救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

AMDA と東北、15 年の絆:東日本大震災復興支援活動総括(2026/04発行ジャーナル春号)

勢島 康士朗


 東北を中心に未曾有の被害をもたらした東日本大震災から、3 月11 日で15 年。AMDA が地震発生翌日に救援チームを現地へ送ったあの時から、AMDA と東北の長い、長いつながりが始まりました。緊急支援から復興支援へと形を変えながらも、絶えず東北への支援を続けてきた根底には、この15 年で培われた東北の方々との「絆」がありました。

絆を未来へ ― 大槌健康サポートセンター

 今年3 月の雪降る日、AMDA 大槌健康サポートセンターで地域住民の皆さんとAMDA 職員の交流会が行われました。「私はみんなと一緒に笑うためにここに来ているんです」。ある女性の言葉に、これまでに同センターで育まれてきた地域の絆を知り、心が温まりました。

 震災で人口の約1 割が犠牲となり、全家屋の約7 割が被害を受けた岩手県大槌町に、AMDA は震災直後から入り、避難所での医療支援や巡回診療、支援物資の配布を行いました。

 復興に向かう中、地域では家が残った人と家を失った人の間に断絶が生まれ始めていました。「家のあるなしにかかわらず、被災地住民のみんなが心身ともに健康になれる場所を作ろう」。2011 年12 月、AMDA の地元スタッフが中心となって同センターを設立。以来、教室事業や鍼灸治療、子育て支援などを通じ、多くの困難を乗り越えながら地域の人たちが集う場であり続けてきました。

佐々木賀奈子センター長
佐々木賀奈子センター長

 同センター長で鍼灸師の佐々木賀奈子さんは、設立当時から携わり続けるただ一人のスタッフです。震災の時、津波に飲まれながらも命からがら助かった佐々木さんは、苦しみの最中に鍼灸師を探していたAMDA と出会い、避難所での活動をともにしました。被災者の体温を手で感じながら鍼治療を行い、心に寄り添って話を聞くことが、佐々木さん自身の生きがいとなったといいます。

 「震災は本当に憎い。でもあの地震がなかったら、ここにいるみんなともAMDA とも出会うことはなかった。みんながいたから私はここにいるし、今の大槌がある。感謝でいっぱい」と佐々木さんは話します。「15 年間の恩にただ感謝するだけではなく、生かされたものとして、次は私たちが恩を返し、子や孫へとつないでいきたい」。その思いがこれからの大槌を支え、未来へとつながっていくと考えています。

被災地と被災地、支えあうつながり―復興グルメF1 大会

 宮城県南三陸町の志津川仮設魚市場で3 月29 日、『第18 回復興グルメF-1 大会』が開催されました。宮城、岩手、福島の被災3 県や栃木県から15 チームが参加し、各地のご当地食材を使ったグルメを来場者に提供。新鮮な海の幸の香りと郷土芸能の太鼓の音が響く会場には、人々の笑顔があふれていました。

 被災地域の仮設商店街が集まって2013 年11 月に始まったこのイベントは、第1 回の気仙沼市を皮切りに計18 回・11 地域で開催され、各地の復興を後押ししてきました。仕掛け人の一人、気仙沼市の南町紫神社前商店街事務局長の坂本正人さんは「被災地域同士で一緒に復興を考えられたからこそ、ここまで復興を果たすことができた」と話します。

 震災で商店街が失われた南町。坂本さんは震災から2、3 か月後から移動販売でコロッケを売り始め、次第に仲間が集まり、仮設商店街を作り上げました。地域復興のために必死で活動する中、震災から1 年ほど後に出会ったAMDAの菅波茂前理事長の「少し顔を上げて自分たち以外の被災地も見た方がいい」という言葉が、被災地間の連携を生む転機となりました。「復興状況に差はあれど、地域を超えた仮設商店街というつながりがあることが何よりも心強かった」。こうして生まれた大会は、被災商店街の復興の象徴となりました。

坂本正人さん
坂本正人さん

 「終わるのは寂しいけど、チームF-1 は残っていく」。復興の進展を受けて今回が最後の開催となりましたが、これまでにできたつながりを活かして、他地域の災害支援などに取り組んでいく方針です。「地域は違っても同じ被災者として仲間意識が生まれた。またいつか集まれる。それがF-1のあった意味だと思う」。
 
 
遠くても、つながっている ― NPO 法人仙台夜まわりグループ

 「岡山と仙台はやっぱり遠い。それでも私たちを、東北の震災をずっと忘れないでいてくれることが何よりもありがたいんです」。AMDA が2011 年から物資支援を続けてきたNPO 法人『仙台夜まわりグループ』の新田貴之理事長は、15 年の節目にそう思いを語ります。

 2000 年から路上生活者への支援を続けてきた同グループは、震災後、住む場所を失った被災者らが仙台市内で路上生活を送るようになったことから、連日の炊き出しで命をつなぎました。備蓄が底をつく中、AMDAはおかやまコープなどの団体と協力して物資を届け続けました。

 今も震災による生活の破綻や人間関係の変化が尾を引き、社会的孤立に悩む人がいるといいます。「どれだけハード面で復興しても、精神面での復興に終わりはない」。新田さんの言葉に、震災がもたらした影響の大きさを感じます。

新田貴之理事長
新田貴之理事長

 新田さんは、「震災から時間が経つごとに支援は減りました。それでもずっと続けてくれたAMDA さんがいたから、私たちもこれまで支援を続けることができました」と話します。距離を超え、時を超え、岡山と東北のつながりは復興の力となり続けています。

 AMDA は2026 年3 月末をもって、東北への復興支援に一つの区切りをつけます。しかし、あの未曾有の大
災害をともに乗り越え、15 年という長い時間をかけて培ってきた「絆」がなくなることはありません。「次は私たちがAMDA さんのように、他の人たちを助けられる存在になりたい」―― 東北の方々からそのような言葉が生まれたことが、AMDA が創設以来大切にしてきた「相互扶助」の理念がこの地に根付いた証です。AMDA はこれからも国内で、世界で、医療支援を通して人と地域をつなぐ絆を育み続けていきます。