第27回AMDAインド支部長 セテュクマール カマト医師 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

第27回AMDAインド支部長 セテュクマール カマト医師

連載インタビュー「支える喜び」シリーズ第27回
AMDAインド支部長 セテュクマール カマト医師

AMDAを支えて下さっている方々の様々なエピソードをインタビュー形式でお届けします。
今回は、AMDAインド支部長 セテュクマールカマト医師です。(聞き手:AMDA理事 難波 妙)

AMDA

カマト先生をインドの盟友と呼ぶ菅波理事長との出会いについてお聞かせください。

カマト医師

1980年、菅波理事長が医学生二人と一緒にインドのグジャラート州・アーユルヴェーダ大学を訪問されました。当時大学院生だった私は、東洋の伝統医学とアーユルヴェーダに深い関心を寄せる菅波理事長と熱く語り合いました。そして、同年、タイ、バンコクで開催された第1回アジア医学生国際会議(AMSA:アジア医学生連絡協議会)に菅波理事長から招待され、アーユルヴェーダ医学の重要性について発表したところ、参加者全員から好評を博し、私と菅波理事長との友情はさらに強くなりました。そして、1984年、私たちは、医師となり、菅波理事長に人道支援活動に積極的に関与する組織結成を求められ、8月インドのマニパールで開かれた第1回アジア医師国際会議においてAMDAの発足を宣言しました。その後も私は、AMDAとともにアジアの医師との交流を広めるため、インドでの国際会議や災害被災国での多くの人道支援活動を行ってきました。菅波理事長に出逢って40年。この友情は今や大切な盟友として私自身の幸せにも強く深く繋がっています。

AMDA

カマト先生がアーユルヴェーダ医学を専門とされたきっかけを教えてください。

カマト医師

アーユルヴェーダは、宇宙の根本原理を追求したインドの伝統的医学です。私の家族は、このアーユルヴェーダ医学を100年以上前から継承しています。私は7人兄弟の一番末っ子で、姉も兄も皆、アーユルヴェーダ医学とは別の道に進みました。私の父は、家族が長年にわたって継承してきたアーユルヴェーダ医学が、ここで途絶えることを危惧し、私にそれを継ぐよう提案しました。その時、私に他の選択肢はありませんでした。そして、私は、アーユルヴェーダ医学の小児科の専門教育をうけ、インド、ケララ州にあるマニパール大学でアーユルヴェーダ医学の教授として、33年間、研究者、臨床医として学術分野で貢献し、2014年に退職しました。

AMDA

岡山でアーユルヴェーダ医学のセミナーもしていただきましたね。

カマト医師

私は日本を19回ほど訪問しています。最初に訪問したのは、1985年アジア伝統医学に関する林原フォーラムです。2年連続で参加しました。菅波理事長の病院や老人保健施設の訪問は今でも鮮明に覚えています。2008年には岡山大学医学部からも招聘され、アーユルヴェーダ医学での関節リウマチの臨床研究やセミナーなどを開催しました。岡山滞在中は関係者の皆様にとても親切にしていただきました。故郷ウドゥピーにくらべると、岡山はとても静かで、交通渋滞もなく、私自身の心身ともに整った状態で日々過ごすことができました。

AMDA

これからのAMDAインドの将来のビジョンについてお聞かせください。

カマト医師

AMDAインドは一番古いAMDAの支部で、今も支部の中核として活動を続けています。自然災害の被災者支援のための多国籍医師団への参加のみならず、様々な教育、研究分野まで幅広い活動を展開しています。AMDAインドは、昨年6月3日に正式にインド政府に登録されました。ニューデリーやブッダガヤでのこれまでの活動に加え、貧困者やお年寄りの支援、アーユルヴェーダの教育、実践、研究が今後検討される予定です。これからもAMDAインドは更なるネットワークの拡大を目指して世界の平和に貢献してまいります。