第3回 ラシャド ファラ様、多津子様 ご夫妻 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

第3回 ラシャド ファラ様、多津子様 ご夫妻

連載インタビュー 「支える喜び」シリーズ

第3回 ラシャド ファラ様、多津子様 ご夫妻

(ジブチ共和国大統領特別顧問 国連特使 前駐仏・元駐日ジブチ共和国全権大使)

AMDAジャーナル2014年夏号から連載をスタートさせたインタビューシリーズ「支える喜び」。
第3回目となる今回は、AMDA創立30周年記念式典に遠路はるばるご出席くださいましたファラご夫妻にお話しを伺いました。

ジブチの状況を救ってくれた AMDAとの出会い

AMDA:
本日は遠方から、この日のために来日していただいたとお聞きしております。
本当にありがとうございます。
ファラ:
皆様と御一緒にAMDA創立30周年記念式典に臨めます事は、大変名誉な事であり、この上無い喜びでもあります。
心からのお祝いを申し上げます。
AMDA:
さて、AMDAとの出逢いについては、奥様を通してと伺っております。
ファラ:
そうです。初めて菅波先生に成田空港でお目に掛かったのは1992年のことですから、早22年になります。
当時のアフリカ大陸では、ベルリンの壁崩壊後のアフロペシミズム( アフリカ悲観主義 )の大きな波に直面しており、多くの紛争がありました。
AMDAの設立前から菅波代表の活動を応援してきた妻の勧めで、私は海外出張から帰国したばかりの菅波代表に近隣のエチオピア、ソマリアから内戦を逃れジブチに押し寄せて来た難民の窮状、医療支援の必要性を訴えました。
菅波代表は、その状況を瞬時に理解され、敏速にプロジェクトの準備に取り掛かって下さり、数か月後には、スタッフを連れてジブチに来てくださいました。

AMDAジブチ事務所の設置と 国家勲章オフィシエ章(勲4等)

AMDA:
確かAMDAジブチ事務所が設立されたのが1993年。
それ以降、ジブチ事務所を拠点に、ソマリア、スーダン、ケニア、ルワンダでの活動を展開することができました。
ファラ:
ジブチでは、人里離れた地域で、苛酷な環境の中、AMDAの医師、看護師、コーディネーターなど、多くの方々が身を賭して懸命に働き、尽力したことを良く知っています。だからこそこの事実を知ったジブチ大統領は、2011年に国家勲章オフィシエ章(勲4等)を菅波代表に授与しました。

ブトロス ガリ賞受賞と 国連経済社会理事会の資格取得へ

AMDA:
そうでしたね。
日本人で初めてということもあり、本当に光栄に思っております。
ファラ:
また、私たち夫婦は、AMDAのために国連で尽力したいとも考えました。
実際ニューヨークの国連本部に行き、スーダンやパキスタンの国連大使と会いました。
皆AMDAの事を知っていました。
そしてこれがきっかけとなり、1995年に菅波先生は元国連事務総長 ブトロス ガリ賞を受賞し、その後AMDAの国連経済社会理事会のNGO特殊協議資格取得にもつながりました。
AMDA:
お蔭様でこの後、2006年に総合協議資格に昇格いたしました。
お二人はまさにAMDAの水先案内人ですね。

平和への鍵、次世代を担う人々へ の「教育」と「開かれた相互扶助」

ファラ:
本日の4時間にわたる式典に出席して素晴らしいと思ったことは、この会場の雰囲気が多くの人たちの結束、友情、相互理解による喜びにあふれていたこと、そして何より菅波代表が将来構想としてAMDAを教育のツールとして考えていらっしゃることでした。
AMDA:
はい、これまでの経験を次世代の教育として活かして行きたいと考えています。
ファラ:
素晴らしいですね。教育は絶対に必要です。
教育なくして、国際社会への寛容さを生み出すことはできません。
他者を受け入れることもできません。
戦争、紛争、貧困で多くの世代を失いました。
実際、アフリカでは15分ごとに300人をのせた飛行機が墜落しているようなものです。
多くの若い世代が飢餓、貧困で亡くなっています。
これらの問題を解決する持続可能なシステムは「教育」でしょう。
多津子:
主人が仕事をしていたUNESCOでも教育を第一に訴えてきましたよね。
ファラ:
教育、特に女性への教育無しには、成熟した社会の実現は難しい。
女性は、人として大切なメッセージを次の世代に伝授できます。
母親は、赤ちゃんにとって、最初の先生だからです。
また、その他にも、AMDAの理念である『オープン 相互扶助』は素晴らしい考え方であり、21世紀をリードする最も重要な理念として、世界の様々な問題を解決して行くと確信しています。
AMDA:
AMDAの国際社会への最初の扉をひらいてくださったのは、ファラご夫妻なのですね。
ファラ:
これは菅波先生が、私の妻をそして私を信頼して下さったからです。
これからもAMDAを支えていきたいと思います。
これからもAMDAが、国際社会で素晴らしい仕事をしていることをAMDAの支援者の方々に自信をもってお伝えしたいと思います。
AMDAへの寄附が大きなメッセージをもって、役立てられていることを、様々な国で私自らが見てきましたから。
AMDA:
本日はお疲れのところ本当にありがとうございました。