現地NGO『センター・インタービリム』の協力の下、今回の救援では首都ビシュケクおよび内乱の発端となった南部オシにて7月1日から7日の日程で医療支援と物資の寄付を行った。7月16日記者会見を行った
報告:ヴィーラヴァーグ・ニッティヤン 訳 近持
2010年7月7日、キルギスタン共和国で緊急医療支援を終えたアムダ本部のニティアン・ヴィーラバグ調整員とアムダ・カザフスタン支部のガルバルシン・アベウオヴァ医師はそれぞれ帰国の途についた(日本到着8日)。現地NGO『センター・インタービリム』の協力の下、今回の救援では首都ビシュケクおよび内乱の発端となった南部オシにて7月1日から7日の日程で医療支援と物資の寄付を行った。
今回の緊急救援ではキルギスタン政府をはじめ、同国保健省、特にダミラ・ニイアザリエヴァ保健相より、いずれの場所でも医療行為ができる許可や安全確保のための市内同行者の手配などの手厚い支援をいただいた。今後の展望として、アムダはキルギスタン政府と同国の医療分野における連携を期待している。
首都ビシュケクでは以下の医療機関を訪問した。
- ビシュケク国立病院(神経外科、眼科、外科)
- 国立母子福祉センター
- ビシュケク外傷・整形外科研究センター
以上三つの病院では内乱で負傷した25名の患者と面会。患者のほとんどに銃撃による被弾、骨折、頭蓋骨および脊椎の損傷等が見られた。病院側及び患者当人と相談した結果、患者本人が支払うこととなるところの医薬品を寄贈することにした。
内乱の発端となった南部オシでは、前出インタービリムと協力し、以下、四つの地域において国内避難民に対する支援を行った。
- オシ地区オン・アディール:現地の学校に設置されたキャンプでは、ウズベク系キルギスタン人が避難していた。アムダはここで約30名の患者を診察
- カラ・スー地区アク・タッシュ村:内陸部アク・タシュ村に設置された難民キャンプでは、キルギス系の人々が小さなコミュニティーを形成しており、アムダはここで25名前後(主に女性と子供)の治療にあたった
- オシ南部ユジュニィ村:同村の南にあるキルギス系のコミュニティー
- オシ地区『カマロヴァ』(障害者およびその家族を中心とした難民キャンプ):障害者施設の入居者とその家族によって形成されたキャンプ。施設の方は内乱で破壊されてしまった。ガルバルシン医師が約20名(大半が女性)の診療にあたった
四ヶ所のいずれのキャンプにおいても避難民の大半は女性と子供であった。これは男達が日中に自宅まで戻り家財を守っていた為である。主な怪我や病状については、高血症、頭痛、腹部における合併症、胃感染、被弾による外傷のほか、婦人病の症状も多く見られた。アムダはここでも被災者家族に医薬品と衛生物資を寄贈した。
女性や子供達の多くが今回の惨事におののいており、また家族を失った者も少なくない。ガルバルシン医師によれば、被災者の表情に精神的なトラウマが明らかであったことから、精神科での適切な処置が必要であるといえる。このほか、拉致被害に遭った者やガソリンで放たれた火で火傷を負った者なども見られた。またいずれのキャンプも基本的な生活物資が欠乏しており、医療ケアにおいては皆無であったといえる。
アムダは今後もキルギスタン政府や現地組織と連携して、これらの人々を支援する道を模索していく所存である。また前出センター・インタービリムや現地青年企業家連盟と協定を結ぶなどして、今後の活動に繋げていきたい