2012年度年次報告 緊急支援活動(2013/10発行) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

2012年度年次報告 緊急支援活動(2013/10発行)

2012年度年次報告 緊急支援活動

バングラデシュ洪水緊急医療支援活動


物資提供に集まる人々

巡回診療に訪れた親子

◇実施場所 バングラデシュ ラングプール管区 クリグラム県
◇実施期間 2012年7月7日〜7月19日
◇派遣者 竹谷 和子 調整員・AMDAボランティアセンター参与
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成 医師2名、保健師1名、調整員3(竹谷調整員含む)

◇事業内容

2012年6月下旬から降り続いた豪雨のため、バングラデシュ北部のメグナ川を中心とした広い範囲で洪水被害が発生。死者131人、約102万人(36万世帯)が被災する惨事となった。特に被害の大きかった地域では、家屋の浸水や道路の冠水の他、土砂崩れによる集落の孤立などの被害が広がり、衛生状態の悪化・伝染病の発生などが懸念された。

この状況を受け、AMDAは、本部から調整員1名を派遣した。AMDAバングラデシュ支部、日本バングラデシュ友好病院からの医療チーム(医師2名、保健師1名、調整員 2名)を結成し、7月12日早朝から移動を開始し、首都ダッカから車で約8時間のところに位置するバングラデシュ北部ラングプール管区(Rangpor)クリグラム県(Kurigram)に到着し、活動を開始した。13日から医療チームは、ウリプール郡、クリグラムサデール郡の3つの村において巡回診療を実施。のべ1,155人の診療を行った。

主な症状は風邪、頭痛、身体の痛み、下痢、赤痢、発熱、皮膚の痒みなどであった。また、AMDAが活動した地域は貧困層が多く食料・飲料水が不足していたため、地元NGO・AFADの協力を得て、食料(非常食用の米、糖蜜等)、浄水タブレット、ORS(経口補水液)、さらにサリーやルンギなどの衣料品をのべ3,000人に支給することができた。AMDAチームが訪れた時には、北部の地域にはまだ支援物資が行き渡っておらず、巡回診療や物資支給の際にはいずれも順番を待つ人々で長蛇の列ができ、現地の人々はAMDAの活動を大変喜んでくれた。

◇受益者の声
米と甘いものをもらってうれしい。
下痢をしている。薬をもらったので安心した。
洪水で家が流されて、悲しい。

◇現地協力機関
AFAD(Association for Alternative Development)
JBFH(Japan Bangladesh Friendship Hospital:日本バングラデシュ友好病院)
AMDAバングラデシュ支部
 

インドネシア・アンボン島洪水緊急医療支援活動


インドネシア支部医師による診療

◇実施場所 インドネシア・マルク州アンボン島 バトゥ・メラ地区、マムア地区、バツ・ガジャ地区
◇実施期間 2012年8月3 日〜2012年8月10日
◇派遣者 アロイシウス シタミ 調整員・AMDA野土路農場担当職員
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成 医師3名、看護師1名、調整員1名(シタミ調整員含む)、地元ボランティア2名

◇事業内容

7月31日に発生した台風サオラ(Saola)による豪雨により、インドネシア・マルク州(Maluku)アンボン島(Ambon)で洪水・地すべりがおきた。この災害による被害は死者13人、軽傷者5人、行方不明者3人、1785軒が浸水被害に遭い、131家族、合計599人が住居を失い、被災者数は12,753人。(インドネシア国家防災庁8月6日)

これを受けて、AMDAインドネシア支部からの要請により医療チームを派遣することを決定。AMDAインドネシア支部より、医師3名、AMDA本部より調整員1名を被災地に派遣し、緊急医療支援活動を実施した。これは、単に緊急医療支援活動としてだけでなく、対立する両グループに医療を提供することで和平構築に資するAMDAの「医療和平プロジェクト」を視野に入れた活動となった。

