AMDA東日本大震災復興支援スポーツ交流プログラム(2011/10発行ジャーナル10月秋号掲載) – AMDA(アムダ)
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国連経済社会理事会総合協議資格NGO

AMDA東日本大震災復興支援スポーツ交流プログラム(2011/10発行ジャーナル10月秋号掲載)

AMDA東日本大震災復興支援スポーツ交流プログラム

はじめに


混合チームで白熱した試合

看護師ボランティアのみなさん等

AMDAが緊急医療活動で入った地域の釜石中学、大槌中学、志津川中学の3校のサッカー部から、先生を含む52人を岡山に招聘して、8月2日から6日にかけてプログラムを実施しました。3日は、震災直後から市をあげて支援活動をおこなってきた総社市との共催として、片岡総社市長様はじめ多くの関係者のご尽力により、総社北公園陸上競技場で試合を行い、4日は岡山県総合グランド補助陸上競技場で混合チームによる交流試合を行いました。熱中症が心配される炎天下での実施に、AMDAの緊急支援活動時に派遣看護師として参加してくれた方々が、再びボランティアナースとして岡山まで駆けつけてくれました。宿泊については、黒住教本様が、食事共々提供くださり、食べ物のアレルギーの子どもに対しても心を込めてきめ細やかに対応くださいました。宗教者の方々が宗派をこえて集い人道支援活動を行うRNN(人道援助宗教NGOネットワーク)の方々の発案による「絆キーホルダー」の作成と贈呈というご協力もいただき、被災地岡山双方の中学生ひとりひとりの思い出に彩が加わることとなりました。岡山での交流試合の開始前には、ファジアーノ岡山から指導しに来てくださいました。おかやまコープ様も炎天下ご協力くださり記念品もいただきました。5日は広島見学、6日は神戸市長田区防災未来センター等見学後、伊丹空港から一行は帰路につきました。枚挙にいとまない多くの方々の、陰に日向に心を砕いてくださったお蔭により、一連の行事が無事に完了し、被災地の中学生の初めての岡山、西日本の滞在が意味深いものとして、皆の心に刻まれました。この場をお借りしてご協力くださいました皆様に心より御礼申し上げます。

ここに参加校の先生と生徒さんからの感想をご紹介します。

 

大槌町立大槌中学校 教諭 伊藤 綱俊

大槌中学校サッカー部は、この震災で生徒の7割が家を流され、断水停電も続き、殆どの生徒が避難所生活を送り、何とかこれから生きていくことしか考えられない状況が続きました。本当であれば、3月25日から静岡に遠征に行くことになっていたのですが、当然のことながら全てキャンセルになり、中学校も津波の被害にあったためサッカー道具が全てなくなり、部活動ができない状況が続きました。しかし、その後全国のたくさんの方々から道具を支援していただき、地元の高校のグランドを借りてサッカーができるようになったのは2か月近く経ってからでした。いろいろなことをあきらめていた所に少しずつ光が見えてきた頃に、このプログラムの招待の話をいただきました。生徒たちは岡山に行ってサッカーができると聞いたとき、本当にうれしそうな笑顔を見せてくれたことを強く思い出します。みんなで遠征してサッカーができることは彼らにとって大きな意味があり、大きな希望につながったのです。

プログラムでは、生徒たちは4泊5日の間中ずっといい笑顔を見せてくれました。RNN*絆ミーティングでは、こんなに離れた地区の方々が自分たちのことを心から応援してくれていることを実感し、とても大きな感動を受けました。岡山市内の中学生による手作りのキーホルダーもとても喜んでいました。サッカー大会では、あのような立派な芝生のグランドで、たくさんのすばらしいチームと試合でき、とても楽しんでサッカーすることができました。ホームステイでは、初めどんな人とペアになっているかをすごく気にしていましたが、どの家庭でもとても温かく迎えていただきました。次の日全員がもう1泊したいと言っていたのには驚きました。2日めの交流戦では、他のチームの仲間とサッカーができたことが本当にうれしかったようです。勝ち負けを気にせず、大好きなサッカーを、サッカー好きの仲間と共に楽しめたのだと思います。また、今回のプログラムで、他の被災地の志津川中、釜石中の仲間とも仲良くなれたのは、とてもいい思い出になったようです。同じ苦労をしている仲間もみんな頑張っている姿は、大きな励みになったようです。

