2014年2月12日、ニューヨーク国連本部で行われた第52回社会開発委員会において田島幹雄AMDA名誉顧問が「貧困撲滅・社会融合・雇用安定」をテーマにプレゼンテーションを行う機会を得ました。
参考資料
http://www.un.org/esa/socdev/csocd/2014/list-participants-21feb.pdf
そのプレゼンテーションの内容を以下に紹介します。
----------------------------
AMDAは世界65か国において医療と健康を中心に活動を実施し、これまで154回の緊急救援活動や復興支援等を行っています。AMDAは世界中の人々が、未来への成功、努力、考えを実現できるために活動を展開しています。
自然災害、人為的災害が起これば、緊急人道援助の必要性は日々大きくなります。
約3年前、マグニチュード9.0の東日本大地震の津波は、壊滅的な被害をもたらし、住民、住宅、車、すべてを飲み込み、押し流してしまいました。これは明らかに、過去何十年の間に起こった最も恐ろしい自然災害のひとつだと言えます。
被災地に最初に入った団体のひとつであるAMDAは、現在も救援活動や復興支援を積極的に行っています。私たちは、思いも寄らない自然の威力を目のあたりにして、あまりにも人間が無力であることに、絶望しました。しかし同時に私たちは、東北の人々の、困難から立ち上がために努力する強さや勇気を見せられました。
今日、災害による過酷な現実は、直接的被害を受けた被災地に今もなお、深刻に残っています。
地元自治体が、高い失業率や、地震や津波によって完全に破壊された地元企業の再編に苦心しているために復興は遅れています。被災した人々にとって、生活は未だに厳しい状況です。人々は災害の犠牲になった家族や友人への、終わることのない悲しみの中にいます。人々はこの厳しい試練の時を乗り越えるために力の限り闘っています。彼らを支えているのは、地域の人々、また地域以外の人々でもあります。
「隣人」を結びつける強い信頼や絆は、現代の日本の地域社会に今も残っています。伝統的に、日本社会は隣人同士の相互支援のシステムを作りました。私たちはこれを「相互扶助」と呼び、AMDAの活動指針のひとつであります。これは確実に国境を越えて、日本や他国からの多くのボランティアが被災地に支援に来ています。
私たちの記憶に残る、深刻に被害を受けた地域のひとつが原子力発電所のある福島です。ところが最近、福島からの心強いニュースが届きました。それは、ローカル・イニシアチブや地元の人々の決断によってAMDAがこれまで被災地域の商店街と5回にわたっておこなってきた、福島県内外での被災地間交流を強化する復興事業を2週間前に福島で開催したというニュースです。
風評被害の逆風の中、過去最多となる8000名以上が参加しました。しかもその9割は、福島県内からの参加者でした。参加者は美味しい食事、スポーツ大会、子どもたちのゲームなど、終日楽しい時間を過ごしました。これは明らかに、何としても困難を乗り越えていくという地域住民の決意の表れであると思います。このローカル・イニシアチブは、またAMDAのもうひとつの重要な指針です。このような「地域交流事業」が進められていくべきだと思います。
災害危機管理の面から言って、地震津波発生後どの様な外部の団体が被災地の団体にどの様な支援を行なうべきか、どの段階で誰が撤退し、誰が引き継ぐかを関係者が一同に会して「復興への道筋」の作成に努める。これと関連して地元の雇用も出来るだけ早い段階に実現させる努力が必要。又被災地の若者に希望を与えるという面からも「アムダの医療獎学金制度」設立案は望ましいものです。
イニシアチブ。但し最終的に最も価値を置くべきなのは、ローカルイニシアチブ、被災地の人々の決断,そして地元の人々を失望させないことです。私はこの相互援助の輪に参加していく人々を見て、大きな喜びを感じます。これが相互扶助の最も理想的な形です。
私たち人間は自然の脅威の影響を避けることはできません。しかしそのような危機的状況の中でお互い助け合い、連携することで、私たちは希望を持ち、前に向かって進むことができるのです。
ありがとうございました。