、貧困や紛争などの問題解決に向けて、国内外の信頼できる組織とともに、より多くの人に必要な支援を届けられる仕組みだと信じています。加えて、緊急支援活動を一緒に行い、2014年に本部のある岡山で開催されたAMDA設立30周年式典に参加する中で、AMDAが信頼できるパートナーであることを確信していました。さらに、2013年ボホール島地震緊急支援活動を行ったマリボホックの当時の市長が、2016年に官房長官となったレオンシオ・エバスコ氏であったことも協力協定締結を実現できた要因です。彼はAMDAという団体とAMDAの支援活動のやり方を理解していました。
 

AMDA

2019年に来日された際、広島大学で「ミンダナオ島における和平構築プロセス」についてお話しされた様子がとても印象的でした。その和平構築に対する情熱はどこからきていますか?
 

メルカド

最初のボホール島地震緊急支援活動にて(
中央:メルカド氏)

初任地としてミンダナオに着任したのは1979年。当時はミンダナオ紛争の緊張が高まっていた時期でもありました。そこに住むことで人々の生活を目の当たりにし、ミンダナオの持つポテンシャルを感じました。和平構築に携わる中で、当初仕事上で関わっていた人たちと、いつしか顔の見える関係になり、その人たちの身の上に起こることを自分のこととして感じるようになり、情熱を注ぐようになりました。2019年、和平プロセス担当大統領顧問室事務局長としてミンダナオ島の和平構築に関わることになった際、紛争に終止符を打ち、島の発展に道筋をつけることに注力しようと心に決めました。一人では成し得ませんが、多くの人が強い情熱を持って取り組むことで実現できると信じています。例えば、経済的理由からISIS*の戦闘員にならざるを得なかった息子や夫を持つ女性たちが村八分にされている話を本人たちから直接伺いました。政府としてはフィリピン人であるISIS関係者も通常の生活が送れるよう支援する義務があります。そこでそのような女性たちを対象とした生活支援事業を行うことになりました。
 

AMDA

今後の展望をお聞かせください。
 

メルカド

42年間フィリピン政府職員として関わってきた繋がりを活かし、退職後も和平構築や緊急支援活動を含む人道支援活動に邁進します。特に近年、世界各地で多発している災害に対応するため、AMDAが準備を進めている「世界災害医療プラットフォーム・アジア・大洋州版」にも、フィリピンやASEAN(東南アジア諸国連合)諸国とのネットワークを存分に活かせるものと思います。
*イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」