フィリピン・ミンダナオ島難民支援 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

フィリピン・ミンダナオ島難民支援

避難所の子どもに「お絵かきセット」を
手渡すAMDAスタッフ

2017年5月23日にフィリピン・ミンダナオ島マラウィ市で起きた武力衝突は現在も続いており、フィリピン政府はミンダナオ全土において12月末まで厳戒令を敷いています。フィリピン社会開発省によると359,680人の難民が発生し(8月30日時点)、避難生活を余儀なくされています。

AMDAは武力衝突が始まった当初から現地協力者と連絡を取り合いながら状況を見守っていた中、7月末に難民支援の可能性について話し合うためAMDAから2名をフィリピンに派遣しました。内1名はミンダナオ島出身で、岡山倉敷フィリピーノサークル*代表である大山マージョリー氏。

マニラでフィリピン大統領府長官筆頭秘書官であるメルカド氏にお会い情報を共有いただきました。マラウィ市の一部は武力衝突により建物は破壊されていて、難民全体の80%が親戚などの家に一時的に身を寄せており、避難所生活を送っているのは全体の約20%。彼らは長引く避難所生活により心身共に疲労し、生活環境も厳しい状況であることからAMDAが支援を決定しました。避難所の子どもたちへはクレヨンと画用紙・塗り絵を入れた「お絵かきセット」の配布、市内のアマイパクパク医療センター(APMC)へは医薬品、医療資材の提供を行うことにしました。
 

マニラで医薬品を購入

マニラで購入した物資をミンダナオ島へ空輸

8月2日にミンダナオ島入りしたAMDAはイリガン市にある、APMCの事務機能を一時的に担っているサテライトオフィスを訪問しました。マラウィ市のAPMCは一部機能しており、主に手術で用いる医薬品などが不足していることから、マニラで物資を購入し手渡しました。続いてAPMCが担当する避難所であるイリガン市マヤ・クリスティーナ地区(Barangay Maya Christina)を訪問。車窓から見る町の風景は以前と変わりませんが、ところどころにある検問に並ぶ人々や車の列を目のあたりにし日常との違いを改めて認識しました。

避難所には保健省の救護所テントがあり、医師、看護師などの医療ボランティアスタッフによる診察と薬の提供を行っており医療環境は整っていたものの、住環境は厳しい状況でした。屋根はあるものの壁はなく吹きさらしで、床もコンクリートのため夜になると冷えます。そこで221世帯1,082人が避難生活を送っており、6か月以下の新生児も9人いました。AMDAは、遊び場のない子どもたちに少しでも楽しんでもらいたいという想いから、この避難所の未就学児91人に「お絵かきセット」を配布しました。子どもたちは受け取るとすぐにセットを開け、絵を描き始めました。その他409セットは他の避難所に住む子どもたちに配布いただくため、保健省地方オフィス担当者に渡しました。「お絵かきセット」は保健省が行うアートセラピーでも今後使用されます。

セットを開け塗り絵を始める子どもたち

保健省地方オフィスに「お絵かきセット」を
手渡すAMDAスタッフ

避難生活を送っている女性から話を聞いたところ、「着の身着のままで、幼い4歳の子供を連れて祖母、両親、夫、弟、妹と一緒にマラウィ市からイリガン市まで1日歩き続けた。避難所での限られたスペースでの生活にプライバシーはない。昼間は暑く、夜は気温が下がって肌寒いのがつらい。政府による缶詰に入った食材の配給はあるが、飽きてくる。缶詰を野菜やフルーツに交換して新鮮な食材を手に入れることもある。キッチンがないので料理もできない状態が続いているものの、持っている炊飯器で簡単な調理はしている。」とお話いただき、支援に対しては、「こうして私たちに会いに来てくれるだけでありがたい。その上、避難所に住む子どもたちに『お絵かきセット』をご支援いただき、ありがとうございます。子どもたちも興奮するほど喜んでいる。」とお話されました。

AMDAでは今後も現地協力者と連絡を取りあいながら、状況を注視していきます。その状況を踏まえた上で、難民への復興支援も見据えた支援の可能性も模索していきます。

*岡山倉敷フィリピーノサークルとは
2005年6月12日に、岡山県内に住むフィリピン人が集まり発足。これまで、地域で様々な国際親善活動やボランティア活動を行うとともに、2006年にはフィリピンでの大規模自然災害に対し物資援助の支援活動も行い、翌年には日本善行表彰を受賞。同サークルのメンバーには度々、フィリピンで行うAMDAの緊急医療チームのメンバーとしてご参加いただいている。