4日にアンボン島に到着した医療チームに、アンボン島出身の医師1名と地元ボランティア2名が活動に加わり、被災地ニーズ調査を行った。それにより被災者は医療面だけでなく食糧支援も必要としていることがわかり、麺類、ミネラルウォーター、ココナツオイルを購入し配布する準備を整えた。5日には、大きな被害を受けたアンボン市内のムスリム居住区であるバトゥ・メラ(Batu Merah)地区に臨時診療所を設置。AMDAインドネシア支部の医師による診察と医薬品の支援を被災者94人(男性61人、女性33人)に対して実施した。皮膚病や上気道感染症などの患者が多かった。6日、7日には深刻な被害を受けた地域の一つであるマムア(Mamua)地区で準備した支援物資300セットを避難所とその周辺地域で配布、またインドネシア軍と合同で再びバトゥ・メラと、キリスト教徒居住区のバツ・ガジャ(Batu Gajah)地区にて支援物資の提供を行った。

◇現地協力機関
AMDAインドネシア支部
 

フィリピン・ルソン島洪水緊急医療支援活動


物資配布に詰めかけた人々

◇実施場所 フィリピン共和国 ルソン島リサール州 モンタルバン カインタ地区及びサンブエナ地区
◇実施期間 2012年8月11 日〜2012年8月17日
◇派遣者 山路 未来 看護師・AMDA本部職員/古城デイジー 調整員兼通訳 ・岡山倉敷フィリピーノサークル顧問
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成 AMDA派遣者2名およびフィリピン国軍約40名、現地ボランティア約50名

◇事業内容

2012年8月に首都マニラを含むルソン島を襲った台風11号(現地名ハイクイ)は、7月末から続いた季節風の影響と相まって、河川の氾濫などによりマニラ首都圏の約7割が被災する甚大な被害をもたらした。この台風で死者60人、避難民65万人が発生し、政府は非常事態宣言を発令した。

この状況を受けAMDAでは、8月11日に看護師、調整員の2名からなる医療チームを被災地に派遣した。チームは現地協力機関であるフィリピン国軍の協力のもと、被災地訪問を通したニーズ調査を行い、緊急医療支援活動を実施した。現地ではボランティア4名、軍医1名、看護師4名、薬剤師1名、歯科医1名ほか約40名の軍部隊がチームに参加した。

8月15日は、河川沿いの集落であるリサール州カインタ地区・サンブエナ地区で、家屋の浸水被害に遭った住民の巡回診療を行い、上下気道炎や下痢などの症状を訴える患者述べ501人の診察を行った。同時に、咳・発熱、皮膚のかゆみ、下痢などを訴える患者に、解熱・抗炎症薬、抗生剤、咳止めなどの薬を処方し手渡した。また、チームが用意した米や缶詰等の食糧パックを376袋のほか、現地テレビ局財団より寄贈された米約700袋や地元の教会から集められた古着を仕分けし、世帯ごとに手渡すことができた。

またチームは急激な経済成長と都市化に伴い貧困層が密集して暮らすモンタルバン地区リサールプラザ避難所や、ワイナーズ多目的バスケットボールコート、ティパス避難所の3か所で、救援物資350袋の食糧パックの配給も行った。フィリピン軍の治安管理により、懸念されていた混乱や騒動に巻き込まれる事なく、安全で効率的に避難民のニーズに応える活動ができた。

◇派遣者の声
私が調整員として母国に帰ったのは今回で2回目。AMDAのお陰で、助けを必要としている人々を支援することができ、嬉しい。活動では、処方した薬を住民が売ってお金に換えてしまわないように、瓶入りの薬は開けてから手渡した。貧富の差が激しい現実に胸が痛んだ。(古城デイジー調整員)

◇現地協力機関
フィリピン国軍(Armed Forces of the Philippines)
 

モンゴル洪水被災者に対する支援活動


支援物資贈呈式の様子

◇実施場所 モンゴル オルソン県バヤンウンドゥル郡エルデネト市
◇実施期間 2012年9月17日〜18日
◇派遣者 山路 未来 看護師・AMDA本部職員
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成 
AMDA派遣者およびモンゴル赤十字ウランバートル本部スタッフ5名(災害対策部長、ソーシャルプログラム部職員1名、企画部職員2名、オーストラリア赤十字からのボランティア1名)

