熊本地震被災者医療救援活動と自治体連携 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

熊本地震被災者医療救援活動と自治体連携


2016年4月14日。熊本地震発生。死者49名、被災家屋3万棟以上。「まさか熊本が」。予想外だった。

私はクアランプールにいた。帰国は4月18日となったが、本部事務局の初期対応は迅速だった。3年前から準備していた南海トラフ災害対応医療ネットワークもフル活動した。NPOアムダ幹部職員の実家が被災した熊本県益城町の町立広安小学校避難所を活動拠点に決定。翌日の4月15日から緊急医療支援活動を開始した。5月5日で救護所緊急医療活動を終了した。理由は益城町の開業医による保険診療の復活である。

引き続き、体育館に移った避難室に看護師、理学療法士、鍼灸師を、福祉避難所介護に介護福祉士を、テント村救護室に看護師をそれぞれに派遣した。全国から多くの医師や看護師等の応募をいただいたが、時期によっては断らざるを得なかった。

今後の大規模災害被災者救援活動には是非とも参加していただきたい。ちなみに、5月16日までの派遣者数は合計108人。内訳は、医師15人、看護師30名、薬剤師5名、介護福祉士16名、理学療法士4名、鍼灸師25名、調整員13名。更なる活動として、岡山からの大学生ボランティア25名を3日間受け入れ、AMDA支援農場の竹内洋二代表世話人による炊き出し、AMDA中高校生会などの街頭募金などがある。活動を支える募金に本当に感謝したい。

今回は特筆すべきことが二つある。一つは自治体連携の具現化である。合計175張りのテント村の設営と運営がある。熊本地震では家屋全壊などで多くの被災者が車中に泊まる。その結果、エコノミークラス症候群のために3人が死亡した。テントは被災者から喜ばれた。「足が伸ばすことができる」と。

テントは総社市から益城町まで「AMDA南海トラフ災害対応プラットフォーム」参加の自治体である高知県、高知市、須崎市(高知県)、黒潮町(同)、徳島県、美波町(徳島県)、牟岐町(同)、海陽町(同)、総社市、香川県丸亀市の車両と、十字屋グループからの給水車など加え、職員とボランティア計28名が搬送と設営をした。運営は主に総社市職員と市民ボランティアである。総社市は職員を延べ47人派遣した。備前市の新規参加もうれしい。

二つ目は南海トラフ災害対応に不可欠な海外からの支援だ。「友あり、遠方より来る」。NGO台湾ルーツのメンバーが来日した。台湾政府の国際衛生行動隊(台湾IHA)と7月9日の第3回調整会議にも参加予定である。

いみじくも熊本地震直後の4月16日。エクアドルで大地震が発生し、600人以上が死亡、1万2000人以上が負傷したとされる。大統領が非常事態宣言を発令した。AMDAインターナショナルの二ティ・事務局長を派遣した。首都キトにあるサンフランシスコ・デ・キト大学医学部と合同で被災者支援活動を実施した。AMDAコロンビア支部とボリビア支部からの医療チーム派遣を、エクアドル政府の「海外医療チームの支援不要」の宣言で見送らざるを得なかったのは本当に残念である。

世界中で災害が多発している。この秋から太陽の黒点の著しい減少が予測されている。寒冷化、太陽嵐と災害発生が心配だ。熊本地震被災者支援活動では多くの教訓をいただいた。複数の活断層に沿って大分県へと地震発生が続いた。延長線上に位置する伊方原発(愛媛県)が壊れたら放射能は東へと拡散し、大惨事発生となる。被爆対策の必要性を強く感じた。

AMDA南海トラフ災害対応プラットフォームの仕上げを急ぎたい。益城町での活動は今も継続しているが、今回、ここまでの活動でお世話になった自治体、岡山県介護老人保健施設協会、岡山経済同友会、十字屋グループ、BERT、野口健・総社市観光大使など多くの方々と団体に心からのお礼を申し上げたい。