AMDA東日本大震災国際奨学金授与卒業生の声(2012/4発行ジャーナル4月春号掲載) – AMDA(アムダ)
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AMDA東日本大震災国際奨学金授与卒業生の声(2012/4発行ジャーナル4月春号掲載)

AMDA東日本大震災国際奨学金授与卒業生の声

AMDA東日本大震災国際奨学金を授与され、3月に卒業された岩手県立釜石高等学校・岩手県立釜石商工高等学校・岩手県大船渡高等学校・仙台医健専門学校・宮城県志津川高等学校、東北朝鮮中級学校の学生の方々の、卒業にあたっての抱負をご紹介します

AMDAでは2011年度、7校84人を対象に奨学金(18万円/1人/年)を授与しました。この奨学金は、2011年から2013年度までの3年度の期間限定奨学金で、35団体*と547人の個人の方々から3554万円余のご寄付をいただき(2012年2月29日現在)、奨学金として各個人に送金しています。新年度からは、さらに奨学生を増やしていきます。

*10万円以上の団体ご寄付(敬称略)
ネットワーク地球村、(株)山田養蜂場、(財)新日本宗教団体連合会、ニューヨーク日本商工会議所、ユニゾン・キャピタル・パートナー(株)、茅ヶ崎中央ロータリークラブ、アンダーワークス(株)、国際ソロプチミストアメリカ日本西リジョン、(株)東屋、(公益社団)日本フィランソロピー、グローバルギビングファンデーション(2012年2月29日)

 

◆3月11日、いつものように6時間目の授業を終え、廊下にいたときでした。

長い地鳴りが聞こえ、皆がえっと思った瞬間、強い揺れが始りました。揺れは全くおさまらず強くなるばかりで、やがて電気が消え、1組の天井から水がふき出てきました。行間だったこともあり先生がおらず私たちはパニックでした。本当に本当に怖い体験をしました。それから津波が街を襲い、ほとんどの生徒が家に帰れず体育館で不安な夜を過ごしました。

私は今卒業という新たな人生への一歩を踏み出す立場にあります。この1年間を振り返ってみると、様々な面で環境の変化がありました。大変なこともありました。でもそれ以上に感じたのは支援の温かさです。メッセージつきのお菓子はとても温かい気持ちになり、遠く離れた場所にいても気持ちは伝わるのだと思いました。文房具は受験生という立場で被災した私たちにとって、頑張ろうと思えるきっかけになりました。その他にも物だけでなく様々な心温まるメッセージや想いをいただきました。終わらない余震への恐怖や、慣れない環境へのストレスを和らげ、私たちを今日まで支えてくれたのは、私たちを思ってくださる一人一人の気持ちだと思います。たくさんの支えがあって私たちは今、卒業を迎えることが出来ます。本当に感謝でいっぱいです。ありがとうございました。

これからも先、またこのような自然災害がどこかで起こることがあるかもしれません。もしそのようなことがあったら、今回の震災での温かい支援を思い出し、日本に限らず世界各地に恩返しをしたいです。自分が出来る事を率先して行い、少しでも復興に貢献したいです。私は大学進学のため東北3県から出てしまいますが、岩手を愛する気持ち、海を愛する気持ちは変わりません。復興元年である今年、震災直後に比べれば見違えるほどに元の景観に戻りつつあります。しかし、復興まではまだまだかかると思います。だからこそ何年経っても震災を風化させたくないし、被災地で頑張る人々のことを忘れないでほしいです。改めてたくさんの支援をありがとうございました。決して忘れません。

 

◆たくさんの温かい支援ありがとうございました。

3月11日、それからのこと、大変だったことはこれからもきっと忘れることはありません。忘れることなどできないでしょう。私の家は被災しませんでしたが、友達、友達の家族、たくさんの人が辛い思いをしました。物資の支援はもちろん役立ったし、うれしかったです。でも、何よりも、私たちの心に寄り添ってくれた、たくさんの人の温かい気持ちに励まされました。こうして受験を終え、卒業式を迎えられたのはみなさんのおかげです。たくさんの人の支えがあって釜石高校は徐々にではありますが、前に進み始めました。復興元年、またさらに頑張っていきます。見守っていただけたらうれしいです。
最後に、本当にありがとうございました。