◇事業内容

2012年7月13日から14日、ウランバートルから400km離れたオルソン県バヤンウンドゥル郡で降り続いた強い雨の影響で鉄砲水が発生した。NEMA(モンゴル国家危機管理庁)の報告によると、2012年7月16日までに2名の死亡者がでており、260世帯(1世帯平均5人)に影響し、うち約25%にあたる67世帯が全壊または一部損壊した。また、橋や道路も破壊され、15ヘクタール以上の農地も被害を受け、23,100世帯と12,000の事業所などが停電にみまわれた。

この報告を受けて、モンゴル赤十字と協働で支援活動をすべく、AMDAから看護師1名を派遣することを決定した。AMDA看護師は9月15日に日本を出発し、同日遅くに首都ウランバートルに到着。翌日からモンゴル赤十字のスタッフらと情報収集や、物資の調達などを行い、ウランバートルの北西約200kmにある被災地のオルソン県エルデネト市に向かった。
被災地では300世帯のうちの約25%にあたる67世帯が被害に遭っており、17日には生活支援物資の配給などの支援活動を行った。

支援物資として、AMDAからはお米、小麦粉、砂糖、塩を提供し、モンゴル赤十字からは毛布、ストーブが被災家族に手渡された。家を流されてしまい以前の生活に戻ることの出来ない家族は、一時的に家やゲル(モンゴルの移動式住居)を借りており、精神的にも大変なストレスを抱えていた。そこで赤十字エルデネット支部を中心として、支援物資の配布の他に、歌やモンゴルの伝統的な弦楽器である馬頭琴の演奏も組み込まれた式典を開いた。

◇受益者の声
いくらお礼を言っても足りない。本当にありがとう。感謝の気持ちを歌で伝えたい。

◇現地協力機関
モンゴル赤十字ウランバートル本部モンゴル赤十字エルデネット支部-MLB Mid Lever Brunch-
モンゴル赤十字ボランティア
 

グアテマラ地震緊急支援活動


被災した一家にテントと寝袋を提供

◇実施場所 グアテマラ共和国 トトニカパン県 ツァニスナン村、メディア・クエスタ村、チメンテ村、マクスル村
◇実施期間 2012年11月11 日〜11月15日、2013年3月18日
◇派遣者 陰山 亮子 調整員・ AMDA社会開発機構ホンジュラス事業コーディネーター/エメルソン ロドリゲス 調整員・AMDA社会開発機構ホンジュラス事業現地スタッフ/グレンダ マルティネス医師・AMDAグアテマラ共和国現地協力者
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成 
AMDA派遣者およびトトニカパン県災害対策担当者、トトニカパン県サンクリストバル女性ボランティア組織 、トトニカパン県女性支援課担当者

◇事業内容

2012年11月8日、グアテマラ西部チャンペリコから南へ24kmの場所で、マグニチュード7.4の地震が発生した。震源地に近いサンマルコス市では多くの建物や道路が損壊し、自動車が瓦礫の下敷きになるなどして死者43人、避難民2万人を出した。

そこでAMDAは、グループ機関「AMDA社会開発機構」のホンジュラス事務所スタッフ2名を緊急救援チームとして被災地に派遣することを決定し、11月11日、ホンジュラスから空路でグアテマラ共和国入りした。ニーズ調査により避難民の寒さ対策に焦点を当てた支援の必要性が分かり、テント14個と寝袋50袋を調達し、トトニカパン県ツァニスナン村で、家屋が全半壊した被災者に、テントと寝袋を直接手渡した。この村は、死者は出なかったものの、災害の有無に係らず女性の非識字や乳幼児死亡率が高い非常に貧しい村で、人々は寒い中での避難生活を強いられていた。また、手渡した物資は家屋の修復後には、将来の災害に備えて村で大切に保管されることとなった。

その後、現地の状況を注視していたところ被災者の生活再建が思うように進んでいないことが明らかになり、第2次派遣を決定。2013年3月18日、AMDAは、医師1名、地域組織のリーダー1名、トトニカパン県女性支援課コーディネーター1名、県政府の担当者2名を含むチームを結成し、トトニカパン県ツァニスナン村、メディア・クエスタ村、チメンテ村、マクスル村の先住民族80世帯に対して、米・豆・油・インカパリーナ(高蛋白質補給物)等の基礎食品を含む食糧救援パックの配布を行った。

