AMDAピースクリニック:現地看護師の声 – AMDA(アムダ)
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AMDAピースクリニック:現地看護師の声

AMDAピースクリニック:現地看護師の声

AMDAピースクリニック母子保健センターで看護師として活動してくださっているアニータ・クマーリさんから現地の様子が届きましたので、以下に紹介させていただきます。
私はインドのビハール州ガヤ群に住んでいるアニータ・クマーリです。私は2014年10月からブッダガヤにあるAMDAピースクリニック母子保健センターで看護師として働いています。
女性に対して、子育ての仕方や、妊娠中の健康・衛生面に対するアドバイス、その他、母子保健に対するさまざまな情報を提供しています。そして家庭訪問も私の仕事の一つです。
その家庭訪問で、センターの近くにあるピパーパテイ村内の各家庭の訪問を行っています。
クリニックがあるビハール州は資源豊かな場所ですが、貧困が激しい地域のひとつでもあります。家庭訪問を行っているこのピパーパテイ村は、1970年代にスリランカ政府が500戸の家を寄付しつくられた村ですが、現在は家が劣化し周辺もひどく荒れていて、住民は必要最低限の生活を強いられている状況です。
家庭訪問の際に、一人の女性にに出会いました。彼女は夫と、義理の父母、義理の弟家族と一緒に住んでいます。彼女は隣の村出身ですが、夫と去年結婚し、インドの慣わしに従い夫の家で暮らしていました。

最初に彼女に出会ったとき、彼女は既に妊娠8ヶ月でありながら、体重は35kgしかなく、健康な状態ではありませんでした。私は彼女の家を定期的に訪問しました。
最初は無口でしたが、すぐに私たちは良い友達になり、心を開いてくれるようになりました。そして、彼女が結核であることがわかりました。
ひどく衰弱していたので、病院にいくことを勧めましたが、物事の最終決定は義理の母がすべて決めることになっており、彼女の関心も薄かったため、病院にいくことはありませんでした。
そんな状況で2014年11月20日に2500gの低出生体重児を出産しました。出産後、自宅に戻って生活していましたが、貧血と健康状態の悪化により、さらに衰弱していました。







この状況を見るに見かねて、実父が、娘の健康状態を心配し、実家で養生させるなどを試みましたが、体調は回復することなく、彼女は夫の家で息を引き取りました。
彼女の死に対して、現在も両家が責め合っていますが、その真相をもう彼女に聞くことはできません。
彼女が残した子どもの未来は、夫と義理の母にかかっています。生後約1か月で、赤ん坊の体重は2000gと体重増加不良でした。私は適切なケアの方法についてアドバイスを続けていますが、病院に連れて行くことは、拒否され続けたままです。
赤ん坊は”Priya”(愛)と名づけられました。Priyaは、叔母といると、時々リラックスした表情を見せてくれます。

AMDAピースクリニックからは、Priyaのために、蚊帳と赤ん坊セット、赤ん坊の服を配布しました。Priyaが家族から愛され、成長し、賢い女の子になってくれることを願っています