 

◆長いようで短かった。

そう思えるのは、高校生活が充実していたからだと思う。入学する前、漠然と考えていた。そろそろ進路を真剣に考えないと。

1年生の頃は毎日が新鮮で、1日1日が楽しすぎて進路のことなど頭になかった。2年生になり、バレーボール部の部長になった。コーチの指導がつくようになり、以前よりも練習が厳しくなり、チームメイトの誰よりも怒られるようになって、部活が恐くなったときもあった。部活へ行くときの電車の中、今日はコーチが来ませんようにと何度も祈っていた。初の公式戦では結果を残せず、キャプテンとしての自信をすっかり落とした。落ち込んでいた時に、周りの人たちから励まされたことがあり、何度も助けられた。徐々に力を付け始め、高総体に向けて熱が入ろうとしていた矢先、3月11日に大震災が起きた。

たくさんの人たちが困難な状況に陥り、部活動や受験どころではなくなった。満足な練習をすることができず、いらだちを覚えた。こんな時に、部長としてどうすればいいのか分らなかった。最後の高総体では、試合の途中で大怪我をしてしまい、チームとしても1回戦で負けて終わってしまった。それでもチームメイトは頑張ってくれた。ベンチからただ声を出すことしかできなかった自分が情けなく、バレーボールなんてやっていなければよかったとさえ思った。

しかし、松葉づえ生活や手術、入院、リハビリを経て、たくさんの人たちに支えられていることに気づいた。また、障害のある人やケガを経験した人たちの心の強さを知ることもできた。私は大学で福祉について学び、福祉の仕事で釜石に貢献したいと思っている。
被災地では、親を失くしてしまった子どもがいたり、これから先は経済的に苦しくなってしまう人が増えていくことが予想される。また、新しい町づくりをするときには福祉を充実させるべきだと思う。人を支える福祉の仕事をしたいと思うようになったきっかけは、震災と怪我だった。大変なことばかりが起こったが、自分と向き合い、将来について考えることができた3年間だったと思う。

 

◆この三年間、自分は本当にたくさんの人の支えがあって

卒業まで来ることができたと思う。 その中でも友だちは、心の支えであるとともに自分を高めるための良きライバル達であったと思う。そして先生方には、自分の能力を引き出し、導いていただいたことに感謝している。震災もあり、その他にもたくさんの人のお世話になってきた。少しでも、思いを返せるように、卒業後は社会のためになれるような人材になれるよう自分を高めるようにがんばっていきたい。

 

◆私は、県外の看護専門学校への進学が決まりました。

東日本大震災津波によって自宅は全壊し、さらに父の職場も被災し、厳しい現実を突きつけられました。しかし、そのような状況にあっても、一人でも多くの命を救おうと必死に活躍する医療機関の方々の姿は、看護師になりたいという思いを、揺るぎないものにしてくれました。

経済状況の激変で一時は就職も考え、家族や親戚などみんなが応援してくれたこともあり、やはり自分の夢を追いかけようと決意を固めました。何よりも、AMDAグループをはじめ全国各地からたくさんの熱いご支援をいただき、今こうして夢に向かってスタートラインに立つことができました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

被災後の生活においては、たくさんの方々へのご恩をひしひしと感じています。私が立派な看護師になり、患者さんのために働くことこそ支援してくださった方々への恩返しだと考えています。また、震災の余波で亡くなった祖父や親戚に誓ったように、一人でも多くの方々の命を助けられる、医療や看護の知識と技術を兼ね備えた看護師になりたいと思っています。

これから新しい環境で一からのスタートを切る事になりますが、日々努力を忘れず前進していきます。一日も早く地元の医療に貢献できる日を迎えられるよう、ふるさとの復興を祈りながら勉学に励んでいきたいと思っています。

 

