「善意の絆 相互扶助」【Vol.30】AMDA鎌倉クラブ クラブ長 根津 伶子様 – AMDA(アムダ)
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「善意の絆 相互扶助」【Vol.30】AMDA鎌倉クラブ クラブ長 根津 伶子様


今年3月、発足20周年を迎えたAMDA鎌倉クラブ(事務局・神奈川県鎌倉市)。6月の記念コンサートには住民ら約600人が詰めかけ、鎌倉市の鎌倉芸術館ホールが満席となる大盛況でした。その収益金で1999年から毎年、中南米のホンジュラスを支援。国内での甚大な被災地にも支援金を贈るなど活発な活動に取り組まれています。根津様にAMDA鎌倉クラブの設立動機、信条などを伺いました。

AMDA

AMDAの菅波茂理事長とは大学時代、同じ邦楽部に所属されていましたね。

根津様

理事長は尺八、私は箏を始めました。私が1年先輩になります。

AMDA

理事長の若い時代はどんな人物でしたか。

根津様

気さくで話しやすい、楽しく明るい人でしたよ。でも、AMDAがここまで組織が大きくなるとは想像もしていませんでした(笑い)。

AMDA

根津様はずっと箏を続け、筝曲流派「むつみ会」の最高位である「大師範」の免状を取得されていますね。

根津様

最初の取り組みは公民館活動からです。1978年、出身地の赤磐市(旧山陽町)で絃伶会(げんれいかい)を中央公民館の講座として設立。その後、結婚して鎌倉市に移住し、鎌倉絃伶会を立ち上げました。

AMDA

箏の魅力を教えてください。

根津様

やはり音色の美しさですかね。それと技術的に悩んでいたことが急にできるようになる。花が開くという表現が良いのか、とにかく努力はうそをつかない。筝に限らず継続の大切さを学びました。

AMDA

ところで、AMDA鎌倉クラブの設立経緯を教えてください。

根津様

1998年11月、AMDAネパール病院が設立。私は仲間と邦楽アンサンブルを組んで病院開所式のスタディーツアーに参加。そこで、発展途上国の現状を知り、衝撃を受けました。その時、理事長から鎌倉クラブ立ち上げの要請があり、引き受けました。

AMDA

1999年3月の設立当初から継続してホンジュラスを支援されていますね。

根津様

1998年10月、巨大なハリケーンがホンジュラスを襲い、20世紀最大と言われる被害をもたらしました。AMDAはすぐに緊急救援と復興支援、引き続き現地事務所を設け、保健衛生指導などの事業を開始しました。菅波理事長から「ホンジュラスを支援してもらいたい」と頼まれたのがきっかけです。

AMDA

鎌倉クラブ20周年を迎えられた心境をお聞かせください。

根津様

良く続いたなーと思う反面、アッという間に過ぎた感じもします。

AMDA

鎌倉クラブの会員はピーク時に150人。今も90人が所属しています。組織運営はなかなか難しいのが実情です。ここまで続いたのはリーダーの根津様のまさに人徳ですね。

根津様

20年間、継続できた理由を考えてみたのですが、第一はAMDAの理念、活動が真に誇れるものであると私を含め、皆が信じていることです。第二は周りの人に恵まれ、最初の組織作りがしっかりとできたこと。第三はいろいろなイベントで会員に疲れが出ることを懸念し、コンサート中心に絞ったことが功を奏したと思っています。

AMDA

座右の銘を教えてください。

根津様

「初心忘るべからず」です。行き詰まった時、初心に返ります。なぜ、今の活動を始めたか、決して自己満足ではなく、素直に人に役に立ちたいと思う持ちを大切にし続けたいと考えています。

AMDA

最後に今後の抱負を教えてください。

根津様

そんな大げさなことは考えていません(笑い)。今の活動を体力と気力が続く限り、細々とでもよい、コツコツと続けていきたいと願っています。

(聞き手・広報担当参与 今井康人)