ロヒンギャ難民とパートナーを組むAMDAバングラデシュスタッフ – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

ロヒンギャ難民とパートナーを組むAMDAバングラデシュスタッフ

プロジェクトオフィサー 橋本 千明

AMDAバングラデシュスタッフ(左)とロヒンギャ難民スタッフ(右)

ロヒンギャ難民支援は、1名のロヒンギャ難民を継続的に雇用しともに活動しています。活動当初より彼とパートナーとなり、主に薬剤管理の部分を担当しているAMDAバングラデシュスタッフの声から、活動の様子をご紹介します。

2017年10月から1年間の予定で始まったロヒンギャ難民支援は、現地支部であるAMDAバングラデシュから8名ほどの現地スタッフが週6日、コックスバザール市ウキヤ地区にあるクトゥパロン難民キャンプへ通い活動しています。もともとのAMDAバングラデシュの活動拠点はガザリア地区という、首都ダッカから南に30Kmほど下った場所にあり、ほとんどのスタッフがガザリア地区に住居を構えています。そのため家族を持つスタッフは長期の単身赴任をしながら活動を続け、スタッフは寝食をともにしながら共同生活を送っています。

薬剤管理を担当するのがビラルという青年です。彼は、AMDAバングラデシュが活動拠点とするガザリアの近くに実家があります。彼は、5人家族の末っ子として生まれました。父親はキヨスクのようなお店を経営、母は専業主婦。ビラルは12年間の学校教育を受けた後、1年間首都ダッカの薬局で働きました。バングラデシュでは、患者さんが病院で処方を受けると、病院内もしくは病院外の薬局でも一般の方が直接薬局で薬を買うことができるしくみとなっています。ここで、朝9時から夜の9時まで、週6日働いた経験をしたことが、薬に関わった最初です。医薬品の説明、内服の回数と量の助言などを、有資格者で薬剤師である店長から学びながらの日々。1日30名ほどの受け渡しを担当していたそうです。その後、NGOでマイクロファイナンス(小規模融資)のスタッフ、父親の店の手伝いなど経験しました。

転機は2017年、日本バングラデシュ友好病院の薬剤管理を担当するポジション募集を目にし応募。その時は残念ながら採用とはなりませんでした。しかしほどなくしてAMDAバングラデシュがロヒンギャ難民支援の医療チーム構成の準備を開始。難民キャンプで薬剤管理を担当できるスタッフを探していたAMDAバングラデシュ事務局長ラザック氏が真面目で誠実な人柄と彼の意欲を覚えており、声をかけたことで、活動に参加する機会を得ました。ビラルはこのときチャンスを得て本当に嬉しかったそうで、すぐにチームに参加することを決めました。スタッフとして初めて日本バングラデシュ友好病院に来たのは2017年10月19日、薬剤の積み込み作業を行った後、翌日20日ダッカを出発、夜中の2時に難民キャンプから最も近郊の都市でチームの拠点となるコックスバザールへ到着しました。チームは22日に難民キャンプでの活動を開始します。

 







AMDAバングラデシュ医療チームは、1名のロヒンギャ難民を継続的に雇用し活動していますが、活動当初より彼とペアを組み、おもに医薬品の部分で活動しているのがビラルでした。医師から処方せんを受け取り素早くビラルが医薬品を揃え、ロヒンギャ難民スタッフに渡します。

ロヒンギャ難民は、バングラデシュの言葉であるベンガル語のチッタゴン方言を話すため、彼の通訳は欠かせません。薬の名前、服用時間と回数を伝えます。AMDAの診療所を訪れるまで、薬を飲んだことがない方もいらっしゃるため、間違いがないように根気強く繰り返し伝えることもあります。お互いの交わす言葉数は多くありませんが、まさに「あ、うん」の呼吸です。
 







ビラルは彼のことを、「最初は英語が読めずに苦労していましたが、独学で少しずつ身に着けたそうです。その努力は素晴らしいと思う」と語ります。在庫管理、在庫切れをコーディネーターに報告するのも大切な仕事です。ビラルはモチベーションの源を、「チームの皆とは一緒に暮らしていて、家族のよう。キャンプでの活動を大変とは思わない。色々なことを学べる。自分が人道支援に関わっていること。地道な活動だが、命を救うことに繋がる活動をしていることを誇りに思う。」と語りました。困ることは、難民キャンプは埃が多く舞っているため、時々アレルギーの症状がでてしまうこと。体調管理に気をつけながら活動しているそうです。