3日目、4日目の広島、神戸の見学は、生徒たちにとっていろいろなことを考えるいい機会になったと思います。自分たちの町も必ず復興できると強く感じたようです。

私たちは今、9月22日にようやく完成した仮設校舎で学校生活を送っています。まだまだ大変なことはありますが、たくさんの方々が応援してくれていることを知っている生徒たちは、きっと何でも乗り切っていけると思います。今回のテーマである「絆の大切さ」を彼らは実感しているからです。今、生徒たちは支援していただいた事に応えるために何ができるかを考えています。まず初めに、今目の前にある日常生活のありがたさを実感しながら、一つ一つを一生懸命行うことからスタートしていきたいと思います。私たちがまず、元気に当たり前のことを当たり前にできるようになったことをお伝えすることが、一つ目のお返しだと思います。復興はゆっくりですが、着実に進んでいます。そして今の中学生が大人になったとき、必ず今まで以上の町が、世の中ができると思います。それが皆さんから受けた支援への一番の恩返しになると彼らは考えているからです。これからもずっと生徒たちを見守っていただきたいと思います。本当にたくさんのご支援ありがとうございました。

RNN* 注:人道援助宗教NGOネットワーク

 

大槌町立大槌中学校 サッカー部 田鎖 海太

3月11日、最初は何が起こっているか理解できませんでした。そしてぼくは遠野中学校に転校することになりました。遠野中学校ではいろいろな方に支援されて頑張ってきました。そんな中に大槌の人から「岡山に行かないか」と言われました。ぼくはうれしくてたまりませんでした。そして岡山に行く1か月位前に大槌に戻ってきて岡山に行くことになりました。1日目、初めて乗る飛行機は興奮しました。2日目の歓迎式はすごくうれしかったです。3日目の交流戦では他のチームと混ざりゲームをして本当におもしろかったです。友達もできました。閉会式の時のプレゼントもうれしかったです。ホームステイではステイ先の矢吹君にはお世話になりました。ありがとうございました。広島も見学しました。自分たち以外にも苦しい思いをしている人たちがたくさんいることがわかり自分も頑張ろうと思いました。夜は岡山に戻り両備ボウルでボーリングをしました。初めてだったけど100点を超えることができてうれしかったです。感謝の気持ちを忘れずに頑張っていきたいです。ありがとうございました。

 

大槌町立大槌中学校 サッカー部 藤原真紀

ぼくは最初、岡山に行けると知ったときとても楽しみに思いました。AMDAの皆さんのおかげで初めてのことをたくさん体験しました。飛行機も生まれて初めてでした。RNN絆ミーティングに参加してとても神聖な気持ちになりました。また東北3中学校へ手作りキーホルダーをいただいてうれしかったです。キーホルダーは今、大切にバッグにつけています。その晩食べたバーベキューとても美味でした。とても楽しくて忙しい1日があっという間に終わりました。2日目は総社北公園で学校対抗戦サッカー交流でした。とても暑い中での試合でした。結果は2勝2敗でしたが、学んだ事もたくさんあったと思うので、自分たちの新人戦にいかせるようにがんばりたいなと思いました。その後ホームステイ先の阿南君の親がぼく達を迎えに来てくれました。ステイ先では、たこ焼きを食べたり、一緒に花火をしました。とても楽しかったです。

サッカー交流2日目は、色々な中学校の人達とゴチャゴチャになって戦いました。たくさんの人と友達になることができました。また、黒住教本部の宿舎では洗濯などをがんばりました。

最後に、この東日本大震災復興支援プログラムに参加させていただきたくさんの事を学びました。その中でもやっぱり自分たちは一人じゃないということがわかりました。このプログラムを成し遂げるために関わった人達への感謝の気持ちを忘れず日々の学校生活やサッカーの練習を頑張りたいです。

 

釜石市立釜石中学校 校長 渡邊 真龍

庭のコスモスが秋の気配を届けてくれる季節となり、釜石・三陸沿岸はようやく秋刀魚が食卓に上り、少し「例年の普段」が感じられるようになってきました。中国や近畿地方では台風12号・15号の二つの大雨や強風により大変な思いをされたことと思い案じております。

