AMDA医療和平プログラム(2012/10発行ジャーナル10月秋号掲載) – AMDA(アムダ)
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国連経済社会理事会総合協議資格NGO

AMDA医療和平プログラム(2012/10発行ジャーナル10月秋号掲載)

AMDA医療和平プログラム

スリランカ医療和平事業パートII 一 白内障手術

スリランカには白内障に苦しむ多くの高齢者かおりその殆どは、都市部から離れた郊外に住んでいます。本事業を実施したヌワラエリヤ市は人口80 万人以上が暮らすスリランカ中部に位置する紅茶の栽培で有名な町です。この紅茶栽培のエリアに暮らす人々の多くが、経済的に困窮しており、特に高齢者にその割合が多くなっています。

長い内戦が終結したスリランカで、これまでに医療和平事業として、北部・ジャフナ地区、南部・パーナンドラ、東部・トリンコマリー市などで実施し今回は第4回目として、2012 年8月22日から24日の3日間、ヌワラエリヤ市内にあるヌワラエリヤ総合病院で、カラシバヤガナサ医師を中心に地元の眼科医のもと手術が実施されました。

本事業はAMDAスリランカの協力のもとAMDA本部の事業として、50 人の手術を行いました。

全ての手術は熟練の医師によって行われました。また、重度の白内障の患者にはECCE と呼ばれる手法がとられ、スタッフ20 人体制で行われました。その他にも、今後のフェイコ( 水晶体乳化吸引法) 手術のため10個のレンズを寄贈しました。

今回手術を受けた患者の平均は約60 歳で、一様に、術後、視界がくっきりと良好になり喜んでいました。中には、「今までの人生で一番良く見える!」と喜ぶ患者さんもいらっしゃいました。

本事業はヌワラエリヤ総合病院職員からも、地元の方々からも高く評価されました。
 

紛争の続くインドネシア・アンボン島での洪水被害緊急医療支援活動
   ―医療和平を見据えて―

7月31日に発生した台風サオラ(Saola)による豪雨により、インドネシア・マルク州アンボン島で洪水と土砂災害が発生し、インドネシア国家防災庁(BNPB)によると8月1日の時点で、死者8名、負傷者5名、行方不明者3名、1785軒が浸水、131家族、599名が家を失う被害となりました。(8月6日付インドネシア軍の情報によると、被災者数は12,753人、死亡者数は13人)

これを受けて、AMDAインドネシア支部より医師3名(内1名はアンボン島出身)、看護師1名、AMDA本部より調整員1名を被災地に派遣し、多国籍医師団を結成して8月4日から8日まで被災地での緊急医療支援活動や物資配給を実施し、7日にはインドネシア軍と合同で、イスラム教徒地域とキリスト教徒地域での活動を実施しました。

今回の活動は、単に緊急医療活動の観点だけでなくから、対立する両グループに医療を提供することで和平構築に資するAMDAの「医療和平プロジェクト」とすることを視野に入れたものです。AMDA本部より調整員としてマレーシア国籍のアロイシウス・シタミが参加しました。


これまでのAMDAの医療和平事業をアフガニスタン、コソボ、スリランカ、インドネシア アチェ州で実施しました。

 

ハイチ地震復興支援3年目―第2回スポーツ交流事業

2010年1月に発生したハイチ大地震に対する復興支援の一環とした、同年8月第1回スポーツ親善交流を、隣国ドミニカ共和国にて、ハイチ・日本・ドミニカの3か国の青少年が参加し開催しました。そして第2回として2012年9月13日と14日、AMDA本部とAMDAハイチ支部主催によるサッカー交流を、ハイチの首都ポルトープランスで実施しました。3つの学校―Cristophago(赤と黄ユニフォーム),AJA(白ユニフォーム),Tigers(黒と青ユニフォーム)―から11歳から14歳のハイチの少年らが参加し、AMDA本部からも準備協力に調整員が赴きました。選手やコーチのユニフォーム、記念品などをAMDAが提供し、炎天下の中、白熱した戦いが繰り広げられました。

今回2 回目の参加となるハイチの少年には、自分たちのチームを’AMDA チーム’と誇らしげに呼んでいる光景も見られました。

開会式では、1分間の黙とうが捧げられ、その後、ハイチ国歌斉唱、国旗掲揚が行われた。国歌斉唱には地元の歌手が参加し、休憩時間にも歌を披露してくれました。

会場では、多くのボランティアが参加し、運営をサポートしてくれました。予想を超える多くの観衆が集まり、ハイチでのサッカーへの熱狂ぶりが伺えるものでした。

これからも被災地復興支援のひとつの形としてスポーツ交流を効果的に取り入れていきます。