フィリピン台風16号:倉敷フィリピーノ・サークルの代表として支援に参加(2009/12発行ダイジェストNo.33掲載) – AMDA(アムダ)
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フィリピン台風16号:倉敷フィリピーノ・サークルの代表として支援に参加(2009/12発行ダイジェストNo.33掲載)

フィリピン台風16号:倉敷フィリピーノ・サークルの代表として支援に参加

倉敷フィリピーノ・サークルの代表 古城デイジー


避難所の小学校で聞き取りをする古城調整員(中央)

 2009年9月29日から10月3日まで、フィリピン台風16号被害対する緊急医療支援活動に、調査を中心とした目的で、参加しました。私は、岡山県内のフィリピン人の集まり、倉敷フィリピーノ・サークルの代表として、参加させて頂いたと考えております。このような活動に参加できることは、心の喜びです。

 

 9月29日、私とAMDAのニティアンさんは岡山を出発し、同日午後11時半にマニラに着きました。私の兄と姪の夫が空港まで迎えに来ました。家に着いたのは、翌30日午前1時前ぐらいだったと思います。翌朝、兄と甥4人で一番災害の大きかったマリキナ市に行きました。いくつかの家があとかたもなく流されていました。また、あちこちに動物の死骸が悪臭を放っており、病気になるかと思いました。噂によると、この近辺には、犠牲者の遺体が横たわっており、これから埋葬するということでした。

 

 避難所となっているバウチスタ小学校に調査に行きました。この学校には3,600人の避難者が生活していて、1教室に13 −14家族が生活しています。避難者は、飲み物や食べ物はいろいろな団体から支援が入っていると言っていましたが、公衆衛生に関しては問題がありました。

 

 30日、フィリピン沿岸警備隊を訪問し、支援内容や支援に必要な医薬品の聞き取りを行いました。その後、私たちは、聞き取りを元に、医薬品を購入しました。10月1日は、大変な雨でした。新たな台風がマニラに近づいているということでした。私たちは、再度フィリピン沿岸警備隊に行き、ミーティングをしました。その結果、医薬品は、3日に配ることが決まりました。残念ながら私はその日、帰国することになっていたので帰国しました。