今年、元旦に震度 7 の地震が能登半島を襲いました。AMDA は、翌日、1 月 2 日に調整員を現地に派遣し、約 550 人が避難していた輪島市立輪島中学校保健室を医療救護所として、2 月 3 日まで、延べ 792 人の診療を行いました。劣悪な衛生環境下で感染症が猛威を振るう中、日本青年会議所医療部会から提供された支援物資は、AMDA の活動を大いに支えてくれました。今回は、物資を直接輪島まで届けてくださった南辰也様に当時の思いをお聞きしました。 (聞き手:AMDA 副理事長 難波 妙)
AMDA
日本青年会議所医療部会(以下、医療部会)について教えてください。
南
医療部会は、今年で創立から 60 年を迎えました。医療に関連する事業に従事するメンバーが約 400 人所属しており、医療制度の研究や海外での医療支援活動を行っています。今年、日本国内では、旭川で医療従事者を目指す次世代育成のために、地域病院と協力して一日職業体験を実施しました。また、私も参加したカンボジアでの学校健診のように、海外でも医療支援活動を展開しています。
AMDA
1 月 3 日には能登半島地震支援活動への協力のお申し出をいただきました。
南
私は、精神科の医師ですが、救急にも関心があり、神戸災害医療センターで災害医療の研修を受けています。AMDA が被災地のど真ん中で迅速に対応しているという記録は、医療部会の中では、脈々と残っており、今回も部会の中から AMDA に協力しようという声があがりました。
AMDA
活動開始直後、輪島中学校避難所では感染性胃腸炎、新型コロナ感染症、インフルエンザが発生し、AMDA は、感染症拡大を食い止めることに必死でした。そんな時、医療部会にお願いした支援物資が届きました。2回目の物資は、南様ご自身が届けてくださいました。輪島中学校に到着されたのは、深夜 2 時を過ぎていたと思います。あの状況で輪島まで物資を届けるのは大変だったのではないでしょうか?
南
医療部会には様々な医療従事者がいますし、ネットワークを駆使すれば、何かしらの方法で応えられるのが、我々の強みです。あの時は、神戸から東京まで支援物資を取りに行き、その後、金沢でレンタカーを借りて輪島まで向かいました。街灯のない道や、陥没した場所を避けながら、我々の仲間から届いた情報をもとに、なんとかたどり着くことができました。信号は倒れ、ほとんどの建物は崩壊し、深刻な被災状況を目の当たりにして言葉を失いましたが、医療者として、少しでも力になりたいと強く思いました。医療部会のメンバー全員が同じ気持ちでした。
AMDA
おかげさまで、AMDA は感染症の拡大を無事に食い止めることができました。南様をはじめ、医療部会の皆様のご協力があったからこそと改めて強く実感しております。心より感謝申し上げます。引き続き、ご協力をいただければさらに迅速な活動を実現できると思います。どうぞよろしくお願いします。