ネパールで迎えた14年目の阪神淡路大震災の日
AMDA兵庫県支部支部長 医師 江口 貴博
シッダールタ君も飛び入り参加したステージ |
ダ・カーポの皆さんによる演奏 |
絵本「ありがとぅね」作者の鈴記好博医師(右端) |
AMDAネパール子ども病院で合同慰霊祭 (手前は東山泰清権大僧正) |
仏教の聖地ルンビニにあるアショカ王の塔 の前で合同慰霊祭 |
阪神淡路大震災から14年になる1月中旬に、AMDA兵庫県支部メンバーを中心に総勢27人で、AMDAネパール子ども病院を訪問してきました。
本来10周年のお祝いは昨年11月2日に行うのが普通ですが、今回この1月17日に行ったのには大きな理由がありました。それはこの病院が、阪神淡路大震災の時にいただいた支援に対するお礼として、被災地からの寄付が集まってできた病院だからです。私たちは、その10年の節目にあたって、震災の日の1月17日に、日本人とネパール人とで合同の慰霊祭を行うことを考えました。
阪神淡路大震災では6,434人もの方が亡くなられ、震災から14年が経っても、大切な人を失った人々の心はまだ癒えていません。しかしながら、そのお礼で出来たこの病院では、40万人もの女性やこどもたちの病気が癒され、そして2万人もの赤ちゃんが誕生しています。その現地で震災物故者の方々の慰霊を行うことで、少しでも心が癒されるのではないかと考えたのです。そしてまたネパール子ども病院でも、献身的な治療にも関わらず、治療の甲斐なく亡くなった女性たち、子どもたちがいます。そういう女性や子どもたちの慰霊もいっしょに行うことで、お互いに大切な人を思いやる気持ちを共有したいと考えました。
今回の慰霊の訪問には、徳川家の菩提寺である高野山蓮花院の東山泰清御住職がボランティアで参加して下さいました。そして、仏教の聖地であるルンビニのアショカ王の塔の前で、日本人一行により、震災物故者およびネパール人物故者に対して、みんなで祈りを捧げました。この地に発祥した仏教が遠く日本に伝播し、AMDAネパール子ども病院が懸け橋となって、遠い日本からこうして慰霊に訪ねることが出来たことを思うと、とても感慨深いものがありました。
国内線の遅延もあって、ブトワールにあるAMDAネパール子ども病院に着いたのは夜7時ごろになっていましたが、遅くなったにもかかわらず、ライトアップされた病院の周りには多くの人が集まり、ネパールの人々による歌と踊りの歓迎に感激しながら、夜は更けていきました。
そうして1月17日、朝から合同慰霊祭が始まりました。まず、江口から今回の合同慰霊祭の趣旨を説明し、そして宗教の壁や文化的な壁を乗り越えて、一緒に祈りましょうと呼び掛けました。慰霊祭には、ネパールから、仏教、キリスト教、イスラム教そしてヒンズー教と、さまざまな宗教の司祭が顔を揃えて祈りを捧げ、また東山泰清御住職による法要も滞りなく執り行われました。その光景は、宗派や国籍など関係なく、お互いを思いやる心と心が通じ合ったような、そんな感動的なひと時でした。
感動覚めやらぬまま、午後のAMDAネパール子ども病院10周年記念式典が始まりました。式典では、ネパールの保健大臣やブトワール市長など、多くのお祝いの言葉をいただきました。そして、新しく建てられた外来棟のオープニングセレモニーでは菅波代表によるテープカットが行われ、また、今後建設予定の周産期病棟の地鎮祭も行われました。私たち日本人からのカルチャープログラムでは、10周年を記念して作成した絵本「ありがとぅね」の拡大版を見せながらストーリーをネパール語で朗読し、その内容を披露したところ、会場は明るい笑顔に包まれました。
また今回、ボランティアでご同行頂いたファミリーシンガーソングライター、ダ・カーポの皆さんによる演奏も会場を盛り上げました。ダ・カーポさんといえば、いつもチャリティーコンサートで寄付を呼びかけ、またこのたび、AMDAネパール子ども病院のテーマ曲「命の花」を作って下さり、心から支援をして下さっている方です。会場のみんなは、その美しい歌声と、ギター、フルートの音色に魅了されました。そして、「命の花」を会場全員でネパール語により合唱、ステージには、この病院で最初に生まれた子であるシッダールタ君も飛び入り参加し、その盛り上がりは最高潮に達しました。
私たちAMDA兵庫県支部のメンバーは、震災で亡くなった方々や支援して下さった方々の思いを胸に刻みながら、今後もAMDAネパール子ども病院を支援し続けます。これからもご支援のほどどうぞよろしくお願いいたします。
【日程】 【日本からの参加者】 敬称略 【現地参加】AMDA社会開発機構 小林麻衣子 |