さて、この度の東日本大震災に際し、発災当初から釜石・大槌・南三陸町を中心に、医療・物資など広範囲・分野に亘る人的・物的支援を賜りましたことに衷心より御礼申し上げます。その上に、8月2日から6日までの4泊5日の標記プログラムへ参加をさせていただき誠に有り難うございました。

ボランティアセンター参与竹谷和子様をはじめとするスタッフの皆様の「被災地の中学生であることやその心身の発達」に十分に配慮された、かつ非常に工夫された内容で、生徒たちは勿論、引率した教職員一同感謝の気持ちでいっぱいで釜石に帰って参りました。

何よりも素晴らしかったのは、菅波先生をはじめとするAMDAの職員・関係者の皆様の優しい「笑顔とことば」でした。大変な時間をかけ、様々な連絡・調整を図って下さっての実施だった思います。その思いが伝わればこそ、総社東中学校様・香和中学校様・吉備中学校様をはじめ、様々な企業・団体の皆様の御協力があったのだと思います。総社市の片岡市長様をはじめとする職員の皆様が、表敬訪問をさせていた折の玄関でのお出迎えについては「感激・感謝と恐縮」が入り交じった胸の熱さが今でも鮮明に残っています。また、岡山市長様の「いつでもご支援します」の力強いお言葉も後楽園のライトアップの美しさと相まって強く心に残っています。

初日の黒住教本部大教殿での人道援助宗教NGOネットワークによる「RNN絆ミーティング」は、生徒たちにとっては「縁・絆」の5日間のスタートを感ずるに相応しいものでした。千?離れた地の香和・吉備両中学校の「絆組紐キーホルダー」贈呈に込められた中学生の思いが、色々な宗教者により理屈を超えた「祈り」によって更に浄化されることを実感したと思います。

原爆ドーム見学では戦争の悲劇と平和の尊さそして福島原発を考える良い機会であり、最終日の長田区では、仕事を中座してのAMDA兵庫県支部江口支部長様の心温まる案内もあり、「釜石もこんな復興の未来がある」と夢を持ったことと思います。

長く浮かばなかった歌や句がこの5日間で四つできました。できたのはプログラムのよさだからと思います。拙く恥ずかしいのですが、思い出に記します。
「三陸の津波は憎し数多(あまた)を奪う吉備は麗し絆は固し」
「薬紙折りし禎子の原爆忌」(原爆ドーム)
「折り紙を高く掲げし禎子の像は今は平らなるかと問いて悲しき」(原爆ドーム)
「蝉時雨イモリも眩し神道山」(黒住教の日拝処にて目の前にイモリが出てきて目が合う)

「普段を取り戻す」が今学期の合い言葉ですが、お陰様をもちまして2学期も順調にスタートし、1学期できなかった様々な学校行事等が順調に実施できています。つきましては、皆様のこれまでのご支援には、生徒たちの元気な日常を取り戻してあげる努力でしか応えることができないと考えておりますので、そのことをお誓いし、ご高配に心より御礼を申し上げます共に、AMDA様が益々その理念実現の為に邁進なさることを御祈念申し上げ、お礼とさせていただきます。誠に有り難うございました。

 

釜石中学校サッカー部 菊池 要

初め、岡山に行くことになって「自分達だけそんな遠い所に行っていいのか」とか、たくさん色んなことを考えました。当日、岡山に行くと岡山や広島の方達やAMDAの方々がまだ地震のことを心配してくれていてすごくうれしかったです。サッカーの交流試合やホームステイをして“絆”や“笑顔”の力のすごさを改めて感じさせられました。

そして、この合宿を終えて色々なことを吸収できました。本当に、現地の岡山の方、AMDAの方達に感謝しています。ありがとうございました。

 

釜石中学校サッカー部 佐々木 汰一

岡山に行く時、不安でいっぱいでした。自分達だけ楽しくやっていいのか、と思いました。けど、校長先生が言ったとおり「復興の力になるため」なら、いいと思いました。

実際岡山に行ってみると暑かったです。寝苦しかったです。しかも試合中に指を脱臼したり、友達とケンカしたりいろいろ大変でした。けど、交流戦やホームステイをして、他の中学生と交流をしてみて、みんなと協力することって、すごいと思った。

広島や長田区を見学して、生きたくても生きれない人たちのために、釜石を復興させたいと思いました。

 