今回の活動は、支援の目が届きにくい山間地域での復興支援を通して「私たちは決してあなたたちを見放しません。」というAMDAの活動の根底にあるメッセージを届けることが出来た。

◇受益者の声
地震の前は、3家族11人でレンガ造り、トタン屋根の家に住んでいた。地震の夜以降は、残った資材を集めて小屋を作って生活している。しかしそれでは狭すぎるうえ、夜間の寒さはしのげない。テントのお陰で、少しでも暖かくして夜を迎えることができ本当に嬉しい。
私たちのコミュニティに支援に来てくれたことに心から感謝したい。この支援の先にいる日本の皆さんに、ありがとうと言いたい。

◇派遣者の声
政府の支援は国家災害対策調整員会を通じて行われる為、地方としては中央政府の指示を待つ時間が長い。今回のようにAMDAが直接被災住民に支援を届けることが出来たことを、非常に感謝している。(トトニカパン県の災害担当者)
地域の人々、特に女性との相互扶助なくしては、この活動は実現しなかった。日本とグアテマラの人々の団結と友好関係が強化されると信じている。(グレンダ マルティネス医師)

◇現地協力機関
トトニカパン県災害課
トトニカパン県サンクリストバル女性ボランティア組織 (Voluntaria de Acciones para la Mujer, San Cristobal Totonicapan)
トトニカパン県女性支援課 (Oficina Municipales de la Mujer ? OMM, Municipalidad de Totonicapan
 

フィリピン・ミンダナオ島台風21号緊急医療支援活動


おかゆをほおばる被災地の子どもたち

◇実施場所 フィリピン共和国 ミンダナオ島 コンポステラ・バレー州 モンカヨ郡 サンホセ地区、ダバオ市 ジェードバレー地区
◇実施期間 2012年12月7日〜12月17日、2013年1月26日〜2月1日
◇派遣者 山路 未来 看護師・AMDA本部職員/大山 マージョリ 調整員兼通訳 ・岡山倉敷フィリピノサークル会長/喜久川 明日香 看護師・AMDA沖縄支部 (沖縄セントラル病院勤務) /福岡 賢二 調整員・NPO BERT理事/
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成 
AMDA派遣者およびフィリピン国軍、フィリピン沖縄県人会ボランティア2名、ダバオ市福祉担当局ソーシャルワーカー11名、・地域の学生や市民のボランティア多数

◇事業内容

2012年12月4日早朝、フィリピンのミンダナオ島を台風24号(現地名ボーファ)が直撃し、大きな被害をもたらした。この台風に伴う豪雨は各地で地滑りや土砂災害を引き起こし、死者1,067人、負傷者2,666人、行方不明者843人を出した(国家災害リスク軽減管理評議会1月7日時点)。

これを受けてAMDAは、12月6日、第1次派遣として2名を被災地へ向けて派遣。ニーズ調査などののち、9日、10日はダバオ市内で、医薬品や食糧物資の調達、配布用パック詰め作業を実施。配布用パックには米2kg、飲料水4リットル、いわしの缶詰3つを詰め、子どもにはお菓子を準備した。11日には第2次派遣者が加わり、12日は交通アクセスが悪く未だ支援が行き届いていなかったコンポステラ・バレー州モンカヨ郡サンホセ地区で483人の患者を診察した。主に、台風の影響と見られる外傷や皮膚疾患の患者、下痢の症状を訴える人、傷の洗浄や排膿が必要な人が多く、待っている間に高血圧症で倒れる患者もいた。その中で、地元のボランティア看護師に助けられながら、チームは状況に応じたきめ細やかな医療対応を行う事が出来た。更に、被災した476世帯に、食糧パックを手渡すことで、生活再建を後押し出来た。

