2015年4月25日土曜日は、ちょうどネパールから両親が来日しており、一か月余り日本に滞在した両親と日本でとった写真を整理していました。
写真が趣味の主人がたくさん写真を撮ってくれたので、「日本の旅がとてもよかった、たくさんの思い出ができたね」と話をしていました。その時に、岡山にいるネパール人の知り合いから一本の電話が入りました。とても慌てた声で、「ネパールで大きいな地震が発生したので、すぐにネパールにいる家族に連絡取るように」と。
「ネパールで大きな地震が発生した」なんだか頭が真っ白になり、その話を信じられなくて、すぐに、ネパールにいる妹に電話をしましたが、つながりませんでした。
何をすればよいのか考えていたその時、一人の知人がカトマンズで起きた地震によって、お寺が次々と破壊している写真をフェイスブックにアップしました。
不安が一層大きくなり、その後ずっと妹に電話し続けました。やっと電話がつながり、大きな地震があったが、自分たちは無事で、家に向かっていると言われたので、少し安心しました。
しかし、私は自分にできることがすぐに思いつかなくて、ただただ、怖くて不安な気持ちでいっぱいでした。そして、ネパールにいるたくさんの知り合いのことが思い浮かび、次々と電話をしましたが一人もつながりませんでした。
不安が募る中、やっと夕方に電話がつながり、主人の両親をはじめ、親戚の安否確認ができました。
その頃、私のパソコンに、4月後半からインターンをすることが決定していたAMDAから、一本のメールが入っていました。
「ネパール大地震被災者の救急救援活動を実施するために日本から二人のスタッフが26日にネパールに出発する予定。ネパールの情報を知りたいので、電話するように。」と書いてありました。
遠い日本から母国のためにすぐに動いていただいて本当に胸がいっぱいになりました。
しかしその夜は、インターネットに流れるネパールの情報をただひたすら見て、とても心配と不安が募り、本当に心が破裂しそうになり、頭がガンガン痛みました。
次の日の朝、すぐにAMDAに電話をしました。すると、もうすでに派遣チームがネパールに向かっていて、AMDAネパールの医師や職員も救援活動を始めていることが知らされました。
「アルチャナさんの時間があればAMDA本部に来てネパールの現状を把握するために、情報収集してほしい」と頼まれました。母国が大変な時に自分が何もできないと思っていたその時に、AMDAで自分が被災地・母国のために役立てることができてとても嬉しく思いました。
4月27日月曜日からAMDA本部のインターンとして、ネパールの情報収集に取り掛かりました。
現地の情報が錯綜する中、現地との調整を行うコーディネーターの必要性を大きく感じ、自分が母国のために、もっと出来ることがあるなら・・・と
現地調整員として、菅波代表と一緒にネパールに行くことを決断しました。
母国のために自分ができることを、実現させてくださった、支援者の方、そしてAMDAへ感謝しています。
アルチャナ シュレスタ ジョシ