AMDAグループ代表 菅波 茂
2018年8月15日。インド災害史上まれにみる豪雨による洪水で死者約500名に加えて100万人以上の被災者が発生しており、100年に1回の災害とも報道された。私はとっさに南海トラフによる津波被災者350万人の数字を思い浮かべた。少し間をおいてインド支部、ネパール支部、スリランカ支部、バングラデシュ支部そして日本から構成する「AMDA多国籍医療医師団」としての医療支援活動を想定して準備を進めた。南西アジア地区の相互扶助体制であり、世界災害医療プラットフォームの南西アジア版のモデル構築である。
ただ、残念なことは、西日本集中豪雨、インドネシア・ロンボク島地震による被災者医療支援活動が同時に重なったために、今回のケララ州における被災者支援活動が初動の機会を逸し、取り組みが遅れたことである。ミナクシ-インド支部事務局長からの助言をいただいた。初動が1週間以内だったら、AMDA多国籍医師団として医療支援がもっと展開できたと。サマラゲ-スリランカ支部長からはスリランカにも多数のタミール人がいる。彼らの多くがタミルナドゥ州だけでなくケララ州からも来ている。彼らの人脈を活用すれば非常に迅速にして効果的な活動ができたとの助言をもらった。AMDAとして常に提唱をしているローカルイニシアチブのコンセプトのもとに、最初から彼らに相談をすべきだった。「後悔先に立たず」である。太平洋戦争のミッドウエイ海戦を思い出した。わずか5分間の魔の判断ミスによって、米軍の雷撃機の大群に襲われて日本帝国海軍が複数の空母群を失うなど決定的な損害を被った事実である。
なお、AMDAとしてのインドにおける災害医療支援活動を紹介したい。グジャラット州地震被災者医療支援活動(2001年)、スマトラ沖地震津波被災者医療支援活動(2004年)、ビハール州洪水緊急医療支援活動(2008年)、カルナタカ州洪水緊急支援活動(2009年)、ウッタラカンド州洪水緊急医療支援活動(2013年)、カシミール洪水緊急支援活動(2014年)、ビハール州洪水緊急支援活動(2017年)などである。
インド連邦の南端にあるケララ州は全く未知の土地であり、人脈もなければ地理もわからなかった。すべてゼロからの医療支援活動の組み立てであった。幸いなことに、遅きに失したが、各支部からは医療チーム派遣に関して積極的な反応があった。日本からはインドには経験がある岩尾智子氏(34歳)と松永健太郎氏(32歳)の2名をインドに派遣した。両名が抜群の調整能力を発揮したことを付記しておきたい。ただし、インド政府が海外からの支援に否定的だった。ケララ州に近いカルナタカ州コダグ県メディケリ町で医療支援活動を実施していたAMDAインド支部のラマチャンドラ・カマト医師の医療免許のもとにAMDAネパール支部から派遣された医師が医療活動を行った。同時にケララ州でも下記の支援活動を実施した。AMDAインド支部事務局長ミナクシ医師とともに、地元協力団体ケララ州チェンガヌールロータリークラブと協力して被災した地域住民への調理器具をはじめとした物資支援および被災した生徒への文房具支援。加えて、インド支部長カマト医師の紹介でケララ州地元医療チームと現地協力団体セワ・バルティと一緒にケララ州チェンガヌールと周辺地域で被災者への医療支援活動も行った。海外からの支援を拒否したインド政府およびケララ州政府の迅速な被災者支援活動には瞠目すべきものがあった。単なる大国としてのプライドだけではなかった。
AMDAの活動に共鳴してくれている前ビハール州警察長官のボルドワジ氏(AMDAインターナショナル顧問就任予定)にケララ州における連携先の紹介をお願いした。なぜならビハール州警察長官はニューデリにある中央政府からの任命であり、各州を超えて全国に人的ネットワークがあるからである。彼の友人である前ケララ州警察長官のジェイコッブ氏を紹介してくれた。そして彼は親戚で、被災したチェンガヌールロータリークラブに所属するスニール歯科医師を紹介してくれた。ここからAMDAの活動が本格的に展開することとなった。なお、ビハール州ガヤ市ブッダガヤにある日本-インド友好医療センター内に建設予定の(仮称)世界災害医療センターから支援物資を搭載したトラックをケララ州被災地に派遣しようとしたが、ボルドワジ氏に止められた。「トラックでは10日以上かかる。途中で洪水の影響があればそれ以上の日数が必要となる」と。東日本大震災の時には岡山から岩手県大槌町まで1500?ほど、車両で24時間ほどかかった。インドの大きさをあらためて認識させられた。同時に、インド全土に展開できるインドの団体と連携する必要性を感じた。