◆私は高校卒業後、

将来の夢だった介護福祉士になるため盛岡医療福祉専門学校の介護福祉学科に入学します。そして、介護福祉士に必要な知識・技術を二年間しっかりと勉強をして、介護福祉士の資格を取得できるように頑張りたいと思っております。介護福祉士を目指している理由は、私の祖父が病気になり、母と祖母で一週間ごとに看病と介護をしながら、祖父の世話をしていました。

私は、介護している姿を見て、介護の知識・技術を専門学校でしっかり勉強したいと思い、盛岡医療福祉専門学校を選びました。さらに出来る事ならば、社会福祉士の資格も取得したいと思っております。そして、社会福祉士を目指すなかで、専門的知識及び技術を取得し、精神障害や日常生活において、支障がある方々などに対し、相談に応じたり、助言したり、指導、福祉サービスや保健医療サービスを提供できるような人になりたいと思っております。

専門学校の卒業後は、高齢者福祉施設や身体障害者福祉施設、特別養護老人ホーム、母子生活支援施設、訪問介護などで、介護者や相談者を支えながら、しっかりと仕事をしたいと思っております。

 

◆この2年間の学生生活で多くのことを学びました。

2年次に震災がありましたが、両親の支え、またAMDAさんのご支援により学生生活を続けることが出来ました。多くのスポーツの勉強をしていく中で、スポーツをすることによって介護予防や日常生活活動の改善にもつながることがわかり、福祉のことに勉強する中で興味を持ちました。福祉に関しては少しは勉強したいという思いがありましたが、スポーツと福祉の関係が繋がると思いませんでした。もっと詳しく勉強をするためにヘルパー2級の資格を取得しました。就職のため、将来必要となるため必死で取得しました。就職にあたり福祉の仕事に就くことに内定をいただきました。途中で学校を辞めていたら夢を諦めてしまうところでした。これもいろいろな方々のご支援をいただいたおかげです。その感謝を忘れずに社会人になっていきたいです。またご支援をいただいたAMDAさん、サポートして下さった先生方には大変お世話になりました。このお礼は社会人になって自分の活躍している姿がお礼のお返しと思っているので頑張りたいです。また支えてくれた両親にも感謝を忘れず今度は私が支える番なので頑張りたいです。

 

◆3月11日の東日本大震災から1年が経ち、

私はたくさんの人に支えられ無事卒業に至りました。

私は震災当初は医療の道に進むと決めてからも、職種を明確にはしていませんでしたが、震災を経験して体の不自由な人、心に傷を負った人を見て人々の手助けになれるような仕事に就きたいと考えるようになりました。その結果、作業療法士の専門学校に進学することができました。震災当時は助けを必要としている人々になにもしてあげることができないことがもどかしく自分の中に葛藤がありました。ですが今は、目標に向かって努力できることに幸せを感じ希望を持つことができます。また、それは、決して当り前のことではなく、AMDA様の奨学金をはじめ、家族、友人、学校の先生方、その他たくさんの人のおかげだと思います。

将来は、地元に戻って地域のために尽力したいと考えていますが、私の故郷は1年が経った現在でもガレキが山のように積まれ復興にはほど遠い状態です。病院すら仮設のものがあります。本当の復興は何年先になるのかは分かりません。しかし、その復興を担っていくのは間違いなく私たちの世代です。これから見事に復興していくであろう故郷の力になれるように3年間、作業療法士としての技能、知識はもちろん、人間としても大きく成長できるように、日々精進して参りたいと思います。

 

◆私は、この春、志津川高校を卒業し、 仙台青葉学院短期大学に入学します。

私には、将来地元である南三陸町に戻り、在宅看護にたずさわり、家で過ごしたいと考えるお年寄りの方々の力になれる看護師になるという夢があります。そのような看護師になるためには、看護についての広い知識、在宅で生活をされている方の介助をしている方の気持ちや苦労を理解することが必要だと考えています。進学先の学校では、在宅介護を支援しているサークルや、地域医療について学ぶ機会がたくさんあるので、私の理想とする看護師になるために必要な事が身につけられると思いました。

