2012年を迎えて AMDAグループ代表 菅波 茂(2012/1発行ジャーナル1月冬号掲載) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

2012年を迎えて AMDAグループ代表 菅波 茂(2012/1発行ジャーナル1月冬号掲載)

2012年を迎えて AMDAグループ代表 菅波 茂

2011年には東日本大震災を始めとしてニュージーランド地震、ブラジル洪水、フィリピンの首都マニラの洪水、タイの首都バンコクの洪水に加えてトルコの地震がありました。AMDAとしてそれぞれの災害被災者の方々への救援医療活動を実施しました。これもひとえにAMDAの活動に御理解と御支援をいただいている皆様方のお陰と心から感謝を申し上げます。

東日本大震災被災者復興支援活動を3年間は続ける体制です。トルコの地震被災者復興支援活動は日本とトルコの相互扶助の歴史を促進するためにも積極的に考えています。タイとフィリピンの洪水被災者支援活動として現地の団体との更なる連携を強化予定です。

困った時はお互いさまの「相互扶助」は国際的に共有できるコンセプトであると確信しています。AMDAは「平和とは今日の家族の生活と明日の家族の希望を実現できる状況である。阻害する要因として紛争、災害そして貧困がある」と定義しています。1984年に設立して以来、災害と貧困に対して世界各国で活動を展開してきました。災害に対しては「AMDA多国籍医師団」のシステムを完成させました。貧困に対してはAMDA社会開発機構が鋭意努力してくれています。

 


パキスタンのアフガン難民キャンプでワクチン接種

2012年からは世界各地で発生している紛争に対する調停と予防に新機軸を展開したく思っています。過去のモデル事例としては1998年のアフガニスタンのタリバン政府と北部同盟に提案して賛同を得たワクチン停戦、2003年から3年間にわたり、一時停戦直後のスリランカ政府地区南部、LTTE(タミルイーラム解放)の本拠地、そしてタミルムスリムの居住する東部地区の3地域に医療チームを派遣、コソボ紛争では1999年の緊急医療支援に続き2001年から2年間アルバニア人とセルビア人の双方への医療支援、そして2004年末のスマトラ沖大地震津波での緊急医療支援後の復興支援の一つとしてスマトラ島ナングロアチェ州南アチェ県でのGAM(独立アチェ運動)元兵士と村民のための保健衛生教育活動とAMDA Peace Community Center建設などがあり、AMDAではこれらを4事業を医療和平プロジェクトと名付けています。

AMDAがこのような調停と予防に関与できる理由は2つあります。一つは「相互扶助」というコンセプトです。困った時はお互いさまの「相互扶助」のもとに争っている双方に支援をすることにより双方からの信頼構築が可能になるからです。二つは日本に本部がある団体であることです。日本は世界で最も嫌われていない国の一つです。なぜなら、第二次世界停戦後の66年間にわたり戦争の名のもとに人殺しをしていない。ODA25兆円を拠出し利他の精神で発展途上国支援をしている。特定のイデオロギーを国益のために振り回していない。等々だからと思います。

「救える命があればどこへでも」のスローガンのもとにAMDA多国籍医師団が活躍して国際相互扶助ネットワークを拡充してきました。このネットワークから得られた信頼関係を活用して、災害救援活動のみならず、世界各地の紛争の調停と予防にもっともっと貢献できればと願っています。世界の各国政府や多種多様な団体との関係を強化すると共に、国連経済社会理事会総合協議資格を活用した国連への政策提言も積極的に考えています。そのためにAMDA国連代表部を新設しました。

本年も皆様方の温かいご理解とご支援をよろしくお願い申し上げます。