「天は我に味方せり」とはこのことか。被災地で大規模な被災者支援活動を実施している団体RSSと知り合いになり、50人規模の医師団をケララ州で動かしていたRSS下部団体であるセワ・バルティと共同で医療支援活動を実施した。RSSはインド全国津々浦々まで支部がある団体で、ケララ州被災地では5千人規模の人員を動員していた。「AMDAの医療チームが必要とするならすぐに車両を用意します」と申し出があった。日本には存在しない、完璧なロジスティックができる驚異的な団体だった。ちなみに、災害医療活動の80%はロジスティック活動で、残りの20%が医療活動である。私たちの市民生活を支えている救急医療との決定的な違いである。理解してほしい。将来、インドにおける災害医療活動でこの団体と連携できることはAMDAにとってはかりしれないメリットがある。問題はこの団体がヒンズー至上主義と言われていることであるが、人の命を助けるためには誰とでも組むのがAMDAの姿勢である。この団体はAMDAの連携団体であるパキスタンにおけるNRSP(National Rural Development Program)、そしてスリランカにおけるサルボダヤに匹敵するインドのNGOである。 この団体との出会いで1つの有名なことわざを思い出した「犬も歩けば、棒にあたる」である。しかし、「犬も歩かなければ、黄金の杖にはあたらない」が正しいと思った。いずれにしろ、被災地では多くの民間団体が積極的に活動していた。なお、インド医師会のケララ州支部事務所には電話がつながらなかった。事が事だけに多忙を極めていたと推測した。
特筆すべきは、洪水により孤立した被災者たちを救出したのが軍と警察に加え、自主的に自らの船で駆け付けた漁師たちだった。「2004年に発生した津波により私たちの村は多くの死者と被災者をだしたが、みんなに助けてもらった。私が小学生の時の記憶である。今度はその恩返しと思って被災者支援活動をしている」と。実際に、彼らはケララ州政府からの謝礼を断っていた。まさに時系列の相互扶助である。普通は中国人以上にお金に厳しいインド人であるが、このような状況下では全く異なる精神性を発露する。興味の尽きない深い文化である。なぜなら、ヒンズー文化では、時系列で成り立つ、義理と人情のコンセプトはないと言われている。ビジネスでも同じように今日と明日は非連続である。完全に中国文化とは異なる。
2004年のスマトラ沖地震・津波がインド洋周辺の国々を襲った時の被災者は30万人以上である。この時はケララ州の北に位置するタミルナドゥ州の海岸沿いの地域が被災した。たくさんの死体を、処理しきれずに、大きな穴を掘って埋めて表面をコンクリートで固めたと聞いている。この時にはAMDAは主として日本、インドそしてネパール支部からのAMDA多国籍医療チームでもって被災者支援医療動を行なった。1年後に死者を弔う魂と医療のプログラムを、岡山市にある太生山一心寺のご住職である中島妙江上人を中心として、実施した。ちなみに、岡山にある太生山一心寺の別院が2009年からブッダガヤで、本当に小さな寺院であるが、活動を開始している。ブッダガヤでは世界遺産であるマハボディ寺院から1km圏内に、医療機関を単独で建設できないので、AMDAピースクリニックはこの一心寺別院の付属医療機関として活動をしていることも併せて付記したい。
AMDAの被災者に対する今回の活動の要約を紹介したい。なお、詳細については後日に岩尾智子から報告予定である。
将来構想も紹介しておきたい。ブッダガヤに建設予定の日本-インド友好医療センター内に(仮称)世界災害医療センターを併設して南西アジアにおける災害医療の拠点化を考えている。そのための連携を下記のように具現化したい。
- ブッダガヤロータリクラブやガヤ大学などとの連携強化。
- ブッダガヤにある日本仏教施設に協力要請。
- ブッダガヤ宗教委員会から各国の仏教徒団体へのアピール文の配布。
- 天台宗インド連邦ナグプール支部との協力。
- インド中央政府およびビハール州政府との災害支援協定の締結。
- その他必要な事項。