須崎市-さめじま病院事前交流/AMDA南海トラフ災害対応プラットフォーム – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

須崎市-さめじま病院事前交流/AMDA南海トラフ災害対応プラットフォーム

さめじま病院 病院長代行 原野 和芳

須崎市役所の方々と

令和元年7月19日、台風5号が九州を北上する最中、さめじま病院・院長である鮫島と小職は、空路にて高知龍馬空港へと降り立ちました。過日、アムダ南海トラフ災害対応プラットフォームの加盟手続後に、さめじま病院は須崎市の支援病院に決定されたことを受けての既定手続きに準じたものでした。


須崎市を訪問する意義は多くありましたが、特に


・顔の見える人材交流による相互支援


・発災時に円滑かつ速やかに活動を開始するための情報収集、とくに地理観

の二つを意識しました。

プラットフォームの管理・調整役として岡山のアムダから対策本部長の大西氏、プロジェクトオフィサーの橋本氏、副本部長の山田氏が駆けつけてくれました。


高知大学医学部 菅沼教授との面会

訪問先として、まず友人でもある高知大学医学部長の菅沼成文教授を表敬訪問し、須崎市訪問の主旨を伝え、アムダ支援が稼働した際の協力をお願いし、快諾を頂きました。

津波被害が起きた際にも、使用できる可能性が残る南国インターより高速道路に入り、豪雨の中、次の訪問先の須崎市役所を目指しました。

須崎市役所で説明を受ける









市役所では地震・防災課の課長岡本氏、健康推進課の課長森光氏をはじめ総計6名の関係職員が出迎えていただきました。最初に岡本氏より須崎市の南海トラフ大地震・津波対応へのブリーフィングを受け、その後、質疑応答を行いました。須崎市は昭和50年代後半にはすでに準備をはじめ、約10年前より役所のなかに南海トラフ地震のために地震・防災課を独立させており、昨今の厳しい日本の経済状況下で真剣かつ長期に渡り取り組んで来られたことを知りました。

その後、地域中核病院で、DMATチームを二つもつ須崎くろしお病院を訪問しました。事務長の萩原氏、災害対策担当の師長池田氏、副師長の中平氏が応対してくれました。須崎くろしお病院は先般の熊本地震にも第一陣としてチームを派遣する意識もパフォーマンスも高いスタッフを擁しており、津波発生時には階上に避難するようなポスターも掲示しており、病院あげて対応している姿勢を実感しました。

最後に避難所の候補地となっている多ノ郷小学校を視察して、案内してくれた市職員の方々と今後の準備などについて意見交換させていただきました。

その後フライトの関係で、アムダの皆さんと別々に帰路につきました。







総括としては、目的としていた人的交流と地理観以上に、須崎市や高知市の関係者の強い危機感と対策への熱い思い、この「熱」を体感できたことが何よりも大きな収穫でした。

さめじま病院はプラットフォームの一員として、今後さらに災害担当する各職種の職員を須崎市に派遣し、信頼に基づいた密な人間関係の輪を広げていく所存です。須崎市からもぜひ、さめじま病院、佐賀市に足を運んでいただき、維新以来の佐賀県と高知県の友情をさらに深化できれば願っております。