第1回 渡丸 弘之様 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

第1回 渡丸 弘之様

載インタビュー 「支える喜び」シリーズ

第1回 渡丸 弘之様

(公認会計士)

AMDAの活動は公的資金に頼らず、皆様の募金をはじめとする有形無形のご支援により成り立っています。
これまでに様々な形でAMDAを支えてくださっているご支援者の皆様に、インタビュー形式で「支える喜び」として連載をスタートします。
第1回目は、長期間にわたりボランティアとしてAMDAを支えてくださっており、2012年度からは監事をお引き受け下さっている渡丸弘之様にお話をお聞きしました。

AMDAとの出会い。そしてボランティアのきっかけ

AMDA:
本日はお時間とっていただきありがとうございます。
早速ですが、現在東京にお住いの渡丸先生が、AMDAと出会ったきっかけを教えてください。
渡丸:
私が、菅波代表と初めてお会いしたのは、今から20年前です。
当時は東京と岡山で仕事をしており、菅波代表が運営されていた医療法人の会計及び税務の顧問をさせていただくことになったのがきっかけです。
毎月の月次決算説明会の後、いつもアムダの話を聞かせてくれました。
それまで会計士という立場上、企業利益や節税について考えることに時間を費やしてきた私にとって、菅波代表の話は、新鮮でかつ奥が深く、「菅波代表は特別な人なのだ」という思いを抱きました。
AMDA:
その当時、菅波代表はAMDA以外にも医療法人の経営をしていましたからね。
渡丸:
そうなんです。医師としての側面だけでなく、病院の経営者としてもご尽力されていました。
なおかつ人道支援活動のNPOを組織し、自らも緊急支援活動に参加されるなど、精力的な活動をされていました。
さらに大学でも教鞭ととられ、各国の要人ともお会いになられている方なのに、全くそれを感じさせない、誰に対しても気さくな態度で、その人間性に惹かれました。

役に立ちたい。でも、自分にできることはなにか?

AMDA:
その出会いから、もう20年が経過したというわけですね。
そこから今日まで、AMDAを支えてくださっているのですね。
渡丸:
本当にいつの間にか、AMDAの決算のお手伝いをするようになっていましたね(笑)。
「私でも何かの役に立ちたい」という気持ちはありましたが、それを強く後押ししたのは、 菅波代表と、奥様のお人柄そして、実際にAMDAで活動されていたスタッフやボランティアの方々の姿です。
「ボランティア」というと「遠い世界」という気持ちがありました。
もちろん、自分にも人助けの気持ちがあるけど、実際に支援を行うことのできるのは「特別な人」というイメージを持っていました。
しかし、みなさんが、それぞれの立場で力を発揮している姿を見て、会計士という立場の自分でも、何か少しでも手伝いができたらいいなと思うようになりました。
そこで、自分の仕事を生かして、力になるべく会計を見せていただくようになりました。

 

会計報告からみるAMDAという組織の誠実さ

AMDA:
会計報告をご覧になって、何か感じられることがありますか?
渡丸:
私がAMDAの会計を見させていただくようになって強く感じたのは「組織の誠実さが帳面に表れている。」ということです。
集まった寄付金をプロジェクトごとの口座で管理し、一切の無駄と不明瞭さを排除し、少しでも多く救援活動に充てようという意志を感じました。
実際に移動費や宿泊費等の節約できるところは、できる限り安く抑える努力を怠っていないことがわかります。

誰にでも役に立ちたい気持ちがある 専門性を生かして支える喜び

AMDA:
そんな風に評価していただいているとは嬉しいです。
渡丸:
私は長期間にわたり、AMDAの決算を見続けてまいりましたが、平成24年度からは、役員として組織の活動及び会計をチェックする監事に就任し、その責任を感じています。
皆様からお預かりした寄付を、最大限有効に活用しているかを監督する立場であるからです。
まさに、公認会計士という私の職業が生きると確信しています。
「救える命があればどこへでも」のスローガンのもと、被災地にいち早く駆けつけ、救援活動をされるメンバーの方々には正直頭が下がります。
私自身は現地に赴いて活動ができるわけではありませんが、監事としてAMDAの社会貢献活動に参加できることに喜びと誇りを感じています。
AMDA:
本日はどうもありがとうございました。