AMDA設立から30周年を迎えるにあたって
AMDAグループ代表 菅波 茂
支えられ続けた30年
支えていただいたみなさんに 感謝の気持ちを伝えたい |
1984年8月1日。この日から30年が過ぎようとしています。AMDA設立の日です。
設立当時の名称は「アジア医師連絡協議会:The Association of Medical Doctors of Asia」。この頭文字をとってAMDAが誕生しました。2001年8月には、岡山県より「特定非営利活動法人」格を取得。1995年には、国連経済社会理事会(UNECOSOC)より「特殊協議資格」を、2006年に「総合協議資格」を取得し、国連認定NGOとなりました。さらに、2013年には認定NPO法人の認証を得ました。
この30年の活動を振り返り、最初に思うことは、多くの方々に支えられてきたという感謝の思いです。支援者の方はもとより、被災地の活動に参加してくださるボランティアの方々、被災地での活動を共に行うローカルパートナーの皆様、その他多くの方々のご協力があってこそ、AMDAが30年の節目を迎えることができました。
AMDA活動の原点
岡大クワイ河医学踏査隊としてタイなどを訪問 AMDA発足のきっかけとなった渡航であった |
私が高校2年生の時に1枚の写真を見ました。蝉のミンミンと鳴く夏でした。光文社出版太平洋戦争写真集にありました。同じ年頃の若い日本兵が浅瀬で顔を半分沈めていました。日本からはるかに遠い南方戦線です。何故このような死に方をせざるを得なかったのでしょうか。
物の見方や考え方の異なる人たちがどうすれば共栄共存できるのか。平和構築につながるのか。この思いが原点となり、現在のAMDAの活動の理念である「多様性の共存」につながっていきました。
相互扶助のネットワーク
人間関係には3種類あります。フレンドシップ、スポンサーシップそしてパートナーシップです。パートナーシップとは苦労を共にする人間関係です。苦労を解決する過程において相手にすばらしさを発見する時に尊敬の念が、相手が決して逃げないことがわかると信頼の念が生じます。この尊敬と信頼の人間関係が多様性の共存を可能にします。一番危険な人間関係はスポンサーシップです。援助を受ける側にもプライドがあります。
「救える命があればどこまでも」というAMDAのスローガンのもと、災害、紛争、貧困という平和を阻害する要因に対して、より迅速かつ的確に活動を行うために「世界平和パートナーシップ:Global Partnership for Sustainable Peace」構想を掲げています。
「世界平和パートナーシップ:GPSP」構想とは、各分野における参加団体のネットワークを拡充することにより「開かれた相互扶助」による「多様性の共存」を更に実現して世界平和に貢献することです。災害に関しては2013年5月に「アジア相互扶助緊急救援ネットワーク」が発足しました。2013年11月発生のフィリピン台風30号の支援活動においてもAMDA多国籍医師団を中核にして参加団体が協力し合いました。平和構築、生活向上、教育そして健康の分野でもネットワークの設立を予定しています。各分野からの国連諸機関への政策提言はAMDAの有する総合協議資格によってなされます。本当の草の根からの平和への提言になると確信しています。
次の10年に向けて
2013年4月に開催された「アジア相互扶助 災害医療ネットワーク会議」の参加者らと |
AMDAとして開所準備を進めている「GPSP事務所inクアラルンプール」の役割は3つあります。1つめは「世界平和パートナーシップ:GPSP」構想の推進です。2つめは、グローバル人財育成プログラムの推進です。そして3つめは今後発生しうる南海トラフ地震津波への対策として海外の支援拠点の確保と支援の拡充です。
マレーシアは東南アジアの華僑・中国文化、南西アジアのインド文化とイスラム文化の接点です。飛行時間3時間でアジアの主な国に行くことができます。グローバル人財育成プログラムはAMDAの支援者に対する感謝であると共に次世代に「多様性の共存」を学ぶ機会の提供です。具体的には「世界平和パートナーシップ」ネットワークの活用です。同時に、インターンシップを世界各国から受け入れます。
高校2年生の時に見た1枚の写真が「西のジュネーブ、東の岡山」構想、「世界平和パートナーシップ」構想と「グローバル人財育成プログラム」へと昇華していることに過ぎし年月と共に多くの方々のご協力の賜物と感謝をしています。最後にAMDAとは「多様性の共存」に向けて「開かれた相互扶助」の普及活動をしている運動体である理解していただければ望外の喜びです。