広報担当参与 今井 康人
炊き出しに集まる路上生活者
一面が雪野原の中で段ボールを敷いて眠る人たち。凍死しないよう夜は町を徘徊し、昼間にうたた寝をする人たち。こんな過酷な中で、どうして野宿をするのでしょうか。ある人がぽつりと言いました。「故郷の東北で死にたいんだよ」。
路上生活者の安否確認をしているNPO法人「仙台夜まわりグループ」がまとめた報告書(2018年4月〜2019年3月)に掲載された一文です。2000年1月13日から活動を始め、まもなく20年の歳月を経ようとしている団体です。
この報告書によると、2000年当時、仙台市で200人を超えていた路上生活者はその後、半分の約100人に減少。ところが、東日本大震災(2011年3月11日)以来、その数は横ばい状態が続いています。
毎年、数多くの人が路上からの脱却を果たす一方で、新たに路上生活に陥ってしまう人たちが引きも切らないのが現状なのです。
AMDAでは東日本大震災をきっかけに、今日を生きる糧となる食糧支援を継続的に実施していますが、まだまだ不十分なのが実情です。自立支援に向け、皆様のご理解とご支援をよろしくお願いいたします。
報告書に掲載された路上生活者の声の一部を紹介させて頂きます。
- 【40代男性】とにかく仙台の路上は寒かった。死にそうなくらい寒かった。もう今年の冬は越せないと思った。どこで歯車が行き違ってしまったんだろう。別世界のように思っているだろうが、誰もがそうなる可能性がある社会であることを知ってほしい。
- 【50代男性】誰だって自分で稼いで迷惑を掛けず生活をしたい。「ホームレスは働く気がない」という人もいるけど、一度ハローワークがどういう状態か見てほしい。
- 【30代男性】職場での人間関係とかいろんなことで疲れてしまって。自殺しようと川に飛び込んだ。でも凍えるように寒くて。死ねない自分が情けなくて。生きることって何が楽しいのか、小さい頃から未だに分からない。これから生きる意味を見つけたい。
- 【60歳男性】宮城県の沿岸部で妻と暮らしていたが、あの震災で家も妻も流され、人生が一変しちゃった。義援金は生活費に使い果たした。年齢が年齢だから仕事が見つからない。