東日本大震災復興支援事業(2014/1発行ジャーナル1月冬号掲載 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

東日本大震災復興支援事業(2014/1発行ジャーナル1月冬号掲載

東日本大震災復興支援事業

志津川病院ボランティア医療スタッフ派遣


公立志津川病院にて職員の方々と一緒に
写真前左から森下医師、菅波医師

被災地医療機関支援として、AMDAでは宮城県南三陸町の公立志津川病院および南三陸診療所に対して、春季、夏季、冬季の地元医療スタッフが長期休暇を取る時期に、スタッフの方々の負担を軽減すべく、2011年から医療ボランティアを派遣しています。

今回は、3年目の冬季派遣として、12月23日から1月5日までの期間に、医師3名、看護師2名の計5名を派遣しました。

【冬季医療派遣者プロフィール】
今井 聡子(いまい さとこ):看護師/大阪府在住(12/23〜29)
吉廣 優子(よしひろ ゆうこ):医師/埼玉県在住(12/26〜30)
山河 城春(やまかわ しろはる):看護師/埼玉県在住(12/28〜1/5)
菅波 茂(すがなみ しげる):医師/クアラルンプール在住(12/31〜1/2)
森下 克也(もりした かつや):医師/東京都在住(1/1〜4)

 

音楽家の方々によるチャリティーコンサートを開催

AMDAの活動をご支援くださっている音楽家の方々が、音楽を通じた支援として被災地を訪れ、被災地の方々のためにチャリティーコンサート実施してくださいました。

 

久保陽子と仲間たちin雄勝&牡鹿


雄勝町で行われたチャリティコンサートの様子

2013年9月22日から24日の期間に、ヴァイオリニストの久保陽子氏を筆頭にソプラノ歌手の佐々木英代氏、ピアニストの荒木渉氏、メゾソプラノ歌手の平田八千代氏、チェリストの三船文彰氏が宮城県石巻市雄勝町、牡鹿を訪れクラッシックの名曲を演奏してくださいました。

演奏会の会場となったのは「特別養護老人ホーム 雄心苑」「特別養護老人ホームおしか清心苑」「オーリンクハウス」「大須老人憩いの家」。

雄勝町内だけでなく、石巻中心部からも御来場していただき、多くの方々が、心温まる素晴らしい音楽に涙していました。

「最高の音楽を雄勝で聴けて感激!!」「73年間生きてきた中で、一番幸せな日だった」「夢のような時間でした」など来られた方皆さんコメントを頂きました。

いずれも、20名〜30名の小さな演奏会ばかりでしたが、地元の方々と心の通じ合う演奏会になりました。

 

声楽・バイオリン・ピアノによる演奏会in大槌・釜石


大槌町で行われたで行われたチャリティコンサートの様子

2013年10月4日から6日の期間に、声楽家の中谷和子氏、ヴァイオリニストの入江祥文氏、ピアニストの西牧尚子氏によるファミリーコンサートが岩手県大槌町、岩手県釜石市で開催されました。

岡山から岩手へ心を音にのせてというメッセージとともに岩手県立釜石病院、特別養護老人ホーム「らふたぁヒルズ」、カトリック釜石教会を会場に開催しました。

クラッシックの名曲だけでなく童謡なども演奏され、重症の方が多い施設でも、皆さん歌を口ずさんだり、体を動かしてリズムをとるなど、生演奏の迫力を堪能されていました。中には歌いながら涙ぐむ方もいらっしゃいました。

来場者の方からは「ふるさとを歌っていて両親を思いだしました」「認知症の患者さんたちも普段はぼんやりしているのに、今日は目がキラキラしていました」などの感想を頂きました。

また演奏家の方々からは「参加者の方も楽しんでくださって、とてもいい演奏会になりました。」「皆様にこんなに喜んでいただけよかったです。」等のコメントを頂きました。

普段言葉には出せない感情を表現する手段として音楽は欠かせないと改めて感じる会となりました。

なお、入江・西牧夫妻は2001年のアフガニスタン難民支援以来、チャリティーコンサートを続けておられ、今年11月24日にはオルガホールでチャリティーコンサートを開催され、収益をAMDA東日本復興支援にご寄付くださいました。

 

AMDA大槌健康サポートセンター


仮設住宅の談話室で行った出張パン教室は満員

センター主催の養成講座で講師となった方々によるフライパンとポリ袋で作る天然酵母パン教室は大人気です。また、子育て中のママさん、妊婦さんなどを対象とした「まんまるサロン」を岩手県助産師会主催で12月から月に1回のペースで開催しています。ほかにも、ママヨガやボクシングを取入れたエクササイズなど笑顔の集う教室が盛りだくさん。町の方々の心身の健康サポートを担う施設として運用されています。

現在AMDA大槌健康サポートセンターは仮事務所としてアパートの一室で運営しています。
2014年度中の新施設の完成を目指して、現在設計中です。新施設建設にむけて、皆様のご協力をお願いいたします。

振込口座
ゆうちょ銀行 01250-2-40709
「特定非営利活動法人アムダ」

フライパンでつくる天然酵母パン教室 講師養成講座in雄勝 終了


自分の作品を手に、参加者の皆さん

9月5日から11月29日までの間、全12回の日程で、宮城県石巻市雄勝町のオーリンクハウスを会場に、雄勝町公民館主催で「フライパンでつくる天然酵母パン教室 講師養成講座」が開催され、8人が受講し、修了を迎えました。最終日には実技試験として、イングリッシュマフィンとピザを焼きました。

