AMDAフードプログラムは、「食は命の源」をコンセプトに、アジアに有機農業を啓発・普及することを目的としたプログラムです。岡山県真庭郡新庄村野土路地区にAMDA農場を開設し、あひるを使った農薬を使わない有機稲作栽培を中心とした農業を実践しています。2012年4月にスタートした同プログラムはインドネシア、フィリピンからの農業研修生の受け入れを通じて、更なる広がりが生まれています。
- AMDA野土路農場 2015年 田植えセレモニーとアヒルの進水式を実施
- AMDAマリノ村有機農業実践圃場 現在の様子とフォローアップ研修報告
- フィリピンとの有機農業相互研修 現在の様子とフォローアップ研修報告
AMDA野土路農場 2015年 田植えセレモニーとアヒルの進水式を実施
5月31日、野土路農場で田植えセレモニーを行ないました。新庄村の民謡同好会の有志のみなさんが三味線と太鼓の音に合わせて田植え歌を歌って応援してくださり、賑やかに田植えを行うことができました。
また6月4日には、 新庄村保育園の園児22名とともに60羽のアヒルのひなを田に放す、進水式を行いました。子どもたちに「大きくなってね!」と声をかけてもらったアヒルたちは、夏までの間、虫や草を食べることで農薬を使わない美味しい米の栽培に力を貸してくれます。
AMDAマリノ村有機農業実践圃場 現在の様子とフォローアップ研修報告
インドネシアスラウェシ島マリノ村にある有機農業実践圃場では、2013年度に日本で有機農業研修を受けた研修生を中心に、有機農業の取り組みがスタートしています。研修生の帰国後から、AMDAは新庄村および新庄村アジア有機農業連携活動推進協議会の協力のもと、研修生のフォローアップを行っています。収穫量が増えるなど少しずつ成果が現われています。
2014年11月にマリノ村での有機農業技術研修を担当した新庄村アジア有機農業連携活動推進協議会の稲田氏から活動の感想が届きましたので抜粋して紹介させていただきます。
新庄村 稲田 康男
11月10日から20日までの10日間で農業技術指導に行かせていただきました。新庄村からは2回目の派遣ということで、前回の研修からのステップアップを目的としました。実施した研修内容はもみ殻燻炭作り、もみ酢液の採取方法、土着菌の利用方法、はで干しのやり方、牛の飼い方などです。
今回の技術指導で、私の持つ技術をなるべく伝えたいと思いましたが、時間が足りませんでした。また、さまざまな課題も見つかり、今後とも引き続き指導や支援を続けていきたいと思っています。村の人々との触れ合いから、宗教や文化の違いはあるけれど、本当に人間らしい生活をしているように感じました。これから先、農業だけでなく文化や教育の面でも、新庄村とマリノ村の交流を繋げていきたいと思います。
フィリピンとの有機農業相互研修 現在の様子とフォローアップ研修報告
2014年度の有機農業相互研修として2名の有機農業指導者がAMDA野土路農場を中心に半年間来日していました。
研修生2名はフィリピン国内で有機農業の技術指導者であったため、帰国後には、日本で学んだ技術を広く、国内で共有する機会を設けているとの報告が入っています。さらにフィリピンの研修生の帰国後の2015年2月、フォローアップ研修としてAMDAスタッフ1名と新庄村の有機農業技術者2名がフィリピンを訪れ技術指導を行いました。新庄村の有機農業技術者の鈴木氏、坂本氏から研修の感想が届きましたので以下に抜粋して紹介させていただきます。
新庄村 鈴木 一成
2月20日から10日間、フィリピンに行ってきました。フィリピンでは出生率3.08で人口が増え続けており、収穫増収のために品種改良と農薬、除草剤の普及が進んでいると感じました。
そこで、今回指導項目の一つとして実践した「どぶろく酒づくり」などの発酵技術がカギとなると感じました。気温が高いため、日本よりかなり早く発酵が進行します。稲作や野菜栽培にも応用できる可能性は充分あります。たとえば、堆肥作りや田での腐敗を抑える乳酸菌や酵母の活用。野菜では太陽熱養生処理による団粒構造の構築などがすぐに取り入れられると感じました。既存の発酵技術を一部導入するだけでも、土壌改良に有効だと感じています。
新庄村 坂本 英典
マニラは、人口1652万人から成る大都市です。しかし訪れたフィリピンの農家の人々は貧しく家も質素でした。また貧富の差が大きく、地方の農家の人々は貧しく子供を学校に行かせるのがやっとということでした。しかし、一生懸命に生きていて、子どもたちの目は輝いているのが印象的でした。
研修ではサツマイモの苗の植え方、サツマイモの天ぷら作り、どぶろく酒の作り方、合鴨農法の指導などを行いました。参加してくださった地元の方々は、どの研修にも熱心に聞いてくださり、質問が飛び交いました。
今回の研修を通じ、今後、農民の人たちが儲かる農業を目指しながら、少しでも暮らしが楽になればと思いました。