連載インタビュー 「支える喜び」シリーズ第9回 ホウエツ病院長 林 秀樹様 – AMDA(アムダ)
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連載インタビュー 「支える喜び」シリーズ第9回 ホウエツ病院長 林 秀樹様

AMDAを支えてくださっている支援者の皆様に、インタビュー形式でエピソードをお伺いしている「支える喜び」シリーズ。第9回目となる今回は徳島県美馬市のホウエツ病院長で、熊本地震など大規模災害の被災地支援で医療スタッフを次々と派遣されている林秀樹様に話をお伺いしました。

救急救命、地域医療に邁進

AMDA お忙しいところありがとうございます。今回の熊本地震でもホウエツ病院の方々のご活躍は素晴らしく、職員一同感銘を受けています。

とんでもない。そう仰って頂だけてとても嬉しいです。

AMDAそもそも先生が救急救命医療のためにヘリポートを作り、地域医療に熱心に取り組むことになったきっかけを教えてください。

ホウエツ病院のある徳島県美馬市には自治体病院がなく、当院が2次病院を任されています。当方の様に過疎化の激しい田舎において小規模民間で2次病院に取り組んでいくのは、人的・経営的にとても大変です。
ホウエツ病院の前身は、父が昭和23年に築いた林病院です。私は徳島大学旧第3内科勤務を経て昭和60年頃から本格的に林病院に携わるようになりました。
当時はMRIなどの検査機器がそろっている医療機関は当地域になく、病状の進行した患者さんはかかりつけ医から遠方の基幹病院に紹介されていました。父とともに地域の利便性を考え、内視鏡やCT・MR等の医療機器をそろえ、悪性疾患の発見に取り組みました。
検査体制が整うと救急車受入れも増え、2次病院を要請されました。そこで救急車が来るまでに状況に即した準備が整えられるよう、現場の消防と専門ホットラインを作りました。当時ホットラインは大学病院など基幹病院にもありましたが、24時間誰かが必ず電話に出る体制は未だありませんでした。

AMDA 何年くらい前の話ですか?

ホウエツ病院ができてからなので、20年前の話です。2000年には介護保険が始まり高齢者が多い当地域では殆どの医療機関が慢性期医療に取り組み、多忙で経費のかかる急性期をする病院が殆ど無くなってしまいました。検査機器や初期医療体制を充実して救急車の受け入れを良くするために、平成8年5月1日に現在のホウエツ病院に新築移転しました。

病院救急室前にヘリポート

林 秀樹先生(左から2人目)
ホウエツ病院ヘリポートにて

AMDA ホウエツ病院の周りの交通環境は本当にいいですものね。

この地域周辺には心肺停止など重症の方を常に受け入れる医療機関は無く、当初、救命士の皆さんは救命率を上げるために消防庁から二つ課題を与えられていました。
一つは現場に行ったとき適切な状態を把握が出来、必要があればヘリを呼べることです。二つ目はワークステーションで、病院に救急隊や救急車が滞在し、重症が予想される場合は医師も一緒に現場へ出かける体制です。
ホウエツ病院が救命士と一緒に取り組める事として先ずは平成14年12月に病院の駐車場の一角にヘリポートをつくりました。

AMDA すばらしいですね。

徳島県で病院敷地内にヘリポートつくったのはホウエツ病院が最初です。当時から過疎が進んでおり医師・看護師を充実させる事が難しく、当院のみであらゆる重症者に対応することは困難で、いち早く適切な医療機関へ運ぶことが必要となりました。ドクターヘリが開始後、現場での稼働率は常に県内1,2位で年間70〜80件です。

AMDA なくてはならない病院であることがよく分かります。

地域と連携を取ってやってきた結果で、やっぱり地域のために活動する気持ちが大切だと思います。医者になって色々な方に助けられ、父とともに地域の利便性を考えると、連携を組むことで改善されることが沢山ある事を知りました。

先駆的な多職種連携に取り組む

AMDA 地域医療はこういうものなのだと思われたのは、いろいろ時代の要請とか仕組みからで、徐々に今のような機能になってこられたと伺いましたが、先生の矜恃を教えてください。

都会、田舎に拘らずご本人にとって必要な医療や介護があります。資源不足な部門は各々の専門職種以外にも、このぐらいだったらできるという網目を広げ、なるべく漏れが無いように地域で支え合う。また交通機関が乏しく高齢者は来院するだけで大変なため、医療法人芳越会としては、急性期医療だけではなく慢性期医療、在宅など介護分野や居宅に関することもやっています。それでも地域全体で暮らしやすくするには、当法人以外とも密な連携を組み、色々な分野で効率の良い取り組みをしないと、利用される方にとって本当のメリットにはなりません。多職種連携は地域全体から発信されるべきと思います。

AMDA それはまさに日本の進むべき方向の最先端ですね。先生のいらっしゃる地域が都会より早くに少子高齢化から超高齢化社会になっているところから、より深刻に感じてこられたということですね。多職種連携とか、いくつもヒントになる部分を先駆的に取り組んでこられたのが、ホウエツグループだと思います。

皆さんチームで行ってきました。私ひとりの力ではありません。

AMDA そういうスタンスで何事も実践されているのが、成功の秘訣のような気がします。AMDA南海トラフ災害対応プラットフォーム運営委員会の委員長も引き受けてくださって、今すごくお忙しいところだと思います。先生の進め方のスタイルを教えてください。

みんな友だちにしちゃいます。
facebookなどSNSも利用し情報の発信、共有もしていますよ。

AMDA 熊本地震が起こって、いよいよ西日本で何かが起きるのではないかという気がしてきます。今後もますますの活躍をお願いしたいと思います。
(インタビューでの敬称は省略させていただきました)