馬の骨の恩 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

馬の骨の恩


2002年フィリピンの農家さんと

「どこの馬の骨ともわからない」というのは、日本語で素性のわからないものをよそ者扱いして言う言葉だそうです。

自分の生まれ育った場所を一歩出た瞬間、私たちは「どこの馬の骨」状態です。どこの誰だかわからない人。新しい学校、新しい職場。新しい地域。そして新しい国で。

しかしどんな場所にも、どこの馬の骨かわからない私を受け入れてくれる人が、必ずいるものだと私は今確信を持っています。履歴書も肩書も血統も関係なく私を受け入れてくれる人に対して、私は「馬の骨の恩」がある人だと思い、それに対する感謝を一生忘れないと思うのです。

私が初めに馬の骨の恩を感じたのは、私が大学生だった16年前に稲作の調査に訪れたフィリピンの南ルソン地域の農村の人たちでした。

バス乗り場で迷っていると、「どこから来た?? どこに行く??」と知らないおじさんが気さくに流暢な英語で話しかけてきて、私が片言でここに行きたいというとそこまで案内してくれ、交通費まで出してくれたのでした。全く知らない人で、名前も聞けませんでした。

ハロハロ屋(フィリピンのかき氷みたいなもの)に入れば、「あんたフィリピン人じゃないね?? ベトナム人??」 「あぁ、日本人?? ここでは戦争中沢山の人が殺されたよ。」 「But now, we are friends」と言って笑顔を見せてくれたハロハロ屋のおばさん。

SNSなどが発達していなかったころのことで、彼らにはもう連絡できそうにありません。私に親切に接してくれたあの人はどこの誰だったのか。名前も住所もわかりません。元気にしているのだろうかと時々思い出します。

相手は誰でもいいのだ。たとえ相手がどこの馬の骨であろうと、自分に今できる最大限のことをしてあげる。そんな姿勢をフィリピンの人たちに教わって、いつか海外と関わる仕事をしたいとずっと思い描き、AMDAに勤務し始めて4年目になりました。

今も、同じ職場の人たち、寄付者の人たち。そして訪問のたび歓迎してくれる海外の人たちへの感謝が絶えません。

私も馬の骨の恩を少しずつまわりの人たちに返していきたいという思いで毎日を過ごしています。

田中 俊祐