救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

AMDA Journal インタビュー ウクライナを忘れないで(2026/7発行ジャーナル夏号)

 特定非営利活動法人ユーラシア 副理事長 リリヤ バビィさん
 岡山県倉敷市を拠点とする特定非営利活動法人ユーラシアでは、在日ウクライナ大使館指定のもと、救急車や消防車など、日本から寄付された緊急車両をウクライナに輸送しています。AMDAでは、岡山県から贈られた車両を輸送する際の費用を一部負担。今回、同団体の副理事長を務めるウクライナ出身のリリヤ バビィさんにお話を伺いました。(聞き手:難波 妙)

 AMDA
  ウクライナから来日されて23年と伺いました。文化や風習の面で、ウクライナとの違いを感じることは?

 リリヤ
  日本では、「また遊びに来てください」と言われても、実際に訪ねる人はいませんよね。でも、ウクライナの人は、本当に遊びに行きます。本心にないことを口にすることはあまりありません。また日本では、子どもたちの制服や髪型が学校で細かく決められていることにも驚きました。

 AMDA
  2022年2月24日のウクライナ侵攻以来、私たち日本人には到底想像の及ばない、戦時下の母国に対する苦しい思いがあると思います。

 リリヤ
  侵攻直後、私は西部リヴィウにいる母と姉に電話しました。「始まったよ」という姉の一言に、言葉が出てきませんでした。二人とも、夫や息子を残して避難などできないと、「絶対に他所へは避難しない」と言いました。ウクライナでは、国を守るため、18歳以上の男性が国外に逃れることは基本的に許可されていません。母は東部の前線地域から逃れてくる人たちを自分の家に泊めていました。昼夜、絶え間なく続く車の列。その光景は今でも脅威として母の心に刻まれているそうです。

 AMDA
  昨年、ウクライナに行かれましたね。

 リリヤ
  首都キーウに滞在した3日間のうち、最初の2日間は、地下の防空シェルターで寝泊まりしていました。3日目はさすがに疲れが出て、宿泊先の部屋で休んでいたのですが、夜11時ごろに空襲警報が鳴り響き、建物の10階から駆け下りました。すでに多くの宿泊客が避難しており、とても眠れる状況ではありませんでした。地下2階にいても、ミサイルが着弾した時の衝撃波は伝わります。避難している人達同士で、なんとかつながるインターネットで情報を拾い、励まし合い、生き延びました。翌朝、外に出てみると、燃えたあちこちの建物から煙が立ち上り、辺りを覆っていました。その後、リヴィウに向かったものの、到着したその日に攻撃を受けました。攻撃の前には、偵察ドローンが飛来します。その音は原付バイクのエンジン音に似ているのです。シェルターもない中、「どうかここには(ミサイルが)落ちないで」と祈るしかありませんでした。今、このような無差別攻撃が激化していて、多くの市民が犠牲となっています。それでも、人は生きていかねばなりません。人で溢れかえるシェルターで寝起きし、一度自宅で身支度を整えてから職場に向かいます。市民に仕事がなければ、国も生き残れません。一方、国外に避難していた人たちが、ウクライナに戻ってきているという現実もあります。避難先では、仕事もなく、子どもたちにも中々友達ができないからです。空爆が激しい東部の学校では、地下シェルターを使って授業が行われています。5月は卒業式のシーズンですが、そんな晴れ舞台でさえ、地下で迎えなければなりません。まるでモグラのような暮らしです。恐怖の感覚が麻痺して、市民はこの状態に次第に慣らされていくのではないかと感じています。

 AMDA
  今、リリヤさんが日本の人たちに伝えたいこととは?

 リリヤ
  “ウクライナを忘れないで”ということです。この戦争は、ウクライナだけの問題ではありません。“国際法という人類共通の規律を国際社会がどれだけ守り抜けるか”という、「世界の平和な未来」そのものに関わる問題なのです。

日本から寄贈された緊急車両