これから、在学中は、つねに国家試験を意識し、熱心に勉強に取り組むとともに、看護師は体力が必要だと思うので体力づくりに取り組んでいきたいと思います。また、ボランティアや在宅介護支援サークルに参加し、コミュニケーション能力や、講義では学べない実際の在宅で生活をしている方の声を聞いて、今の在宅看護には何が必要なのかを学び、身につけていきたいと思います。

そして、看護師になり、何年か他の病院で経験をつんだら、私の故郷である南三陸町に戻り、津波の影響でなくなってしまった在宅看護支援センターで働きたいと考えています。そして、家で過ごしたい家族と一緒に家にいたいと考える高齢者の方の力になってあげたいです。強くたくましく、誰にでも気軽に相談事を話してもらえるような頼れる看護師になれるように、勉強に実習に取り組んでいきます。

多くの支援ありがとうございました。いつか、AMDAのみなさんと一緒に働けたらうれしいです。

 

◆この度は、奨学金のご支援本当にありがとうございました。

東日本大震災を経て、人の命の尊さや、当たり前の日常がいかに幸せだったかということを強く考えさせられました。そして、薬剤師になりたいという思いが日に日に強くなっていきました。震災の影響で、家庭の経済状況が悪化し、薬学部への進学を諦めようとしていた矢先の募集でした。私の住む南三陸は、津波で壊滅的な被害を受けたため、アルバイトをする場所もなく、足りない学費を自分で補うことができないことが、すごく悔しかったです。何より夢を諦めたくないという気持ちが強かったため、すぐに応募し、奨学金をいただきました。しかし、どうしても薬学部に進学する学費を揃えることができなかったため、家族と相談し、専門学校に進学することにしました。そして、昨年の秋にAO特待生試験を受け、仙台の専門学校に進学することが決定しました。

私は東洋医学に興味があり、薬学部に進学したら積極的に漢方についても学びたいと思っていました。薬学部に進学することができなくなった今でも、東洋医学や漢方について学びたいという気持ちに、変わりはありません。だからこそ私は、一般用医薬品の他に、漢方についての授業がある専門学校に進学することにしました。また、専門学校で取得できる資格はもちろんですが、独学でもいくつか資格を取得したいと思っています。

将来的には、専門学校で学んだ知識や、取得した資格を活かし、日々の生活から病気を未然に防ぐという形で人の役に立ちたいと思っています。できることは微力かもしれませんが、自分が今できることから全力で取り組んでいきたいです。

1日1日を大切に、支援していただいた奨学金を無駄にしないよう、夢に向かって2年間精一杯学んでいきたいと思います。

 

◆避難所生活を送っていた昨年の3月、

私は看護師になるという夢をあきらめなくてはならないかもしれないと思っていました。

しかし、両親は私を看護学校に進学させてくれました。「やれるだけ頑張れ。」そう言って背中を押してくれました。それからは受験勉強と真剣に向き合いました。いつも丁寧に添削指導をして下さった先生方、私の相談を自分のことのように聞いてくれる友人、本当に多くの人に支えられ、何とか第一志望校に合格することができました。

幼稚園から高校まで私はずっと地元で育ってきたので、正直新しい土地での一人暮らしや生活への不安と期待は半々というところです。

看護学校では、高校時代に学んだことは異なる様々な分野を学ぶことになります。それらの一つ一つを吸収し、患者さんをはじめ、現場の看護師の方、同じ夢を目指す仲間とふれあい、人間性を磨いていきたいと思っています。誰かに元気になってもらいたい、誰かの役に立ちたい、私は以前よりもこのように思う気持ちが強くなりました。

やっと看護師になるためのスタートラインに立てた今、1日1日を大切に過ごし、いるだけで安心感の理想の看護師を目指して日々努力していきたいと思います。

 

◆私は3月11日に起きた東日本大震災の時、

多くの怪我人を前に助けたいと思いましたがどうしたらいいかわからず、何もできませんでした。その時助けるためには知識がいることが分かり、助けられる力を得たいと思いました。目の前で困っている人の役に立つために勉強をして自分を成長させたいと思い、看護師を志望しました。そしてその時、将来は看護師になって多くの命を救い、患者さんに元気を与えるという目標ができました。