受講生の方からは、「この講義に参加してとてもよかった、自分の生活が少し変わりました」「講師をやってみたい」「地元でこんなに素敵なパン教室に通えるなんて夢のようでした。地元に残って頑張っている方とも交流することができてうれしかったです。」「震災後、公園に仮設住宅が建ち、子どもたちが遊ぶ場所がなくなった石巻で、親子でできるパン教室を開きたい。この講座で世代を超えて一緒に学べたことがうれしかった。」など、参加できたことへの感謝とパン作りで得た喜びを話してくださいました。

本講座は、AMDA大槌健康サポートセンターでも開催され、すでに卒業生の方が講師として活躍されています。そこで、「大槌の方たちともパン作りを通して交流したい」などの意見も出て、被災地間がつながっていく可能性も見えてきた講座となりました。

講師としてご協力くださった梶晶子先生も「大槌、雄勝での講座を通じて、パン作りが与えてくれる可能性を改めて教えてもらいました。」とお話しくださいました。

 

AMDA東日本大震災 国際奨学金 奨学生からの手紙

東日本大震災で被災した地域の将来医療従事者を目指す学生を対象に奨学金の支給を「AMDA東日本大震災国際奨学金」として、2011年度から実施しています。

対象校は、岩手県立釜石高等学校、岩手県立釜石商工高等学校、岩手県立大槌高等学校、岩手県立大船渡高等学校、宮城県立志津川高等学校、宮城県気仙沼高等学校、仙台医健専門学校、東北朝鮮初中級学校の8校とし、各学校長の推薦を受けて選定された学生を対象に月額15,000円(年額180,000円)の支給を行っています。これまでに3年間でのべ253人が受給しました。未だに支援が必要な学生もいることから、2014年以降も奨学金の支給を予定しております。引き続き、皆様のご支援をよろしくお願いいたします。以下に奨学生からの手紙を紹介します。

 

「小児科医」という夢に向かって

宮城県立気仙沼高等学校 1年 女子

 私は小児科医を目指しています。その動機は、東日本大震災を目の当たりにし、命の尊さに直面したからです。あの恐ろしさの最中、まず心配したのが家族の安否です。「4つになる弟はどんな思いをしているのか?」いろいろな思いを巡らしても、全く情報が入ってこない状態でした。後で叔母だけが津波にのまれ、帰らぬ人となってしまったことを知りました。

 津波は誰かれかまわず多くの命を奪いました。その後、弟は「津波ごっこ」と称し、「津波がきたぁ。逃げろー。」と遊ぶようになりました。しばらくするとなくなりましたが、幼い子供がこんな遊びをすることに対し、違和感を感じたことが、いまだに印象に残っています。そのとき、弟だけではなく、幼い子どもたちを医学的にも精神的にも守っていきたいと思いました。そのためには、勉強を頑張りたいと思っています。

小児科は、外科や内科のようにいろいろな分野に分かれておらず、総合的な能力が必要であると、調べていて分かりました。部活動があり、帰宅時間が遅い毎日ですが、時間を有効に使い計画的に学習を進めていきたいと思います。また、子どもの気持ちが分かる医師になりたいです。心理的なこともしっかり学び、信頼される医師を目指します。

これは決して簡単なことではありません。でも、諦めず、これから生きていく小さな命を守り、明るい希望に満ちた子どもたちに成長させることができるよう、一生懸命努力し、頑張りたいと思います。

 

「看護師を目指して」

宮城県立志津川高等学校 3年 女子

 私の将来の夢は、看護師になることです。きっかけは、東日本大震災の時の医師や看護師が、一生懸命治療やサポートをしている姿を見て、とても憧れをもったからです。また、人を笑顔にできる仕事だとも思いました。そして、多くの国から医療の支援をいただき、とても救われました。私は、本当に嬉しく感じ、将来は日本だけでなく、外国でも看護師として働きたいと考えています。そして、多くの人を笑顔にして、少しでも恩返しができればと思いました。

 そのために、より多くの知識を得る必要があると考え、大学進学を目指しています。しかし、私の家は震災で母の職業が変わり、以前より家計が苦しくなりました。大学へ進学するには、かなりの費用が必要となるため、無事に卒業して看護師になれるか不安な状態です。進学し卒業できたら、患者さんの支えとなれるような看護師に、必ずなることを約束いたします。

 

「理学療法士になること」

宮城県立志津川高等学校 1年 女子

 理学療法士になること。これは小学四年生の時からの夢です。テレビを見ていてこの職業を知りました。患者さんが笑顔になってくれると嬉しいと言っていました。それから私はこの夢を持ち始めました。

私は、人を助け笑顔になってもらう事が好きで、この仕事も人を笑顔にすることができると思い、私は理学療法士になりたいと思いました。ただ理学療法士になるだけではなく、南三陸町にある病院で働くというのが夢です。私は南三陸町民のキラキラした笑顔が大好きです。この仕事を通してもっと南三陸町の人のキラキラした笑顔を見られたらいいなと思っています。一人でも多くの患者さんに笑顔になってもらえるような立派な理学療法士になりたいと思っています。