AMDA中学高校生会を卒業した人たちから寄せられた現在活動の様子をご紹介します。2/2 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

AMDA中学高校生会を卒業した人たちから寄せられた現在活動の様子をご紹介します。2/2

AMDAボランティアセンター事務局長
AMDA中学高校生会担当 竹谷和子

今回は、前回の政木英永さんから寄せられた記事について後半をご紹介します。


Education for Dream(?)
AMDA中学高校生会2018年卒業
慶應義塾大学二年生 政木英永

私が具体的にどんな授業をしていたのか、また生徒たちとどう関わってきたか、そして、AMDAでの活動がベトナムでどのようにして生かされたのかを述べます。
私が授業を設計する上で、2つ重要視していたポイントがあります。「アウトプットとインプットのバランス」と「日常的に使える英語の習得」ということです。
まず、一つ目の「インプットとアウトプットのバランス」とは、約1時間半に渡る授業の中で、暗記して習得したものを「使えるようになる」という段階を入れていくということです。単語や文法を暗記することが主とされる日本の詰め込み教育は完全にインプットに偏りすぎていると私は思っています。それに対して、私が高校留学の時に体験したアメリカの教育では、自分の意見を発表したり書いたりすることでアウトプット中心の授業がほとんどでした。その手段として、現地の高校ではディベートやディスカッション、レポート作成などが非常に多かったです。しかし、私がベトナムで指導していた生徒の年齢層は小学生が中心。そのため、ディベートやディスカッションを積極的に取り入れることは決して簡単ではありませんでした。だから、どのようにしたら生徒たちがアウトプットをできるか、受身にならないようにできるかと試行錯誤を重ねました。その結果、彼らに前に出てきてもらってスキットをやってもらったり、先生と一緒に会話する時間を設けたりしました。生徒がただ「参加する」授業ではなく、生徒と先生が授業を共に作り上げる雰囲気を常に心がけ、成功したのではないかと思います。

そのアウトプット中心の授業の中でも、文法や単語のインプットと日常会話が常にベースとなっていました。レストラン、ホテル、買い物の時など、授業ごとにシチュエーションを定めて、2人での対話形式の2往復ほどの会話文を提示します。そこの中から出てきた単語や新しいフレーズをインプットしてもらいました。日本の教育の中でも「使える英語」を学べる授業はなかなか行われていないと思います。日常的に使えるようになる、ということを念頭に私たちは生徒たちに会話文を投げていました。カンバセーション、コミュニケーションを通しての授業の楽しさに気づいてくれたことを、非常に嬉しく思います。

AMDA中学高校生会に4年間在籍していた中で、一番印象に残っているのは「意見をぶつけ合い、自己と他者の理解を深める」ということです。元々自分の意志をうまく表現できなかったり、一方的に発言をしてしまったり、協調性が欠けていた私を、AMDA中高生会が変えてくれました。そしてベトナムでは、日本人大学生2人との毎日の活動が非常に有意義になったのも、AMDAで培った「言葉のキャッチボール」ができたおかげだと思います。私たち先生3人で、4クラスに分かれている60人の生徒を教えることは決して容易ではなく、意見の食い違いや不一致などもたくさんありました。でも毎日お互いの授業をフィードバックしたり、言われたことを吸収したりできたことで、6週間という長いスパンで見た時の成長が見られたのだと思います。AMDAでの経験が、陰ながら自分を支えてくれていることに、またこうしてたくさんの経験を積むことができていることに感謝しています。