AMDA理事長 佐藤 拓史
発災当初は、上下水道の深刻な被害による断水で、衛生環境は著しく悪化し、感染性胃腸炎、新型コロナウイルス、インフルエンザなどの感染症が多発しました。そのため、隔離教室の設置や土足厳禁エリアの確保など、まずは避難所内のゾーニングを行いました。協力団体からの点滴輸液や薬剤などの提供、看護師によるトイレの清掃など、感染対策と衛生環境整備を行い、1月22日には、避難者数は450人を超えていたものの、感染者数は3人まで減少させることができました。災害高血圧にも対応するため、輪島市の協力を得て、血圧計の設置や理学療法士による”AMDA体操”などの取り組みも行いました。2次避難所への移動により、救護所の受診者数も減少し、1月28日、地元の医療機関での保険診療の再開に伴い、医療支援は、輪島市医療福祉調整本部に一本化されることになりました。AMDAは、2月3日、地元医療、保健師を含む福祉関係者との情報共有を行い、救護所での医療支援活動の任務を完了しました。2月21日までのAMDAからの派遣者数は、延べ48人、792件の診察を行いました。
復興への道筋が、長く険しいことは誰が見ても明らかです。AMDAは今回の支援活動でお世話になった皆様と密に連絡を取りながら、必要とされる支援を行ってまいります。
輪島中学校での救護所診療
2024年元旦午後4時10分頃、能登半島で最大震度7の地震発生直後、被災状況の把握に追われながらも、「直ぐに駆けつけたい」と先走る気持ちが強かったです。「被災地での医療活動がまさに今必要である」とわかってからのAMDAの素早い動きは、国内外での災害派遣の経験に基づく適切なものでした。輪島市の中で最大の避難所である輪島中学校で、24時間体制で救護所を開設し、診療を行いました。余震の続く中で避難されてきた方々は不安な日々が続き、心身ともに消耗する状況でした。そのような状況の中、昼夜問わず同じ避難所で過ごし、できるだけ被災者の近くにいることで、体調の変化や目には見えない心の症状にも気付くことができました。
一方で、「前に向かって自力で歩いていかなければ」と、輪島の人々の強さと温かさにも触れました。今、被災者一人ひとりの平穏な日常が一日も早く戻ることを心から願っています。
この度のAMDAの活動を支え、ともに力を尽くしてくださった多くの皆様へ心からの感謝を申し上げます。
写真で辿る活動の軌跡
AMDA が活動を行った輪島市立輪島中学校
被災地調査を行う諏訪中央病院チーム
避難所の巡回診療
子どもたちとのひと時も大切に
日用品、食料も支援
校舎内に設置された胃腸炎室の様子
難所テントでも健康状態の聞き取り
耳が遠くても、医師の指示をしっかりと伝達