プロジェクトオフィサー 神倉 裕太郎
2018年7月にインドネシア・ロンボク(Lombok)島にて地震が発生、同年9月にも同じくインドネシア・スラウェシ(Sulawesi)島にて地震が発生し、合わせて2,500人以上の方が亡くなるなど甚大な被害が出た。その復興活動もまだまだこれからという中、12月22日にインドネシアのジャワ(Jawa)島とスマトラ(Sumatra)島の間にあるスンダ海峡で津波が発生し、400人以上の方が犠牲になった。
私は12月の津波の緊急支援活動として、AMDAインドネシアチーム(医師2人、看護師1人、医学生1人)と一緒に調整員として活動を行った。3カ月おきに起こる大きな災害で、インドネシアの方々はとても不安な思いでいるだろうと予想しながら現地へと向かった。12月25日にはAMDAインドネシアチームが被災地のバンテン(Banten)州にて活動をスタートしており、私は27日に途中合流する形での活動のスタートとなった。私が合流した時点で既にAMDAインドネシアチームは被災地への巡回診察と物資支援を行っていたが、合流後、更に医療支援ニーズを探るためにバンテン州の中でも一番被害の大きかったパンデグラン(Pandeglang)県の医療本部の情報を得ながら活動を進めることになった。
パンデグラン県に置かれていたバンテン州防災局の災害対策本部や、医療本部を訪ね情報収集した。パンデグラン県の医療本部は、自治体が運営している各地域に置かれているクリニックに医療チームを派遣・管理することで、被災地の医療ニーズをカバーしていた。私達が12月27日に医療本部を訪ねた時点では、地域のクリニックには医療チームがスタンバイしており、AMDAチームは被災地での巡回診察をメインに行うことにした。
翌28日からパンデグラン県の海沿いの津波の被害を受けた地域を中心に巡回を行った。パンデグラン県の海沿いの地域では全壊の家も多数あるものの、津波が来なかった家や、被害が比較的少なめな家もあった。そのため、避難指示が出ているが日中は避難所ではなく家で過ごされている方もいて、足を怪我されている方、体調を崩されている方もいらっしゃった。医療本部がクリニックを管理しているとはいえ、足を怪我されている方や高齢の方などクリニックに行くのが困難・億劫だったりで、医療支援を受けていない方々であった。今回深刻な所見は見当たらなかったが、そういった方々に健康診断や傷の手当を実施できたことはよかったと感じている。巡回診察を続けている中、「(私が避難している)スカジャディ(Skajadi)は、クリニックも遠く巡回診察が来てくれたらありがたい」という情報を入手し、海沿いの地域の方が避難している地域であるパンデグラン県スカジャディでも医療支援を行った。海沿いの地域ではお店がほとんど閉まっていて食べ物の入手が難しいという声があり食べ物の配布、そして避難所には赤ちゃん用品がないという声を受けオムツやベビーフードの配布などの物資支援も同時に行った。28日~30日の巡回調査・診察で計38人に医療支援、50世帯と275人に物資支援を行った。
31日には、パンデグラン県医療本部から連絡を受け、パニンバン(Panimbang)という地域で医療支援を行った。パニンバンは山手の地域ではあるが、海沿いの地域の方が避難してきており、1つのクリニックとパンデグラン県防災局運営の仮設テントによるフィールドクリニックが設置されていた。AMDAチームはフィールドクリニックにて午後から夕方まで医療チームとして待機した。被災者の他、首都のジャカルタからボランティアに来ている方も診察にいらっしゃり、毎日のボランティア活動でかなり疲れている様子であった。またフィールドクリニックの帰りの道中に、パンデグラン県シダムクティ(Sidamukti)にある避難場所にもなっていたモスクにも立ち寄った。夜の7時を回っていた為、たくさん方が夜をモスクで過ごすために集まっていた。人数は把握されていなかったようだが、決して広くはないモスクの建物内外にたくさんの方々が雑魚寝をしていて、建物の中は蒸し暑く外は少し肌寒かった。寝るのにいい環境とは言えない中で、風邪の症状や熱発など、体調不良を訴える方に診断、薬を手渡した。また熱発で診察に来られた13歳の男の子に健康診断の結果、循環系疾患の疑いがあることが分かった。深刻な病気の疑いもあるため、カルテを母親に渡し近所のクリニックに受診を促した。この日、フィールドクリニックとモスクにて計34人に対し健康診断を行った。
翌日、私達AMDAチームが宿泊していたホテルに、駆け込みで7人の被災者の方やボランティアの方などが診察に来られた。海沿いの地域に住んでいて夜は避難場所で過ごしている女性の方は、「昼間は海沿いの地域で仕事をしているが、海沿いの地域のクリニックは閉まっていて、病院受診ができていない。」とおっしゃっており、AMDAチームの医師が宿泊していると聞いてホテルに駆け込み診察に来られた。同じくホテルの従業員も、「仕事を終えて夜に避難場所に帰ると、食べ物が無い時がある。」という声があり、夜は避難所で寝ているという従業員の方々に50世帯分の食料を手渡した。「(津波がまた来るかもしれないので、)本当は海沿いで働きたくないが、仕事だから仕方がない。」という声もあった。インドネシア国内で医療支援や物資支援がなされているが、色々な事情によりカバーされていない方々や、災害の弊害は他にもあるだろうと感じた。
その後、海沿いのパンデグラン県の海沿いの地域の方が避難しているススカン(Susukan)という山手の集落に向かった。ススカンは避難所が設置されているわけではないが、一般の家庭に海沿いの地域の方々約200世帯が避難しているそう。インドネシア国内の民間団体などから食料の支援が入っているが、毎日数もばらばらで安定した支援が入っていないとのことであった。こちらの集落に支援物資の備蓄として食料支援を行った。子どももたくさんいた為、子ども用のおやつやパン、オムツなどの赤ちゃん用物資も配布した。被災地の子ども達が少しでも楽しめる時間を作れるように、AMDAインドネシアチームのメンバーがゲーム感覚でおかしやパンを配布した。子ども達が笑うとお母さん達や周りの大人達も笑顔になり、被災地ではありながら笑顔が多かったことが印象的であった。
今回の活動の中で、避難者の方より「日本からありがとう」という言葉をいただいたが、被災地で津波により崩壊した家屋を見ると、この津波が日本でも起きたらと思うと他人事とは思えなかった。今回が災害支援活動に参加するのが初めてだったというAMDAインドネシアチームのメンバーも、「同じことが自分の地元や、知り合いの下で起きたらと思うととても悲しい気持ちになり、今回の支援活動を行った。」と言っていた。このような悲しい災害がインドネシアで、そして日本でも起こって欲しくないと願うと共に、インドネシアも日本も災害が多い国同士、もしもの時はこれからも協力していこうとAMDAインドネシアチームの医師達とも話をした。
2018年はインドネシア国内で非常に災害の多い年であり、今も復興活動が続いている。一刻も早く被災された方が普段の生活に戻れるように願う。