「支える喜び」 第23回AMDA沖縄支部長 大仲 良一様(2020/1発行ジャーナル冬号) – AMDA(アムダ)
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「支える喜び」 第23回AMDA沖縄支部長 大仲 良一様(2020/1発行ジャーナル冬号)

連載インタビュー「支える喜び」シリーズ 第23回
AMDA沖縄支部長 大仲 良一様


AMDAを支えてくださっている支援者の皆様に、インタビュー形式で様々なエピソードをお伺いしている「支える喜び」シリーズ。23回目となる今回は、AMDA沖縄支部(沖縄市)の支部長で、沖縄セントラル病院の理事長・病院長を務められる大仲良一様にお話を伺いました。(聞き手・理事 難波 妙)

AMDA

沖縄支部設立の経緯を教えてください。

大仲支部長

私は、インドでポリオ撲滅の実態調査などの医療支援活動を沖縄西ロータリークラブでやっていたんですよ。そのころにAMDAの菅波茂代表と出会いました。その後また菅波代表と神奈川の小林米幸先生と一緒にAMDA国際医療情報センターの開設に関わりました。正式にAMDA沖縄が発足したのは1994年10月でした。

AMDA

どのような活動をなさったんですか?

 

大仲支部長

中南米での豪雨や地震の緊急医療支援に加え、旧ユーゴから戦時下にある子どもたちの心のケアのために精神科の先生を招聘したりしたこともあります。

AMDA

2004年のスマトラ島の大津波の時にはAMDA沖縄から看護師が、そして2010年ハイチ地震、2017年ペルー洪水の時は、医師がAMDAの活動にご参加いただきましたね。

大仲支部長


ペルー洪水の時は、うちの病院で働いているペルー出身の渡久地医師が率先して行ってくれましたからね。

AMDA

2004年第2回「沖縄平和賞」をAMDAが沖縄県からいただいた時、菅波代表が、沖縄と中南米に住む沖縄の人を結ぶ血縁共同体社会の絆の強さを中南米の緊急救援活動のたびに実感させられたと語りました。まさしく沖縄の風習「ゆいまーる(互助の精神)」ですね。

大仲支部長

AMDAの南海トラフ災害対応プラットフォームの取り組みを聞きました。南海トラフ巨大地震が発生したとき、沖縄が出来る事があると私は思っています。距離的に、沖縄から被災地にすぐに向かうということは現実的には難しい。しかし、一時的であれ、移住してくる被災者を受け入れる場として備える。そのシステムを構築する必要があります。

AMDA

沖縄で大きな地震はなかったんですか。

大仲支部長

過去において約250年ほど前でしょうか。明和の大津波と言いまして八重山の方で大きな地震があり、1万人以上の方が被災しています。ただ、沖縄は地震の備えというよりむしろ台風と津波の影響ですね。ペルーで30年ほど前にあった地震の津波の余波が沖縄まで到達したこともあります。内地のような頻繁な地震はありませんから、南海トラフ大地震が起きた時、被災者の受け入れは可能だと思います。

AMDA

東京のAMDA国際医療情報センターとも一緒に活動されたことがあると伺いました。

大仲支部長

洋上救急、つまり海上での救急搬送のための支援の会の会長もしています。宮古島の方は、中近東の航路になっており、そこで支援要請があり、ヘリコプターで患者さんを救出して治療しました。アラブの方でしたので全く言葉が通じなくて本当に困りました。その時に小林先生に連絡をとりまして、通訳していただいたことがありました。

AMDA

今後の抱負をお聞かせください。

大仲支部長

83歳になりました。まだ脳外科医として働いています。「イチャリバチョーデー(出会ったその時から皆兄弟)」の精神に基づいたAMDA沖縄の活動理念はAMDAの活動理念でもある「多様性の共存」に共通すると思います。沖縄戦を生き抜いた医師として在日外国人も含めた平和共存の社会の実現になるべく長く貢献していきたいと思います。
(インタビュー内の敬称は省略させていただきました)


特定非営利活動法人AMDA国際医療情報センター理事長 小林 米幸

言葉がわからずに困っている外国籍患者を支援したく、沖縄に飛び、一晩、大仲先生と話し合い、翌朝、おいしい食事をいただいたのは30年も前のことです。お元気で変 わらぬ情熱をお持ちであることに敬意を表します。