南三陸町立志津川中学校 サッカー部顧問 橋健太郎

この度は志津川中学校サッカー部を岡山にご招待いただき本当にありがとうございました。震災の後、学校は再開したものの体育館が避難所になり、校庭には仮設住宅が建設され、部活動も満足に行なえない環境が続いていました。そのため、この遠征で岡山の広い芝のグラウンドで思い切りサッカーをすることができた生徒たちは、本当に明るく心からの笑顔でサッカーを楽しんでいました。また、ホームステイ先では総社東中のサッカー部員とご家族のみなさんに心から歓迎していただき、本当の家族のように接していただいたと生徒たちから聞きました。また、広島・神戸などを訪れ、戦災や災害から復興した町を生徒たちが直接目にする経験は、今後の復興を見つめていく上で生徒たちに大いに勇気を与えたことと思います。どれも本当に心から被災地の生徒たちのことを考えてくださったプログラムであると感動しました。

この遠征を通して、AMDAのみなさまをはじめ、岡山県の多くの方々に支援していただきました。また,同じ被災地である岩手県大槌町,釜石市の中学校との交流から,互いに励まし合うこともできました。人の温かさ、絆というものをあらためて実感した,一生忘れられない経験となりました。本当にありがとうございました。

 

南三陸町立志津川中学校 サッカー部部長 及川大貴

この度は私たち志津川中学校サッカー部を岡山のサッカー交流会に招待していただきありがとうございました。私たちは岡山に招待していただいたことで、たくさんのことを学ぶことができました。

サッカーの試合では岡山県の中学生との交流ができ、新たな友情を築きあげることができました。ホームステイでは、私たちのことを一番に考え、親切にしてくださった温かい心遣いに感動しました。また、広島・神戸では災害にあった町がこんなにも復興しているのかと驚き、自分たちの町の復興へ向けて勇気付けられました。そして何よりもアムダのみなさん、総社市のみなさん、岡山市のみなさんなど多くの方々のおかげでこのような貴重な経験ができたことに心から感謝しています。

私たち志津川中サッカー部一同はこの経験やみなさんの心遣いを忘れず、これからも毎日を一生懸命に過ごしていきたいと思います。本当にありがとうございました。

 

岡山市立香和中学校長 川 肇

 

「校長先生東日本大震災で被災された人たちに何かできないかと考え、義援金を集めたいと思いますが、実行してもいいでしょうか?」と卒業間際の3年生から申し入れがあったことが始まりです。卒業式で最初の募金活動を行い、その後数回にわたって行った募金をAMDAに届けました。そのことがきっかけで今回のサッカー交流に参加することができました。

 

当初、サッカーだけの交流と思っていたのですが、「絆キーホルダー」の作成や被災地の中学校の校長先生やボランティアの方とお話しする機会もあり、生徒だけでなく私個人としても、とても有意義な時間を持つことができたことに感謝しています。

「絆キーホルダー」作りでは、簡単に引き受けたものの一時は本当にできるのか心配でしたが、生徒会が中心になり短い期間で何とか織り上げることができました。思っていた以上に心がこもった素晴らしい作品になったと思います。贈呈式では被災地の中学生やRNNの皆様の思いが伝わり、本校の生徒にとってもいい経験になったと思います。

サッカー交流では、本気モードでの試合や、2日目の交流試合ではどの生徒も真剣なまなざしの中にも笑顔があふれ、見ている私たちにも元気を与えてくれました。

この交流の中で特に心に残っているのは「今までも大変でしたが、これからはもっと大変だと思います。」という一言です。震災から5ヶ月が経過しましたが、今後も私たちに何ができるのかを考え、釜石中学校・大槌中学校・志津川中学校と交流を深めていきたいと思います。

このような交流の場を与えてくださったAMDAやRNNの皆様本当にありがとうございました。

 

岡山市立香和中学校 生徒会長 高田 知佳

8月2日、RNN(人道援助宗教NGOネットワーク)主催の「RNN絆ミーティング」に参加しました。被災地である岩手県と宮城県の3つの中学校のサッカー部員と先生方52名に、香和中学校の生徒が心を込めて編み込んで作った「組紐付きの絆キーホルダー」を贈りました。私は、被災者の方と会うのは初めてで少し緊張していましたが、同年代の彼らは、香和中学校の生徒と同じように「明るく元気で生き生きと」前だけを見ているように思えました。

