熊本市の特別養護老人ホーム「シルバーピアさくら樹」大内麻由美訪問介護事業所 所長からのメッセージ – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

熊本市の特別養護老人ホーム「シルバーピアさくら樹」大内麻由美訪問介護事業所 所長からのメッセージ

熊本地震を体験して

シルバーピアさくら樹 大内 麻由美

平成28年4月14日(木)、21時26分頃に人生初めての震度7という地震に遭い、家の家具が全て倒れたが奇跡的に家族全員怪我もなく、命からがら着の身着のまま歩いて益城町保健福祉センターに避難した。
一時間もしないうちにテレビ局、新聞記者の車が次から次に進入し、私達にカメラをむける。
「震源地益城町、震度7、どんな感じでしたか?」と聞かれ、改めて自分達の身に大変なことが起こったんだと気づいた。
時間が経つにつれ、怪我をした人達が集まり「なんとかここまで歩いてきた、生き埋めの人がいる、近くで火事が発生している」という言葉が耳に入りその場にいたみんなの体が固まった。この時すでに不審者情報もあり、警戒態勢をとる警察車両、消防車や救急車が何台も通りすぎた。
屋外の駐車場で近くの人からもらった新聞紙を敷き、張り詰めた空気の中でなお続く余震の恐怖や不安におびえ、眠れない一夜を過ごした。
翌日、自宅に戻り家具の片付けが終わり疲労困憊で休んでいるところに本震発生。
16日午前1時25分頃、ベッドがドーンとゆれ再び家具が倒れ、まさか想定外の二度目の地震に驚くばかりだった。
その後、再び度重なる余震が続き、携帯の緊急速報メール(震度5弱以上)が10回以上鳴り響いた。
6年生の娘はこの時の様子をこう綴っている。
「地震こわい、大内家はみんな大丈夫です、みなさん、気をつけてください、絶対死なないでください」この時まさに、死という恐怖に誰もが直面した瞬間だったと思う。
翌日、益城町にはたくさんの県外ナンバーの救援車が集結し、すれ違っては涙がとまらず感謝の気持ちでいっぱいになった。







それから数日、福祉施設で働く私は地震直後から多忙な業務に追われる中、ふと益城町の方達はどんな非難生活をしているのか気になり、前震から10日後の4月24日、広安小学校に初めて足を運んでみた。
ブルーでAMDAと書かれたひときわ目立つ車と、カラフルな色で子ども達の似顔絵がデザインされている総社市の電気自動車が停まっていた。
私が初めて目にしたAMDAである。
AMDAのスタッフは水色Tシャツ、その他、県外からのボランティアの人達が益城町のためにたくさんの汗を流して下さっているのが目に見えてわかった。
「遠方からたくさんの方が助けにきてくれている、益城町民の私にも何か人のために出来る事がないか?」という強い思いが芽生えた。
4月29日、勤務先のライフラインが正常に戻り当施設理事長より、地域の皆さんにお風呂を提供したらどうかという提案があり、4月30日、早速近くの避難所を訪れた。
一軒目も二軒目も「自衛隊さんが来てくれているので入浴支援は不要」との返事。
やはり私達にできることはないのかと気落ちして広安小学校を尋ね、初めてAMDAの理事難波さんに出会った。
偶然にも難波さんの実家が我が家の近くで、とても初対面とは思えないぬくもりと親しみやすさがあふれた。

AMDAは前震の翌日には、専門スタッフと共に緊急救援にきてくださったとのこと。あの震災から二週間が過ぎ、お風呂に入れない要介護者が数名おられ、困っていたという話をきいた。翌日すぐに手配させていただき、シルバーピアさくら樹で五名の方の入浴が実現した。
AMDAの素晴らしいところは必ず専門職の方が現場を見にきて、現場確認をされるところであった。
急な調整の中アムダの医師、PT,Nsがわざわざ足を運ばれた。
また、当施設を福祉避難所として運営するためにはボランティアの確保がネックになっている旨を難波さんに相談するといち早く、とても快くボランティアの手配をしていただいた。

5月4日、ようやくさくら樹福祉避難所がスタートし、徐々に避難者の人数も増え10名の活動の場となった。AMDAのボランティアの方は皆、志が高くとても素晴らしい方ばかりだった。
AMDAの理念を十分理解し、「困った時はお互い様」の信念を強くもって応援にきていただいた。
そのおかげで施設では行き届かなかった介護の部分にすぐに手を差し伸べてくれ、われわれでは分かり得ない被災者の心の声にいち早く気づいてくれた。
そこにはAMDAは日本だけでなく世界の被災地で活動されており、その経験が私達の困り事をすぐに察知してくれて適切なアドバイスにつながっていた。
「地震は悪いことばかりではない、地震がなければAMDAの皆さんに出会うこともなかった、地震で負った心の傷を癒していただき、十分なお世話をしていただき、大変感謝している」という、さくら樹の福祉避難所をはじめ、皆さんの御礼の言葉をこの場をかりて代弁させていただきたい。

震災から一ヶ月半、走り続けていただいたAMDAの軌跡とボランティアの理念、熱い思いをしっかりと受け継ぎ、6月からは新たなスタートをきることができた。AMDAの皆さん、本当にありがとうございました。