東日本大震災復興支援(2018/01発行ジャーナル冬号) – AMDA(アムダ)
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東日本大震災復興支援(2018/01発行ジャーナル冬号)

東北の活性化へ地元住民がイベント


復興グルメを販売するブース

東日本大震災の被災地・福島県浪江町の町役場敷地内で10月7日、地域活性化イベント「復興グルメF−1大会」と「なみえ復興祭」が同時開催され、多くの住民らでにぎわいました。

復興グルメF−1大会は、被災地の商店街から出品された自慢の逸品を来場者が味わい、投票でNO.1を決める大会。15回目の開催で、なみえ復興祭実行員会・復興グルメF1大会実行委員会の合同主催で、AMDAが協賛しました。

なみえ復興祭は、東京電力福島第1原発の事故で全域が帰還困難区域となっていた浪江町が2017年3月31日、一部で避難指示が解除されたのを受けて企画。震災後、同町では初の復興祭となります。

当日は岩手、宮城、福島県から「石巻の宝箱」「さんまメンチ」などを販売する11のブースが並び、雨天にもかかわらず午前10時の開会前には100人を超す行列ができる盛況ぶり。約1時間後には「売り切れ」の張り紙が相次ぎました。

復興グルメNO.1はNo Donco No Somaの「海鮮茶わん蒸しSP」(福島県相馬市)が選ばれました。

AMDAがボランティアバスを運行

AMDAは、福島県浪江町で開かれる「第15回復興グルメF−1大会」と「なみえ復興祭」を支援するため、現地へ向けボランティアバスを運行しました。

参加した17〜71歳の22人は10月6日夜、JR岡山駅西口をバスで出発。翌7日朝に浪江町に到着し、各ブースに入って来場者にグルメの購入を呼び掛けるなどしました。

8日は浪江町を巡るスタディーツアーを実施。地元で地域コーディネーターを務める押田一秀さんらから地域産業の育成などの取り組みを聞きました。帰途の車中ではボランティアの意義やツアーの感想などを話し合いました。

東北は前進しています

宮城県気仙沼復興商店街・佐々木 笑子さん

東京電力福島第1原発の事故で全域が帰還困難地域となっていた福島県浪江町。一部が避難指示解除となりましたが、私が見た街は人をほとんど見かけず、静まり返っていました。

商店は営業しておらず、民家の入り口は進入禁止の高いフェンスで閉ざされていました。生活の気配が感じられないのです。自分の家があるのに帰れない。この場所で生活してきた方々の心情を思うと、何とも言えない気持ちになりました。

その浪江町で10月7日、「なみえ復興祭」とともに「復興グルメF-1大会」が開催されました。前日の夜は震度5の福島沖地震。大会当日は朝から降りしきる雨。それでも会場の町役場前広場は多くの方が訪れ、元気な声と笑顔であふれました。

東北はまだまだ復興途中ですが、確実に前へ進んでいます!!

「頑張っています」

浪江町役場に出向 赤磐市役所 平井 智子さん

「腰を据えて被災地を支援したい」。自発的に浪江町への出向を希望し、2016年4月から本庁舎で勤務している赤磐市役所・平井智子さん。

現在は産業振興課に在籍。町の観光・産品振興やプレミアム付き商品券の発行、毎月開催のイベントのほか、夏祭り、秋祭りにも手掛けるなど多忙な日々を送っています。

東京電力福島第1原発の事故で全町が帰還困難区域に指定。2017年3月31日に一部で避難指示が解除され、「少しずつ町に活気が出てきた」と喜んでいます。

一方で、震災前に2万1400人だった人口のうち、9月末現在の帰還人口はわずか381人。約1千軒あった事業所も、町内で再開しているのは74事業所に留まっています。

「街の姿を取り戻したい。これからが本番」「地元の人は穏やかで、親切にしてもらっている。浪江町は“第二の古里”」と話し「町民の方が笑顔で暮らせるよう全力で頑張りたい」と意欲を見せていました。(談)