私が暮らしているフィリピンのカタンドゥアネス島は、かねてより大型の台風に見舞われてきました。幼い頃から大きな台風を幾度となく経験してきた私は、それらが人々の生活をいかに脅かすものなのかを目の当たりにしてきました。「風吠える島」との異名をとるカタンドゥアネス島ですが、それでも私達は、「まだ自分達は最悪の被害を免れている」と思い、そのことを誇りにすら思っていました。
しかし、必ずしも、これまでのような(ある意味幸運な)状況が続くとは限らないようです。「歴史は繰り返される」といわれる通り、2020年11月1日に発生した台風19号(現地名:ロリー)は、島の人々の生活に甚大な被害をもたらしました。
事実、今回の台風は近年において最も強力な台風となりました。猛威を振った台風19号は、そこら中にあるものをなぎ倒し、頑丈であると誰もが信じて疑わなかったものまで破壊していったのです。島の表面は風速97.2メートルの突風によって削りとられ、高波が沿岸地域を襲い、多くの地域で洪水が発生しました。報告によれば、カタンドゥアネスは台風の目が通過したにも関わらず、ヴィラック、サンミゲル、バト、バラス、サンアンドレ、ギグモトなどの近隣の街では最悪の被害が生じました。
ここ最近、これほどまでに大きな台風を経験したことはなく、私達の大半がその規模について動揺を隠せませんでした。また不運にも、今回の台風19号発生の前後で、この地域一帯は立て続けに4つの台風に見舞われました。さらに台風19号が発生した直後に台風22号(現地名:ユリシス)が上陸し、方々で洪水と土砂崩れが発生したのです。
忍耐強いことで知られる私達カタンドゥアネス島民にとっても、これら2つの台風は試練であったといえます。島民生来の忍耐強さで何とかこの大変な状況を乗り越えることができましたが、今回の災害は決して容易なものではありませんでした。新型コロナウイルスの蔓延というより大きな負担が、復興を目指す私達の生活に重く影を落としていた為です。
そんな一連の天災から少しずつ立ち直りつつあるカタンドゥアネス島ですが、今度ばかりは同じことが二度と繰り返されないよう祈るほかありません。たしかに人が辛抱強くあることは良いことかもしれません。しかし、経済が逼迫した状況の中、新型コロナウイルスの蔓延が拍車をかけている状況を考えれば、物事には限度があると言わざるを得ません。
それでもなお、私達は強い信念と信仰を持って、この災害を生き抜いています。カタンドゥアネス島の住民は、これまで台風に襲われたとしても、すぐに瓦礫の中から這い上がり、何もないところから生活を再建してきました。しかし、それだけではありません。私達はまた、私達に喜んで助けの手を差し伸べて下さる方々や、長期に渡って支援を申し出て下さる多くの方々の寛大な心によって救われているのです。
台風19号と22号が島を襲った直後、AMDAは即座に私達のもとへと駆けつけて下さいました。AMDAの支援に対する私達の謝意は、言葉では言い表せないほどです。カタンドゥアネス州立大学とAMDAとのパートナーシップは2016年に始まりました。当時、大学側の責任者として、私は被災現場の前線に立って調整業務に当たっていました。その際、AMDAの調整員である岩尾智子さんには、大変お世話になりました。岩尾さんとは、2016年の台風26号(現地名:ニナ)の救援活動の時より、共に活動しています。このような関係があったからこそ、今回の救援活動が実現したのだと思います。また今回の救援活動でも、フィリピン開発安全女性委員会(WiNDS)のグロリア・J・メルカドさんが橋渡し役となって各方面と大学との調整業務に当たって下さいました。
多くのカタンドゥアネス島民達は、AMDAの支援に感激し、心から感謝しています。彼らの表情には、AMDAのスタッフや大学側のチームに対する感謝の念が表れていました。私個人としても、150,000ペソ(約33万円)もの義援金を被災者の為に直接役立てることができたことを大変ありがたく思っています。ヴィラクにあるカラタガン・ティバン、カラタガン・プロパー、カビニタンの各地区や、サンミゲルにあるキリキリハン地区など、AMDAの支援活動によって救われた被災世帯の数は150にも及びます。
またカタンドゥアネス州立大学も、これに加勢する形で、支援の行き届いていない遠隔地に助けの手を差し伸べることができました。この活動を、私達はここビコール語の古い言葉で”Haw-As”(「立ち上がれ」)と名付けました。この言葉には「どん底から這い上がり、勝者となって不遇の時を生き抜く」といった深い意味が込められています。被災後の壊滅的な状況に希望をもたらす上で、これほど相応しい言葉はないのではないでしょうか。