今、私たちにはある、「あたり前の生活」に感謝しないといけないと、私は彼らと接したことで改めて思いました。何気なく一日を過ごすのではなく、一分一秒を大切にして過ごさなければいけないと、そして、何事もあきらめることなく努力し、毎日を悔やむことなく精一杯生きなければいけないと思いました。

この集まりに参加することで、「今後も、何かできることはないか」と改めて考えるようになりました。

 

岡山市立香和中学校生徒会副会長 山本 崚雅

AMDAの呼びかけにより、被災地の中学校とのサッカー交流試合が開催されることとなり、僕たちも、そのお手伝いをさせてもらうことになりました。ボランティアで協力して作ってもらったキーホルダーを渡す際に、AMDAの方から「何か一言お願いできない?」と言われましたが、僕たちには想像できないくらい辛い思いをしてきた被災地の中学生にかける言葉が見つかりませんでした。それでもみんなは温かく僕の言葉を聞いてくれました。式が終わった後も「名前は?」「君もサッカーしてるの?」と明るく話しかけてくれました。僕は被災地の中学生の心の強さと優しさを実感しました。この体験を通して僕は改めて被災地の方のために何ができるか考えたいと思いました。この活動が少しでもみんなの心の励みになってくれると嬉しいです。

 

岡山市立香和中学校サッカー部 片山 政宏

僕たちは、この交流戦を通して、気持ちがとても変わりました。それは、東北の中学校のグラウンドは仮設住宅が建ち中学校ではまともにサッカーの練習ができないと聞き、また同じ部員が転校して一緒に練習ができなくなったと聞いたからです。それなのに、僕たちは当たり前のようにグランウンドでサッカーができていたり、当たり前のように友達と過ごすことができています。そう考えてみると僕たちは、色々なことに感謝して、日々の生活や部活をがんばっていかなくてはと思いました。

この交流戦のあとにも大会がありました。思うような成績は残せませんでしたが、感謝の気持ちでプレーすることができました。今後も被災地の方の気持ちに立ち、日々の生活をがんばっていかなくてはと思いました。

 

岡山市立吉備中学校 校長 横山 福水

東日本大震災の発生を知り,本校ではすぐに,生徒会やPTAで義援金を集めました。さらに,5月4日には,吹奏楽部が「グリーンコンサート」と名うってチャリティーコンサートを行いました。この頃から,相手が見える支援を模索していたところ,岩手県の大槌地区を中心に活動するAMDAの支援プログラムを知り,学校として参加することを決めました。そして,吹奏楽部で集まった義援金を,激励の色紙と共に大槌中学校の吹奏楽部に渡すことができました。さらには,8月2日から訪岡した東北の3中学校とのスポーツ親善プログラムにも岡山の代表として参加することができました。

今回の復興支援のプログラムでは,まず,記念品として,「絆キーホルダー」の紐の部分を,1,2年生全員の生徒で心を込めて600本編み込みました。思ったより難しかったですが,RNNの方に教えてもらいながら編む中で,生徒たちの心にも被災地の中学生に対する「絆」が芽生えていったように思います。

また,サッカー交流では,サッカーという,自分たちが最も好きなスポーツを一緒にプレーすることにより,さわやかな汗と共に,彼らの心の「絆」がより深まったと思います。

今回のプログラムを通して,生徒たちは,自分たちは一人ではない,家族をはじめ,いろんな人の支えがあり,今の自分があるということ,そして,人と人の「絆」の大切さについて,あらためて考えてくれたのではないかと思います。生徒たちに貴重な体験の機会を与えて下さった関係各位に心から感謝します。

 

岡山市立吉備中学校サッカー部 福田 晟

8月3日,4日に,東日本大震災復興支援サッカー交流が,岩手の大槌中・釜石中・宮城の志津川中を迎えて行われました。3日は各校と試合をして,4日はチームを混ぜて交流戦をしました。交流戦をした際に,仲良くできるか抵抗がないかと心配でした。しかし,その心配をしていたのが嘘みたいに,話をして仲良く接することができました。そうすることができたのは,東北の中学生の皆が積極的に声をかけてくれたからです。

東日本大震災で東北の人達が失ったものはたくさんあって,それがもう戻ってこないものかもしれません。でも,僕たちの心にない大切なものを彼らは持っているように感じました。僕たちが彼らにできることは少ないと思います。でも,その中でもいろいろ力になれたらいいと思いました。

