ハイチ地震復興支援
AMDAグループ代表 菅波 茂
(派遣期間:2010年1月20日〜27日)
会見で活動報告をする菅波代表(左)と朴医師(右)。 |
1月12日、21万人以上の死者と220万人におよぶ被災者をだした大地震がハイチの首都ポルトープランス近郊で発生。前代未聞の被災者救援活動となりました。政府の統治機構崩壊により、治安の維持、水・電気・通信など社会インフラ、そして民間団体の受け入れなどが不可能となりました。4千人の武器を持った脱獄囚人に加えて、前アリスティド大統領が一斉蜂起を期待して市民に配ったが回収されていない銃器。その回収と治安を目的とした国連ハイチ安定化ミッションも大きな被害を受けました。豊富な救援物資が在りながら、配布システム不備が原因の格差。大きなビルほど死臭がきつい瓦慄の街。40万人の郊外移住の計画に必要な20万帖のテント。誰が何処から搬送するのでしょうか。
1月15日、AMDAは、日本から第1陣をドミニカ共和国首都サントドミンゴ経由でハイチに派遣。 2月12日までに合計18人を派遣しています。岡山本部、カナダ支部、コロンビア支部、ペルー支部、ネパール支部からの医療スタッフの派遣に加えて、ボリビア支部とインド支部の医療チームが待機しています。ハイチ国内でAMDA医療チームを受け入れてくれたのはカナダ支部から紹介された非営利団体CECIです。ポルトープランスから北西に90kmにある都市サンマルクに活動拠点を持っています。1月22日にはサンマルクに米軍の歩保護下にある米国の医療スタッフと救援物資が大量に入ってきたことから、AMDA医療チームは更に北に40kmにあるゴナイブに開設された国連管轄地域医療施設へと移動しました。そこでは警護、宿舎そして食事などが提供される最適な活動拠点です。日本を出発する前に、軍の保護の無いAMDAにとっては、ハイチ国内では国連軍に保護されている国連管轄地域医療施設とドミニカ共和国国境地帯の医療機関を活動拠点とすることを考えています。
1月21日、私はドミニカ共和国に人国しました。政府の統治機構が崩壊しているハイチでの救援医療活動は出口のない人道支援活動になる可能性が高い。今後の活動方針の決定のためでした。治安を確保して必要な医療を提供できるのでしょうか。ハイチ国内か、ドミニカ共和国の国境地帯か。緊急対応医療か、一般医療か。国境にある人口1万人の町ヒマニの病院を視察しました。各国からの医療チームが活動していました。サントドミンゴでは日本大使館、JICA事務所、そしてドミニカ日系移民協会を訪問して助言を頂きました。1月23日にハイチ国内の医療ニーズが変わりました。整形外科手術により下肢を切断した患者に必要な義肢が求められ始めています。国境地帯にあるドミニカ共和国ヒマニの公立病院に義肢センターを設置することに決定しました。下腿を失って歩けない患者は最貧国ハイチでは究極の社会弱者になる可能性が高いからです。
ハイチ復興支援の鍵は人々の団結力にあります。それは医学を超えています。 ドミニ
カ共和国は野球天国です。ハイチのスポーツは野球とサッカーです。ドミニカ共和国には、1990年に設立されて以来、日本野球界に人材を提供している広島東洋カープ野球アカデミーがあります。ドミニカ日系移民協会と協議の上、少年や社会人野球交流推進によりハイチの復興支援を後押しすることに決定しました。
政策提言をします。広島東洋カープのある広島県と国際貢献推進条例のある岡山県の両知事が、道州制をめざして両県民の融和のために、少年野球チームをドミニカ共和国に派遣してはどうでしょうか。更には、台湾と韓国からも少年野球チームを派遣してはどうでしょうか。「ハイチ復興支援!野球交流推進」は東アジア共同体推進への布石になる可能性もあります。大きな破壊は大きな創造への第一とは、ヒンズー教のシバ神の示唆です。誇大妄想でしょうか。