私は4月から准看護学生になります。入学後は目標に向けて一つひとつの勉学に真剣に取り組み、医療技術を向上させていきたいと考えています。また、患者さんに元気を与えるためには、私が常に笑顔で積極的にコミュニケーションをとることが重要になります。様々な年齢にも対応できるよう、医療面の他にも多くの知識を身につけたいと思います。

将来、多くの命を救い、元気を与えられる看護師になれるよう、頑張っていきたいです。

 

◆私は将来、作業療法士になって、

体の不自由な人や困っている人を助ける仕事に就きたいと思っています。なぜなら、昨年の3月11日の東日本大震災の時、全国のみなさんからいろいろな手助けをいただき、人々のありがたさや、困っている人への支援の大切さが身にしみて感じられたからです。

ですが、作業療法士になる道は、そう簡単ではありません。技術はもちろんですが作業療法士はコミュニケーションが多くとわれる仕事なので、人との関わりあいを大事にしなくてはならないからです。ですので、私は、日々の日常生活から他人に思いやりをもって行動していきたいと思います。

私はこれから3年間、専門学校に通って基本的な知識や応用能力を身に付けて、3年後の国家試験に絶対合格したいと思います。そして、一刻も早く困っている患者を助けたいです。今までのご支援ありがとうございました。

 

◆私の夢は、臨床検査技師になることです。

3月1日、私は高校を卒業し、その夢への第一歩を踏み出しました。春からは埼玉の専門学校に通い、夢を叶えたいと思っています。

2011年3月11日に起こった東日本大震災で、私は一度この夢を諦めました。全てのものが流され。絶望感でいっぱいでした。そんな時に、将来のことを考える余裕もなく、夢を諦めていました。しかし、たくさんの方々が支援をしてくださって少しずつ将来のことが考えられるようになり、私はやっぱり臨床検査技師になりたいと思いました。

たくさんの方々のおかげで、私はまた夢を持つことができ、夢を叶えるための第一歩を踏み出すことができました。専門学校では、たくさんのことを学び夢を叶えたいと思っています。臨床検査技師は、病気の診断や治療方針の決定、重大な病気の早期発見など重要な役割を担っているので、正確かつ迅速に検査結果をだし、たくさんの人達の役に立てるよう頑張りたいと思います。人の命に関わる仕事だという自覚をしっかりと持ち、夢を叶えるためこれからも頑張っていきたいと思います。

 

◆あの3月11日の東日本大震災から早1年が経ちました。

私の中の何かが、あの日からずっと止まっているように思います。無事大船渡高校を卒業し、今は後期試験の合否の結果を待っております。

私は小学校4年生の頃から医者になりたいと思い始め、常に目標達成のために努力してきました。生家が寺であったため、幼い頃から「命」とは何か、「生きる」ということはどういうことなのかということを教わりながら育ち、医者という職業に魅力を感じたのです。後期試験は看護学部を受験しました。矛盾しているようですが、国立の医学部を推薦で受験し、不合格となり、私立2校医学部を受験して不合格となった時、何故努力が報われないのだろうと挫折しそうになってしまった際に、叔母からいただいた助言により、前・後期共看護学部を受験することにしたのです。「医者だけが医療の道なのか?そしてあなたは医者になるためでなく、合格するために勉強しているように見えるよ。それでは、勉強している意味があるの?」という言葉でした。この言葉を自分なりに受け止めて、医者という職業しか眼中になかった私は看護師、保健師等、様々な医療系の仕事を調べた結果、そのように決めたのでした。医者になることを諦めたわけではありませんが、経験してみなければどうなるか分らないのですから、看護学部に合格できたならば看護師免許を取得し、不合格であれば予備校へ行き、医学部を目指したいと考えております。※

高校を無事卒業できたのも、自分の将来の目標を達成するために必要な大学進学、または予備校進学のことを考えられるようになったのも、全てAMDAからの奨学金があったおかげです。奨学金がなければ私は就職も視野に入れておりました。本当に感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。これからも精進してまいります。

※福島県立医科大学看護学部に進学