熊本地震 母校での緊急医療支援活動 難波妙調整員の声(岡山県総社市在住・熊本県益城町出身)(2016/6発行ダイジェストNo.46) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
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熊本地震 母校での緊急医療支援活動 難波妙調整員の声(岡山県総社市在住・熊本県益城町出身)(2016/6発行ダイジェストNo.46)


難波妙調整員(中央)

4月14日、熊本県で地震というAMDA本部からの一報を受けて、「まさか益城町が」と信じられない思いで、実家の母に電話をしました。「生きとる、今、忙しか!」という声で無事を確認し、その日の未明、夫とともに益城町に向け車を走らせました。親族や友人を心配しながらの道中でしたが、医療支援活動を行う決心をしていました。15日9時30分頃、益城町に到着。全壊した実家を目の当たりにしましたが、母が生きていたことを良しとして、心と頭を切り替え、益城町の災害対策拠点を数か所訪問し、母校である広安小学校を訪ねたときに、「AMDAの活動拠点は、この保健室!」と確信しました。

学校側から了承を得て、一人でも早く診たいという気持ちで、保健室を救護所にする準備をしながらチームを待ちました。15日夜にAMDA医療チームと総社市役所の職員の一次隊が到着し、避難所となっている教室一つ一つに医師が到着したことを伝えながら回診をしました。そして、その夜、16日、1時25分、震度7の本震が発生しました。

ホテルの壁はひび割れ、水は漏れ出し、生きた心地はしませんでした。被災しながらもチームは皆、少しでも早く保健室に戻りたいという気持ちを抑えながら、夜明けを外で待ち、早朝、広安小学校へ向かいました。

保健室の棚は倒れ、物は散乱していました。片づけながら、診療を開始しました。益城町の誰もが地震とは無縁の地と信じていました。しかしながら、28時間の間に2度も発生した震度7という大きな地震とその後も続く余震の影響で、救護所には怪我をした人に加え、その恐怖心と不安から心身への影響を受けている方が多く訪れ、一日の患者数が70人余りになったこともありました。

震災発生から5月31日まで、のべ120人を超える医師、看護師、薬剤師、鍼灸師、理学療法士、介護福祉士と多職種が、広安小避難所で行った緊急医療支援活動、益城町総合運動公園でのテント村救護室看護師派遣、シルバーピアさくら樹での介護福祉士派遣プロジェクト、そして現在も継続中の災害鍼灸プロジェクト等に、一丸となって被災した人たちの心に寄り添い、延べ2,041名を支援することができました。

町並みは崩れましたが、故郷の誇りは残っています。熊本の復興を信じ、熊本地震にご支援くださいました多くの皆さまに益城町出身者として心より感謝申し上げます。