2018年1月17日、18日にAMDAグループ代表の菅波がロヒンギャ難民キャンプの視察を行いました。
以下、菅波による難民支援医療活動についての手記を掲載いたします。
AMDAは1984年の発足後 59ケ国で190件の緊急人道支援の貴重な経験した。日本人の私たちが想像する以上に異なる海外の事情にどのように対応するかということである。災害が発生した時にその国の医療水準があまりにも低いので情と義にかられて助けに行く。「救ってあげる」と。先進国特有の無意識な思い上がりが多い。医学は国境を超えるが、医療は文化(集団の価値観~社会慣習)にもとづいている。医学的には、現地の人たちの教育レベルと医療知識の有無が非常に大切である。例えば、抗生物質に対する耐性菌の問題である。難民キャンプでは、難民の人たちは症状が止まれば抗生物資の使用を中途半端に中止するか転売をする。そのため耐性菌が蔓延することがある。インドでは腸チフスの特効薬と言われたストレプトマイシンも、不適切な使用による耐性菌の出現によりすでにその特効力を失っている。日本では当たり前に使用している広域性抗生物質は、WHOの規定により、耐性菌発生防止のために新興国の地域によっては使用禁止である。加えて、先進国の医師たちが詳しくない風土病がある。対策は唯一つしかない。現地の医師の治療に関する常識を尊重すること。これがAMDAの提唱する「ローカルイニシアチブ」である。
難民には2種類ある。一つは昨日まで普通の市民生活を送っていたのに突然難民化した人たち。もう一つが低い生活水準の生活まま難民化した人たち。前者はルワンダ難民やソマリア難民である。大学卒の教育水準の高い人たちもいた。この時は、難民キャンプ内で健康・衛生ボランティアの教育をして喜ばれた。修了書も贈呈した。「AMDAは私たちに教育をしてくれた。欧米のNGOとちがう」と。しかし、ロヒンギャ難民は後者である。1992年に紙芝居で衛生教育をした時、誰も本気で学ばなかった。理由は紙芝居の登場人物がバングラデッシュの服装でロヒンギャの服装でなかった。あれは私たちではないという単純な理由からだった。
難民キャンプでの診療の特徴は問診、理学的所見が重要なこと、使用するのは聴診器と血圧計である。笑ってはいけない。阪神大震災や東北大震災の時の避難所における診察風景とよく似ている。高齢化している日本では避難所には生活習慣病の高齢者の人たちが多い。通常の時には、糖尿病ならば血糖値などの検査にもとづく投薬や、心疾患や高血圧症なら血圧測定に加えて心電図や心臓超音波検査が普通である。何故か、災害時にはこれらの検査があまり行われない。医師、看護師、薬剤師に臨床検査技師が医療チームには不可欠という動きがない。不思議である。
AMDA診療所の場所が狭い。患者が130~150人から受診する現状では狭すぎるが、場所が確保できない。もう一台バンを借りて心電図、超音波そして簡単な血液検査機器を装備する。そのバンを診療所の横の道に設置して活用をする。「移動臨床検査センター」を考えている。それ以上に我慢できなかったことがあった。患者たちが直に地面に座って診察待ちをしている光景である。他の団体の診療所でも同様だった。来る5月の雨季には地面がどろんこになる。直ちに、簡易ベンチを2列に設置するように依頼した。これは患者に対する敬意の問題である。イスラムの女性患者を直接に診察できるスペースの確保も同様である。
難民であることと患者であることは別である。心して取り組みたいと思っている。
第3弾に続きます。