インド視察記-2〜現在と未来の世界〜(2019/11/4〜19) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

インド視察記-2〜現在と未来の世界〜(2019/11/4〜19)

AMDAグループ代表 菅波 茂

 


老人の家に寄付したポンプ

2019年11月8日午後2時、ビハール州ブッダガヤの郊外にあるシュリプール村を訪問しました。目的は3つありました。1つはAMDAが寄付した水田のための水のポンプ施設が使われているかどうか。これはO.K.でした。水を注がれた水田では青々とした稲が見られました。2つは、村の人たちの住居よりは少し離れている場所にあり、AMDAピースクリニックの元スタッフであるベーダ氏がお世話する、老人の家に寄付した水のポンプが稼働しているかどうか。これもO.K.でした。勢いよく水がでてきました。このポンプ、今は亡き岡山大学医学部の同級生だった仲宗根浩二氏の奥様と一緒に寄付した大切な記念碑です。3つは岡山にある日蓮宗太生山一心寺ご住職の中島妙江氏がご寄付をされた、祈りの場が大切に維持されているかどうか。きれいに掃除がされていました。これもO.K.でした。

シュリプール村は人口の少ない貧しい村です。そして、祈りの場が村の中心となり、その傍を走る東西の道が村を二分しています。この2つの集落は血縁関係にありますが、仲が良くありません。身近な関係ほど、こじれた時の修復が困難になります。AMDAのできる範囲を超えています。この不仲には「見ざる、聞かざる、言わざる」の中立の立ち位置を守っています。水のポンプと老人の家は東の集落と関係があります。精神的メリットは西の集落、現世利益は東の集落。したがって、AMDAとしては東の集落との付き合いが深くなっています。有名な「夫婦喧嘩、犬も食わず」は上の句です。下の句は、「食えば下痢をする」です。下の句は私の新作です。シュリプール村も似たような状況です。触らぬ神にたたりなし。でしょうか。


AMDAが寄付した水田のための水のポンプ施設


水が注がれた青々とした水田


シュリプール村にある祈りの場

シュリプール村にはヒンドゥー教の神をまつる祈りの場がなかったので、祭りになると隣の村にお祈りに行っていました。もし、今必要なものがあるとしたら、農作物の栽培に不可欠な水のポンプと祈りの場のどちらを優先したいですか。という私の問いに、村の人たちからは、祈りの場との回答がありました。そこで、私は前述の中島妙江氏に祈りの場を作る為の協力を個人的にお願いしました。ヒンズー文化では自分たちのアイデンティティをヒンズーの神々に求めます。多くの親が個人の名前に神様の名前を付けています。これはイスラム教やキリスト教も似ています。多くの人たちが聖人の名前を親から付けられています。

シュリプール村の東の集落に、ベーダ氏の老人の家はあります。仲宗根氏より寄付されたポンプは、老人の家に住む人たちの生活をしっかり支えていることをこの目で確認しました。前回訪問した時にお会いした8人のお年寄りの半数以上が替わっていました。3ケ月前の異常な酷暑で亡くなられたとのこと。目についたのは扇風機が5台に増えていたことです。老人の家から出発する前に、あの酷暑を生き抜いた顔なじみのお年寄りが、彼女の右手を私の頬にあてて、抑揚の効いた歌らしきものを唱えてくれました。「それは祝福の呪文ですよ」とベーダ氏が教えてくれました。


お年寄りの家に住む人が日常的に使うポンプ


ベーダ氏(左)とお年寄り

私がインドに魅せられているのは、その豊かな精神世界です。時には金銭が基準になる物質世界を超えています。この身寄りのないお年寄りの持っている精神世界はどのようなものだろうかな。と思ったりします。

ベーダ氏の年齢は50歳です。私は73歳です。彼女は呪文の世界をもっています。呪文を唱える時の姿勢と声の質および量と共に他を圧する迫力があります。そのようなカーストに所属しているようです。そのベーダ氏が私に言います。「Dr.菅波は私より絶対に長生きをするから私の葬式を是非して欲しい」と。「葬式費用はいくらですか」との問いに「2千ドル」との返事がありました。約20万円です。「大丈夫、葬式は任せてください。私個人でお手伝いします。」と返すと、満足そうな表情になりました。一方、私の傍にいた日本人のAMDAスタッフは不吉な死に関する話を平気でよくするものだという顔付きでした。ヒンズー教では輪廻転生が信じられています。そのために死後の世界も現世と同じように重要な意味があります。実は、ベーダ―氏は南インドの出身です。インドのような血縁共同体社会において、この北インドのビハール州ブッダガヤで親戚のいない彼女の葬式を誰も出してくれないことを彼女はわかっているのです。葬式をしてもらえない遺体の野さらしは最悪の状況です。私は元ビハール州警察長官のボルドワージ氏にベーダ氏がいざという時にはお願いするつもりです。

この世の徳は来世に反映します。ベーダ―氏の身寄りのないお年寄りのお世話は無償のボランティア活動ですが、その視線は来世に迷いなく向けられています。

私もベーダ―氏の心意気に共鳴して「老人の家」にお米を個人的に寄付しています。ベーダ―氏の活動が続く限り、一緒に走り続けるつもりです。