 

総社市立総社東中学校校長 上岡  仁

3月11日の震災発生から,本校では3月14日の始業前に全校で黙祷を捧げ,お亡くなりになられた方々のご冥福と,被災された方々の一日も早い復旧復興を心からお祈りいたしました。

本年度に入り,生徒会が中心となって募金活動に取り組んだり,部活動でのチャリティコンサートなどを実施したりして,支援活動に取り組んできました。

こうした折,AMDAと総社市との企画・協力による復興支援サッカー交流のお話をいただきました。本校における支援活動のよい機会ととらえ,喜んでお引き受けいたしました。

サッカー部の生徒は,被災地の生徒の皆さんと交流試合ができることを心待ちにしておりました。また,被災地の生徒の皆さんのホームステイにつきましても,保護者の皆様の深いご理解とご協力により,準備等が順調に進められました。当日は,事前に用意した「よみがえる東北 つながる日本」の横断幕を掲げるとともに,陸上部の生徒60人が応援に駆けつけ,スタンドからも交流試合を盛り上げてくれました。

交流試合では,生徒はプレーに集中していたため,言葉を交わすことはあまりできなかったようですが,ホームステイを通して,互いに心の交流を十分に行うことができたと聞いています。

この度の交流に参加したサッカー部の生徒はもとより,準備や応援等にかかわった多くの生徒,教職員,保護者の皆様にとりまして,心に響く素晴らしい体験になったと思います。そして,「つながる日本」を心から感じることができたと思います。

今回の交流を通して生まれた「絆」を大切にし,今後,復旧復興を支援する活動にさらに取り組んでいきたいと思います。 このような貴重な機会を与えてくださいましたAMDAと総社市の皆様に深く感謝申し上げます。

 

総社市立総社東中学校サッカー部 横田 哲也

8月3日、宮城県志津川中のサッカー部の二人が、ホームステイでうちに泊まりに来た。東日本大震災のことはテレビで見て知っていたけれど、どこがどういう被害を受けて、今どういう状況なのか、僕はそれまであまり知らなかった。南三陸町という地名も、何となく聞いたことがある程度だった。それまでの僕にできたのは、少しの募金と、被災地が良い方向に向かうよう祈ることくらいだった。

サッカーの交流試合でも志津川中と対戦し、その間にも話をしていたので、うちに着いても話が弾んだ。二人ともとても楽しそうだった。僕は普段どおり接しようと思って話をしていたが、そんな中、心が痛むような出来事があった。みんなで写真を撮り、「送るから住所を書いてよ。」と言った時だった。一人が黙り込んだ。住所がなかったのだ。僕は口には出さなかったが、その笑顔の奥にはきっと思い出したくもないような辛いことがあったに達いないと思った。その後、メールアドレスを交換し、これからもずっと友達だから、と言った。

僕はやはり、今普通に生活できていることはとても幸せなことなんだということを強く感じた。今回地震が起きて彼らはとても心紬かったと思う。その中で偶然僕たちは彼らと出会い、同じ時間を分かち合えた。これはとても大きなことだと思う。

心が押しつぶされそうになったとき、そんな時に支え合えるのが人であり、生きるということだと僕は感じた。このホームステイを通じて僕らは友達になり、そういった絆を築くことができた。そして、これから先、ずっとこの友情が続くようにしたい。

AMDA復興支援スポーツプログラムに参加させていただいて

両備ホールディングス? 観光事業本部長 中原伸介

 


審判する筆者

8月4日AMDA東日本大震災復興支援スポーツ親善プログラムの交流試合に招かれ、子供達の試合の主審を務めさせていただきました。今回はAMDAさんの依頼で私共の両備観光にて東北の子供達の輸送を任されたことと、私も現在地元のスポーツ少年団のサッカーの指導(コーチ)をしていることから、是非何かお役に立てればと思い、参加させていただきました。震災での被害のことを察しますと、恐らくあまり元気な姿は見受けられないかなと思っておりましたが、とても明るく、楽しそうにプレーをしているのを見て、やはり子供達の生きる力はすごいなと思いました。是非次回は岡山の子供達が被災地を訪れ、生きる力を対感できればいいですねと先生方と話をしました。このようなプログラムを企画してくれた、AMDAさんをはじめ沢山のボランティアスタッフの方に感謝をしたいと思います。