​ウクライナ避難者支援活動(2023/01発行ジャーナル冬号) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

​ウクライナ避難者支援活動(2023/01発行ジャーナル冬号)

 
AMDA は、2022 年3 月7 日より10 月末まで14 名の医師、看護師、調整員をハンガリーに派遣。ウクライナに近い国境地域で、避難者を対象とした医療支援、物資支援などを実施しました。現在はハンガリー、ウクライナ両国の関係者主導による支援を継続しています。ハンガリーでは、これまで活動を共にしてきたヴァルダ伝統文化協会を通じ、食糧や医薬品、防寒着等をウクライナ国内に提供。ウクライナのセントミッシェル小児総合リハビリセンターにエアコンを寄贈したほか、ハルキウでは、現地協力団体のダイナスティメディカルセンター主導による食糧支援が行われています。今後も現地と緊密に連携しながら、必要な支援を継続する方針です。
 

『自分にできることを探しながら』 ( 派遣者手記)

AMDA緊急救援ネットワーク登録看護師 菊池 友枝
私がロシアとウクライナが戦争を始めたと聞いたのは北海道の礼文島で働いている時だった。そのニュースを聞いた時、「まさかこの時代に」「すぐに終わるのかな」と思っていた。しかし戦争は続き、ウクライナ国内の被害や避難民が多数出ているとのニュースが世界中に流れた。私は看護師の派遣募集がいつ来ても対応できるように、礼文の仕事を終わらせ神奈川県へ戻った。

 
私にとってロシアとウクライナは、行ったことはないが身近な存在だった。青年海外協力隊としてウズベキスタンに派遣された経験からキリル文字・ロシア語などの共通点が多く、両国に友人、知人もいるためである。2 つの国へ旅に出かけた友人たちは「美しくて素敵な国であった」と皆口を揃えて言う。両国ともいつか訪れたい国の一つであり、それは今でも変わらない。

タイミングとご縁で2022 年9 月上旬からAMDAの調整員兼看護師として派遣していただけることになった。この原稿を書いているのは派遣から約1 週間後のハンガリー国内からである。先日ウクライナとの国境まで避難民を迎えに行く車に同乗した。数メートル先はパスポートコントロール、さらにその先はウクライナ国内である。もちろん前線ではないので、そこで銃撃戦が繰り広げられているわけではない。でも、この土地が続いている先で繰り広げられている光景を想像してみる。

ヘルプセンターに来た母と11 歳、9 歳、5 歳の姉、妹、弟の家族。父親は一緒にいないが、理由は聞かない。姉たちの爪にマニキュアを塗った。嬉しそうな2 人。姉たちと同じことをしたい弟は自分にも塗れと要求してくる。次姉が「お母さん!いいの!?」と母親に確認する。母親の返事はNo。でもそんなことを聞き入れるわけもない弟はしつこくせがむ。小指だけ塗ってもらう。喜ぶ弟とそれを見て「やれやれ」という表情の2 人の姉。どこにでもある姉弟の日常。でも、この子たちの本来の日常は戦争によって奪われ、避難を余儀なくされている。ふと見ると、さっきまで私と笑顔で話していた長姉が母親に何か訴えながら静かに泣いていた。なぜ泣いているかは分からない。ただの姉弟喧嘩かもしれないし、もっとたわいのないことかもしれない。末弟は母姉たちがいて楽しい旅行と思っているのかもしれないが、11 歳の長姉は何か思うところがあるのだろう。

私は人が亡くなる理由が戦争であってはならないと思っている。戦争で傷ついた人を見た時、私は看護師としてどう感じるのだろうか。家族や友人を戦争で亡くした人を目の前にした時、自分の生まれ育った国を離れなければならない人たちを前に自分に何かできるのだろうか。私にできることは極わずかかもしれないが、残りの1 ヶ月、精一杯活動をしようと思っている。