 緊急医療支援活動後も状況を注視していたところ、1か月が経過しているにもかかわらず、被災地域では深刻な食糧不足が続く現状を知り、第3次チームを派遣することを決定。2013年1月28日早朝にはミンダナオ島入りし、活動地をジェードバレー地区に決定し、30日、生活物資の配布や子どもたち対象の活動を行った。生活支援では、未だ家の片づけに追われていた500世帯を巡回訪問し、米2kgとシーツを配布した。また施設が泥に浸かり授業再開の目途が立っていなかった3歳から5歳の子どもが通う幼稚園に、椅子30脚、机6台、ノート60冊やクレヨンなどを提供し、更に、子どもたちが元気に遊べるように、けん玉やだるま落としゲーム等も行った。活動後には鶏肉と卵入りおかゆの炊き出しを行い、125人の日頃の栄養不足を補った。

◇受益者の声
わざわざ日本から来て診てくれて、ありがとう。(患者)
どこから手を付けていいか分からず、途方に暮れていたが、幼稚園の再開を目指して頑張る希望が湧いた。今回の支援に本当に感謝している。(幼稚園の先生)
おいしい、おかゆをありがとう。(幼稚園児)
新品のシーツをもらえるなんて、嬉しい。わざわざ日本から来てくれて、本当にありがとう!(物資受給者)

◇現地協力機関
フィリピン国軍(Armed Forces of the Philippines; AFP)
フィリピン沖縄県人会(Philippines Okinawan Society)
市福祉担当局(City Social Service and Development Office)
 

インドネシア・ジャカルタ洪水緊急支援活動


診察を待つ人々に声をかける心理士

◇実施場所 インドネシア ジャワ島 ジャカルタ市 ペルマハン ケマン地区、トマン バンジール カナル地区ほか2地区(全4地区)
◇実施期間 2013年1月20 日〜1月25日
◇派遣者 山路 未来 看護師・AMDA本部職員/アロイシウス シタミ 調整員・AMDA野土路農場担当職員
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成 
AMDA派遣者およびAMDAインドネシア支部5名(内科医師2名、心理士2名、調整員1名)、AMSAインドネシア学生ボランティア多数

◇事業内容

1 月 15 日から降り続いた豪雨により、インドネシアの首都ジャカルタで 17 日、広域に渡り洪水が発生した。今回の洪水による死者は 32 人、避難民約 4 万人、家を失った人は 10 万人以上にのぼった。(1 月 25 日インドネシア国家防災庁)被災者は、激しいスコールが降り続き予断を許さない状況の中での生活を余儀なくされていた。

被害状況などから判断し、AMDAでは医療チームを派遣することを決定。1月19日にAMDAインドネシア支部のメンバーが被災地ジャカルタに到着し、AMSAインドネシアの学生ボランティアらと合流。被災状況の調査及び医療活動の準備を行い、20日には、日本からの医療チームと合流した。AMSA の医学生らの多くはジャカルタ在住であり、中には被災したメンバーもいた。

21日から医療と食料配布を軸とした支援活動を開始。ジャカルタ市内のトマン バンジール カナル(Tomang Banjir Kanal)地区などを含む4つの被災地域で25日までに、無料診療や食糧物資250家族分(2キロ入りの米、水600ml、食用油240mlを1セットにしたもの)の配布を行った。無料診療活動では、600 人以上の診療を実施。上気道感染症、下痢、皮膚疾患などの症状が多くみられた。また医療チームの中には心理士2名が同行し、診療に訪れた被災者の方々が、心理士に被災した時の様子などをゆっくり話すことで、感情を表に出すことができた。また、医療スタッフが、自宅避難をしている方々に戸別訪問を行い、直接住民と対話をしながら、健康状態の確認などを行った。さらに診療場所まで足を運ぶことを躊躇する被災者が多数いたため、各家庭を訪問し診療や健康相談を行う等、効果的なサービスの提供を実現することが出来た。

◇受益者の声
医療支援、本当にありがたい。とても心強かった。(トマン地区のリーダー)
トマン地区の一市民として、薬をもらえて、本当にありがとうと皆さんに言いたい。助けてくださってありがとう。(診療に訪れた患者)

◇現地協力機関
AMDAインドネシア支部
AMSAインドネシア(アジア医学生連絡協議会 Asian Medical Students' Association)